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24歳で結婚 37歳で離婚 13年間の専業主婦生活にピリオドの後 仕事、人間関係、健…

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24歳で結婚 37歳で離婚 13年間の専業主婦生活にピリオドの後 仕事、人間関係、健康など いろいろあるわ 地方移住、転職7回、面接無敗 また新しいワールドへ挑戦 テーマは、いつも どうやって今すぐ幸せになるか?

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《迷えるセカンドシングルウーマンへ》1、ネクストステージに進む道標

私は37歳の時に 製薬会社勤務の(今から思うと)エリート会社員の夫と別れました。 原因は性格の不一致。 元夫とは今も交流があります。 子どもたちの父親であることには変わりないし、彼も父親であることの 酸いも甘いも受け取る権利があると思うので、 そこは不可侵と考えています。 私の両親は私が18歳のときに別居しました。 同じ敷地内の別棟に父が移っていきましたが、当時受験生だった私の部屋に 夜中まであかりがついているのを父は知っていたようです。 両親が離婚すると

    • お茶とお菓子

      和洋を問わずお茶とお菓子に興味があります。 味、作法、歴史、器なども気になります。 お茶とお菓子をいただく時間も、目に見えないけれど、意味があるように思えます。 これは数日前、リーガロイヤルホテル大阪のラウンジでいただいたセットです。 お菓子の名前を忘れましたけど、新春にちなんだものでした。 ロビーの生花が豪華でした。 こちらは虎屋菓寮 京都一条店でいただいたセットです。 お菓子は「孟春の虎」。 見た目はシンプルですが、大変良いお味でした。 こちらでも美しい

      • 《迷えるセカンドシングルウーマンへ》スピンオフ no.1

        思うに運は 「望む人」にやってくる 「必要な人」に来るんじゃない だから運が必要だと思うときは 運を望むことをあきらめないのが肝心で どんな状況でもあきらめないでいると そこに道が見えてくる

        • 《迷えるセカンドシングルウーマンへ》8、地方移住

          離婚して約2年 40歳になって、わたしはこのまま ずっと生まれ育った大阪で一生暮らすのだろうか?、と思った。 それまでは「夫の転勤」に期待していたのだが 夫がいなくなったので、その機会を失った。 元夫はドイツ転勤もカナダ転勤も 片っ端から断る会社員だったが、そのうち 何かの拍子に、何か起こるのではと思っていたのだ。 子供たちは中学生と小学生になっていた。 養育費は受け取っていたが、日々成長する 子どもに足りてるわけではなかった。 派遣社員の給与は昇給はな

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        《迷えるセカンドシングルウーマンへ》1、ネクストステージに進む道標

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          アフタヌーンティー@フォションホテル京都

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          《悩めるセカンドシングルウーマンへ》7、気合いが違う

          離婚届けの提出は元夫に任せた。 彼には有給休暇があるけれど、派遣社員の私には無いからだ。 1日休むと生活に響く。 当時子どもは小学5年生と3年生の12月。 新しく勤め始めた職場は大手メーカーのロジスティクス管理部だった。 自社製品を海外の現地法人在庫用に輸出する。 仕事自体は、貿易手配なのでそれほど不安も感じなかったが、 配置されたところは、いわゆるベテランの女性派遣社員数人と、若い正社員と、それをたばねる係長というサバンナ状態の職場だった。 当時、最も古株で

          《悩めるセカンドシングルウーマンへ》7、気合いが違う

          《悩めるセカンドシングルウーマンへ》6、見切りをつける

          離婚をする手順を知らなかったので 聞いたことのある「調停」というのをやってみることにした。 離婚届を書いて出せば離婚できたんだろうけど それをいきなりすることができなかったのは 新しいフェーズへの不安だったか、 とどめてくれる何かを求めていたのか。 私が離婚したいと言ってまで伝えたいことは 元夫に伝わらなかったかもしれない。 でも、もっと伝わらない相手がいた。 調停委員の2人だ。 男女1人づつが並んで座っていて、その前に座って主張を話すのだが 元夫と私は

          《悩めるセカンドシングルウーマンへ》6、見切りをつける

          《迷えるセカンドシングルウーマンへ》5、加速する

          13年のブランクにもかかわらず 仕事がさばけるとわかり いよいよ離婚へ流れていく日々。 夜中の喧嘩に何度も仲裁に来てくれた父、 働く私の代わりに、週に2回 カートいっぱいの食料品を買って訪ねてくれる母。 そういえば、この2人も離婚していたんだ。 両親は離婚してからも、私たちと一緒に出かけたり、食事したりしていて 父が再婚してからは、新しい奥さんを巻き込んで 旅行にまで一緒に行っていた。 母曰く「いいじゃないの。みんなが幸せなら。」 私の形にこだわらない生

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          《迷えるセカンドシングルウーマンへ》4、友人たち

          夫の不満について、妻はしばしば友人たちと 話す。 お互いに「だよね!」「うちも同じだよ」 「離婚したい!」そう話し合っては家に帰っていく。 そう、家に帰っていく。 当時、それを不思議に思った。 あんなに嫌いな夫のために食事を作り、洗濯をし、掃除をするために 結局帰っていくのだ。 (私は夫が嫌い、というわけではなかった。 一緒にいると不安だった。) アメリカに転勤した夫と共にアメリカ中部で暮らしていた日本人女性が 奥様だけの会合で、 「今日、夫は休みをと

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          《迷えるセカンドシングルウーマンへ》3、トライアルは上々だが

          13年ぶりの社員生活がスタートした。 車で片道30分ほどのメーカーの国際部に 派遣社員として入ったが ろくにExcel、Wordもできなかった。 自宅のパソコンはもっぱらインターネット検索と、チャット機能用。 それでも知らん顔して「できます」の体で デスクに向かっていた。 小学生2人のことが気になるが、どうしようもない。 16時で仕事を終えるといちもくさんに家へ向かう。 行き帰りの国道沿いにサーティワンがあって 余裕のないお財布から、そこでふたりにアイスク

          《迷えるセカンドシングルウーマンへ》3、トライアルは上々だが

          《迷えるセカンドシングルウーマンへ》2、いよいよ始まる

          離婚を考え始めたころ 13年間専業主婦で過ごしてきたので 夫と別れて、子どもふたりと生きられるくらい 私は稼げるのかな?というのが、気がかりだった。 結婚前には、総合商社で貿易アシスタントとして 5年ほど仕事をしていたので 貿易事務、それしかできることが思いつかなかった。 とりあえず派遣社員として時短でやってみる、というのが 始まりだった。 当時、夫とは離婚の話はしていなかった。 離婚できるかどうか確信がなかったのと、 やはり、離婚しないでやっていけるこ

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