見出し画像

尾崎一雄 『新編 閑な老人』 : 「文士」の志操

書評:尾崎一雄(著)・荻原魚雷(編)『新編 閑な老人』(中公文庫)

10年以上も前だろうか、よく立ち寄っていた文芸書に強い古本屋の主人と雑談していて、私が主人に「どんな作家が好きですか?」と尋ねたことがある。
古本屋の主人と言っても、その人はたしか二代目で、私よりも十も若かったと思う。

私がどういう作家を好きなのかは、無論、その主人は知っていた。なぜなら、同じような本ばかり買うからだ。
簡単に言えば、澁澤龍彦中井英夫系の幻想文学系の作家ということになるだろうか。読む本はいろいろだが、コレクションとしては、そのあたりがメインで、すでに所蔵している本でも、そこそこ安ければ何度も何度も買うから、先方に、私の趣味はバレバレだったのである。

で、その時の主人の返事が、「尾崎一雄」ということだった。
私は、尾崎を読んだことがなかったから、「どんな本が面白いですか?」と尋ねてみると『虫のいろいろ』だという返事が返ってきた。聞いたことのない本だった。そもそも私は、虫にはさほど興味がないし、虫のことを書いたエッセイなどには、なおさら興味がなかったからであろう。

しかしながら、それなりに文芸書を読んでいるはずの主人が、いちばん好きな作家だというのだから、趣味の相違はあるにしても、それなりに魅力のある作家であろうことは、ほぼ間違いない。だから1冊くらいは読んでみたいなと思い、その後、岩波文庫の『暢気眼鏡 虫のいろいろ 他十三篇』を購った。
「暢気眼鏡」は、尾崎の第一作品集にして芥川賞受賞作品集の表題作だし、「虫のいろいろ」は古本屋の主人の挙げた作品集の表題作だから、この文庫本なら代表作品集だろうし、ちょうど良いと思ったのである。

だが、例によって、積読の山に埋もれさせてしまい、読むことができなかった。昔の私小説家の代表作品集など、すぐに読まなくてもかまわないものだから、新刊などのその時その時に興味のある本を優先し、尾崎のは後回しにしているうちに埋れさせてしまったという、いつものパターンである。

で、これまでも何度か書いているように、私は退職して隠居生活に入ってからは、これまでに気になりながら読めなかった純文学作家の作品を、少しずつ読み始めた。それぞれ1冊くらいは読んで、どんなものか確かめておきたいという気持ちがあったからだ。

それで、他のジャンルの本などと交互に、そういう純文学作家の本を読んだのだが、先日、それまで読んだことのなかった梅崎春生の、『新編 怠惰の美徳というのを読んで、これが面白かったので、今回も同じ編者・荻原魚雷による『新編 閑な老人』を読むことにしたのだ。まさに、「いつ読むか? 今でしょ!」というタイトルではないか。一一この林修先生の、最近は使わなくなったフレーズ。こないだも使ったばかりなので恐縮だが、私の齢がそうなのだから、ご勘弁いただきたい。

前回の『新編 怠惰の美徳』では、レビューのタイトルなどに「新編」をつけなかったのに、今回は『新編』としたのは、今回の場合は、元版の『閑な老人』とダブる作品が少なかったからだ。

できれば今回も「新編」は付けたくなかったのだが、内容が大幅に違ったのでは、「新編」版のレビューだと明記しておかないと、読者に不親切であると考えたのである。できれば、どっちの検索にもかかりやすいように、「新編」が付けたくなかったのだが、仕方がない。

 ○ ○ ○

そんなわけで、尾崎一雄『新編 閑な老人』である。

前述のとおり、尾崎一雄を読むのは、これが初めてだ。だから、どんな作家かはよく知らない。もちろん、身辺雑記的なことを書く作家だとは知っていたが、それが「エッセイ」に分類されるのか「私小説」に分類されるものなのかは、よく知らなかった。

それで、読んでみて分かったのは、いちおうは登場人物の名前なども変えてあるから「私小説」に分類されてはいるものの、内容的には「身辺雑記的なエッセイ」に近いものと、そう考えて大禍のないものであった。
もちろん、多少は「作っている」ところもあるだろうし、その意味で「小説」なのではあろうが、しかし、「作った部分がある」というのは「エッセイ」だって同じことで、完全に「事実そのまま」が書かれていることなど、そっちの方が珍しいのである。

例えば、極端な例だと、限りなく「小説」に近い、翻訳家・岸本佐知子の「妄想エッセイ」などは、なにしろ「妄想」なのだから、「現実そのもの」を描いているのではなく、「当人にとっての内面的な現実」を描くために、大いに「作った」ものなのである。

で、そうしたものに比べると、さすがに伝統的な「私小説作家」に分類されるのであろう尾崎一雄の書くものは、限りなく現実に近いと考えて良いだろう。
今どきの小説家の、「尤もらしく作られた本音」の語られた「きれいごとエッセイ」などより、よほど信用がおけそうである。

