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《迷えるセカンドシングルウーマンへ》1、ネクストステージに進む道標
私は37歳の時に
製薬会社勤務の(今から思うと)エリート会社員の夫と別れました。
原因は性格の不一致。
元夫とは今も交流があります。
子どもたちの父親であることには変わりないし、彼も父親であることの
酸いも甘いも受け取る権利があると思うので、
そこは不可侵と考えています。
私の両親は私が18歳のときに別居しました。
同じ敷地内の別棟に父が移っていきましたが、当時受験生だった私の部屋
《迷えるセカンドシングルウーマンへ》スピンオフ no.1
思うに運は
「望む人」にやってくる
「必要な人」に来るんじゃない
だから運が必要だと思うときは
運を望むことをあきらめないのが肝心で
どんな状況でもあきらめないでいると
そこに道が見えてくる
《悩めるセカンドシングルウーマンへ》7、気合いが違う
離婚届けの提出は元夫に任せた。
彼には有給休暇があるけれど、派遣社員の私には無いからだ。
1日休むと生活に響く。
当時子どもは小学5年生と3年生の12月。
新しく勤め始めた職場は大手メーカーのロジスティクス管理部だった。
自社製品を海外の現地法人在庫用に輸出する。
仕事自体は、貿易手配なのでそれほど不安も感じなかったが、
配置されたところは、いわゆるベテランの女性派遣社員数人と、若い
《迷えるセカンドシングルウーマンへ》3、トライアルは上々だが
13年ぶりの社員生活がスタートした。
車で片道30分ほどのメーカーの国際部に
派遣社員として入ったが
ろくにExcel、Wordもできなかった。
自宅のパソコンはもっぱらインターネット検索と、チャット機能用。
それでも知らん顔して「できます」の体で
デスクに向かっていた。
小学生2人のことが気になるが、どうしようもない。
16時で仕事を終えるといちもくさんに家へ向かう。
行き帰り
《迷えるセカンドシングルウーマンへ》2、いよいよ始まる
離婚を考え始めたころ
13年間専業主婦で過ごしてきたので
夫と別れて、子どもふたりと生きられるくらい
私は稼げるのかな?というのが、気がかりだった。
結婚前には、総合商社で貿易アシスタントとして
5年ほど仕事をしていたので
貿易事務、それしかできることが思いつかなかった。
とりあえず派遣社員として時短でやってみる、というのが
始まりだった。
当時、夫とは離婚の話はしていなかった。