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フランク・キャプラ監督 『或る夜の出来事』 : 映画も色々、その楽しみ方も色々。

映画評:フランク・キャプラ監督『或る夜の出来事』1934年・アメリカ映画)

第7回アカデミー賞作品賞受賞のロマンチック・コメディ作品である。
「戦前」のモノクロ映画だが、いま見ても楽しく見られるであろうことは、「映画.com」などでのカスタマー評価での得点の高さなどからも窺えよう。

今の日本人から見れば、主演のふたりは立派な大人に見えるので、典型的な「ボーイ・ミーツ・ガール」の作品だといえば、「どっちもすこし薹が立っている(歳をくっている)んじゃない?」と言いたくなる人もいるかもしれないが、そこはそれ。今の日本の映画だって、30歳近い俳優が高校生を演じたりするのだから、この映画だって、主演のふたりが特に歳の食い過ぎだということにはならない。あくまでも、「馴れ」の問題である。

まあ、それはともかく、「ボーイ・ミーツ・ガール」とは『「主人公の少年が、少女に出会って恋に落ち、そこから関係が育っていく」ような物語のこと』(wiki)であり、本作の場合、「少年」とは言い難いが、まあ「青年」と「少女」を主人公にした、そのパターンの作品だということになる。
「Wikipedia」にもある通りで、「ボーイ・ミーツ・ガール」という言葉は、『「ベタな話」「紋切り型の恋愛物語」』だという否定的なニュアンスで使われることもあるのだけれど、裏を返せば、「無難」かつ「今でも通用する、ドラマの基本構造をおさえた作品」だということでもあるわけだ。

ちなみに、本作のヒロインの方だが、たぶん、設定的には「十代」なのではないかと思われる。
「大金持ちの令嬢で、男まさりなじゃじゃ馬娘」という設定なのだが、これも、少なくとも年配者には、「いかにも(ありがちな)」な設定と感じられるのではないだろうか。

さて、本作『或る夜の出来事』「あらすじ」は次のとおりである。

『父親に結婚を反対されて家を飛び出した大富豪の娘エリーは、ニューヨーク行きのバスで失業中の新聞記者ピーターと出会う。最初は反発しあっていた2人だったが、旅を続けるうちにいつしか惹かれ合うようになり……。』

「映画.com」・「或る夜の出来事」

見てのとおりで、決して複雑な話ではない。だから、この作品を名作にしているのは、この「構造」だけではなく、そこに「スクリューボール・コメディ」という言葉を生んだほどの、特徴的な「楽しさ」があるからだ。

スクリューボール・コメディ(Screwball comedy)は1930年代初頭から1940年代にかけてハリウッドでさかんに作られたコメディ映画のサブジャンル。常識にとらわれない登場人物、テンポのよい洒落た会話、つぎつぎに事件が起きる波乱にとんだ物語などを主な特徴とする。「スクリューボール」は当時のクリケットや野球の用語で「スピンがかかりどこでオチるか予測がつかないボール」を指し、転じて突飛な行動をとる登場人物が出てくる映画をこう呼ぶようになった。』

(Wikipedia 「スクリューボール・コメディ」

簡単に言えば、「テンポが良くて捻りもある、ノリの良い作品」ということである。映画が、サイレントから「トーキー」に変わって、「登場人物の会話の面白さ」を見出し、その魅力を最高に引き出そうとした頃の作品だと言えるだろう。

そんなわけで本作は、一般的に言って「名作」であり、映画の初心者である私が、この作品を知ったのも、映画解説者・淀川長治の著書で、肯定的に紹介されていたからである。「ぜひ見なさい」と。

だがまた、当然のごとく本作には「ベタな通俗映画」というような、否定的な評価もある。
おフランス映画や「ヌーヴェル・ヴァーグ」やらが好きとか言ってる、エリート気取りの「映画マニア」にとっては、本作のような作品は、映画としての「美的価値」が低いということになるようであり、また、そうした評価を主導しているのは、他の評論家とはひと味違う、「教養ある映画通」ですという顔をしている、蓮實重彦である。ちなみに、その自称も「偽伯爵」だそうだ。

この「偽伯爵」によると、本作の監督であるフランク・キャプラは「ボーイスカウト的な感性」の持ち主だそうで、いかにも見下した評価を与えている。要は、無教養な「単細胞」だと言いたいのだろう。
そう思うなら、そう言えば良いのにと、私などはそう思うのだが、わざわざわかりにくい比喩で皮肉るところが、蓮實重彦の蓮實重彦たる所以ではあり、「偽伯爵」らしくもあるのであろう。