「信用がおけそうだ」という、そのあたりの感触については、実際に読んでもらうしかないのだが、本書の中で、私が「これだよ、これ」と思ったのが、次のような部分だった。

『 昭和の初め頃までの社会通念として「文学に志すとはそのまま貧窮につながることだ」というのがあった。これは、今の若い人たちの理解を超えることかも知れぬが、初老に達した人なら直ちにうなずいてくれるだろう。そんな通念の当不当をここで云う気はない。また、それを通念たらしめた社会のあり方をとやかく云うつもりもない。
 私が文章を書いていこうと心に決めたのは、大正中期の頃だから、右の通念は崩壊の兆さえ見せず、私共の前にしっかりと立ちはだかっていた。当時の文学志望者はすべて、そのことを納得した上で歩き出したのである。
 大多数の者は中途で離脱し、頑張る者は窮死した。極く少数の才能あるものが名を成したが、それらも概ね天折した。
 そういう心がけや、そういう心がけに追い込む社会風潮の是非は別として、私もまたそういう状況下に文学志望者として出発した人間であることに間違いはない。
 私は、才能が無いくせに中途離脱せず(というより、他に行きどころが無くなって)頑張った組なので、あわや死という状態に立ち至った。無念ではあったが、一方、身から出た錆という気があるから、自分自身としてはあきらめ気分も持つことができた。
 その重病が、四、五年の臥床生活でどうやら立直ったのだから有難い。
 その上、戦後の風潮として、小説や読物類がむやみと歓迎され始めた。いわゆる流行作家が輩出した。私には流行的作品が書けないので、はやりはしなかったが、遠い地震の余波のように、わずか乍らもその余沢を受けることができた。』

(P49〜50・「退職の願い」より)

先日、内田百閒の作品やその人柄を紹介するマンガ、竹田昼『ヒャッケンマワリ』のレビューを書いた。

このレビューで、百閒が晩年、日本芸術院会員に推挙されながら「イヤダカラ、イヤダ」と言って断ったという有名なエピソードを紹介した部分を取り上げ、夏目漱石の弟子らしい、そんな百閒への共感を私は示しておいた。
すると、このレビューに、フォロワーの「ヤマダヒフミ」氏が、次のようなコメントをしてくれた。

ヤマダヒフミ
 2024年9月9日 03:04

川上弘美は受けるだろうなと思います。

ところで明治文学には興味があるのでこのエッセイは勉強になりました。
森鴎外は文学を副業にして、メインは官僚にしてました。だけど死ぬ前には
「余ハ石見人 森 林太郎トシテ死セント欲ス  宮内省陸軍皆縁故アレドモ 生死別ルヽ瞬間アラユル外形的取扱ヒヲ辭ス 森 林太郎トシテ死セントス」
と言って、自分の胸にぶら下がった勲章を否定しました。
漱石は大学教授を蹴って、朝日新聞に入るのに相当な決意が必要だったそうですし、やはり文士というものの国家権力との闘いというか、公的権威の取り囲みと、それに取り込まれまいとする芸術家精神があの頃にあったのだなと改めて思いました。
内田百閒にも明治の気骨が生きていたんですね。「気骨」なんて言葉が古くなってしまいしたが。』

コメントの冒頭部分の『川上弘美は受けるだろうなと思います。』というのは、このレビューの中で私が、百閒の「芸術院入り辞退コメント」に触れていた小説家の川上弘美について、

『ちなみに、川上弘美自身は、芸術院会員に推挙されたら、これを受けるのだろうか?』

と書いていたからである。

ヤマダ氏のコメントは『芸術家精神があの頃にあったのだなと改めて思いました。内田百閒にも明治の気骨が生きていたんですね。』の言葉にも明らかなとおり、今の日本の作家・小説家は、完全に商業主義に毒され取り込まれてしまっており「ダメだ」という悲憤慷慨が、その認識の基盤となったものである。
だから、昔の「気骨」ある作家の逸話に接すると、感動もひとしおなのだろう。

私もおおむね同感なのは言うまでもないが、私の方は、そうした現代的な傾向を、揶揄ったり皮肉ったりするのだが、ヤマダ氏の場合は、ひたすら真面目に怒ったり嘆いたりなさっているところが、その反時代的な個性なのであろう。昔の「頑固爺さん」そのままである。一一もっとも、私は長らく思い違いしていたのだが、ヤマダ氏はどうも女性であるらしい。まあ、ネット上でのテキストのやりとりでは、どっちでも良いことなのだけれど、念の為。

ともあれ、昔の「文学者」が、時に「文士(文の侍)」などと呼ばれたのは、「文を己の刀として、武士の一分をそこに賭けて生きていた」ということなのであろう。
つまり、「嘘」など書けないし、そのために干上がったとしても、「武士は食わねど高楊枝」で突っ張ってみせる気概があったということだ。
内田百閒の「イヤダカラ、イヤダ」という身も蓋もない言葉も、そんな頑固な「本音主義」から出たものだと理解すべきなのである。

で、「それに比べて、今どきの作家は」と苦々しく思ってしまうのは、なにもヤマダ氏に限った話ではない。
どうして、「今どきの作家」は、こんなことになってしまったのだろうかといえば、それは無論、

『戦後の風潮として、小説や読物類がむやみと歓迎され始めた。いわゆる流行作家が輩出した。』

といった事情が、大きに影を落としている。

要は、小説家というものが「食える職業」に、さらには「先生扱いでチヤホヤされる人気家業」なってしまったので、まずは「職業」として「食うこと」が第一目的になってしまったからだ。そして、できれば「チヤホヤされたい」のである。

とにかくひとまず何よりすなわちタイムボカンではないが)、読者大衆に「ウケる」というのが、大切重要になってしまったのだ。

自分が信ずるところの「真実」を書くのではなく、読者に歓迎されることを書く。
そしてそのためなら「嘘」でも「作り事」でも何でもかまわない、というのが、「戦後の小説家」の「常識的な認識」になってしまった。

そのため、「文士」という言葉は死語になり、小説家は「文の製造販売業者(個人事業主)」になってしまったのである。

『 ひとり今度の新体制と云わず、何か社会状勢が変ると、慌てて着物を変えたり身振りをそれらしくしたりすると云うようなことは出来ない。ひどく無理をしてまで変らざるを得なくなると云うのは、根本的な心がけに落度があるからだろうと思う。変るなら変ってもいいが、その前に一応自己の不明を天下に謝すべきものと思う。文学者の書くものは、私的な文章とは違うのだから、責任をとる必要がある。進歩と変説とをすり代えるべきではない。
 私は、今までの気持でやって行って、自分のためはともかく、他人のためにもまた国家のためにも悪いことはないと信じるから、このままの気持でやってゆくつもりだ。何かの事情から、私の書くものが、世のためにも人のためにも有害にして無益である、となったら、私も考える。しかし、考えても恐らく私は変れないだろう。そうなれば文学者として変るよりも、筆を折った方がいいと思う。長年自分は自分なりに考え、善なりと確言して、それで押し通して来たものが、いざ駄目であるとなれば、私はもう何も書く気は無くなるだろう。不明の罪を謝し、文学の前から引退がるまでだ。私は、転身とか転向とかの出来かねる、甚だ野暮で不器用な生れつきのようだ。』

(P218・「相変らず」)

まったく同感である。

今どきは、よそで言っていたことと、いま言っていることに矛盾があり、それを指摘されると、いきなり黙り込み、無視黙殺することで、誤魔化そうとするような輩ばかりである。プロの作家でも、大学教授でも。

自慢ではないが、私などは、自分が間違っていたと分かれば、すぐに謝罪して訂正もするし、さらにはそんな自分を「君子豹変」などと自慢までするくらいなのだが、世の中に「君子」など滅多にはいないし、所詮、「作家」だ「小説家」だ「文学者」だ「思想家」だ「大学教授」だなどと威張ってみても、その「9割はクズ」シオドア・スタージョン)の「俗物」なのである。

もちろん、「大正生まれの文士」どころか、そんな人がまだ、少しは生き残っていた「昭和」でさえ、今は遠くなってしまい、若い人は、小説家や作家や大学教授などを「タレント」のようにして憧れているのだから、いくら「小説家志望者」なんぞが増えたところで、この先、「読者」として期待できるような小説家や作家や大学教授などが出てくる気遣いなど、まずはあるまい。

むしろ、そんな反時代的な「志操」を持った、いかにも使い勝手の悪い偏屈者など、出版業界では、まったくお呼びではないのである。

だがまあ、私やヤマダ氏は、人から「身の程知らずに威張っている、いい気な馬鹿」だと言われても、「己の美に殉ずる」のだと、そうカッコよく自己形容すれば、我ながら満足もできる。

小林秀雄ではないが、「ウケたい奴は、たんと世間に媚びるがよい」と、そんなふうに思っているからである。



————————————————————————————————————————
【お詫びと訂正】

上の本稿本文中において、ヤマタヒフミ氏を「女性」であると書きましたが、ご本人の指摘により、私の記憶違いだと判明しました。
ここにお詫びして、訂正させていただきます。

なお、詳しくは、当ページのコメント欄での、ヤマダ氏とのやりとりをご確認ください。
————————————————————————————————————————

(2024年10月7日)

 ○ ○ ○



 ○ ○ ○

 ○ ○ ○

 ○ ○ ○

 ○ ○ ○

 ○ ○ ○


 ○ ○ ○