さて、そのフランク・キャプラだが、この人は、「戦前」のハリウッドの人気監督であり、当然のごとく日本でも人気のあった人である。
低予算で撮った本作が大ヒットし、賞レースでも歴史的な新記録もうち立てたのだ。

第7回アカデミー賞では主要5部門でノミネートされ、5部門とも受賞した(作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、脚色賞)。ちなみにこの5部門を全て制することは、1975年の『カッコーの巣の上で』が成し遂げるまで出ないほどの大記録であった。』

(Wikipedia「或る夜の出来事」

当然、それに続く作品の多くもヒットしたし評判も良かったのだが、その評判が「戦争」を前にして、急速に下り坂になってゆき、戦争中は「国威発揚映画」も撮ったのだが、戦後には、戦前ほどの活躍を見せることはなかったようである。

本作『或る夜の出来事』は、「(経済)大恐慌」という暗い時代背景の中で、それを忘れさせてくれる楽しい作品としてヒットしたようだが、「戦争」は、映画においても、逃避を許してくれるようなものではなかったということなのかもしれない。
ともあれ、本作に続く、

『其の夜の真心』 (1934)
『オペラハット』(1936)
『失はれた地平線』(1937)
『我が家の楽園』 (1938)
『スミス都へ行く』(1939)

あたりまでは評判が良かった模様で、映画には詳しくない私でも、『スミス都へ行く』というタイトルには聞き覚えがあった。
主演が、戦後も活躍した俳優ジェームズ・ステュアートだったからかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

ともあれ、キャプラの作風とは、業界用語にもなった「キャプラ・タッチ」の、次の解説にわかりやすい。

『1934年の作品『或る夜の出来事』である。この作品は“スクリューボールコメディ”と呼ばれる恋愛コメディの先駆けとなり、大恐慌後の大衆の求める新たな娯楽作品として大ヒットしたばかりでなく、ウィットに富んで小粋で、そしてハートウォーミングな作風、いわゆる“キャプラ・タッチ”を確立した作品としても名を残している。』

「フランク・キャプラ、その才能の発掘」

つまり、特に「芸術的」でもなければ、重厚なテーマ性があるわけでもないが、気持ちよく見て気持ちよく映画館から帰ることのできる「娯楽映画」だったのだ。

だが、「戦争」が、キャプラのそうした作風を歪めてしまったし、戦後の日本人にとっては、キャプラがアメリカで「国威発揚映画」を撮ったことに、裏切られた感じがあったのではないだろうか。
もともと、勇ましい映画を撮る人や、ヒッチコックのような見るからにノンポリな作家なら気にもならなかったのだろうが、むしろ、戦争には反対しそうな作風とも思えるキャプラが、あっさりとそちらへ乗ってしまったところに、彼のヒューマニズムの「軽さ」を感じて、失望させられた、ということなのかもしれない。
まただからこそ、そうした世間の風向きに乗って「もともと、あんな通俗映画なんて」という評価も出てきたのであろう。「機を見るに敏」というやつである。

しかしながら、本当の問題は、「通俗で何が悪い」ということなのだ。
だが、「通俗映画の良し悪し」がわからない「映画マニア」もまた、決して少なくはないのである。

前述の「偽伯爵」蓮實重彦も、決して「通俗映画」を否定しているわけではない。
というか、蓮實重彦という人の映画に対する評価の基準は、世間一般が考えるような「通俗性(娯楽性)」の有無といったところには無くて、いかにも「フランス現代思想」の影響を受けた「構造主義」者らしく、映画作品を、その「映像」に表れたところから構造分析して、それがいかに「ありきたりなもの(制度的なもの)ではないか=制度的な思考に捉われていないか」という点で評価する。
だから、所詮は「交換可能な表看板」にすぎない「物語」や「テーマ」など、重視しない。つまり、「物語」的に「通俗的か否か」などということは、問題にはならないのである(例えば、小津安二郎の作品を、「娘の結婚」とか「昭和」といった制度化された観点から評価するのではなく、「不可視の階段」「女たちの宙に浮いた二階部屋」とかいった独自な着眼点から、その作品構造を取り出してみせる)。

で、キャプラの場合、この「映像」面では特に見るべきものがなく、「スクリューボール・コメディ」という評言からも分かるとおりで、彼の売りは「セリフ(のやりとりの面白さ)」であり「ストーリー展開(の面白さ)」なのだ。
だから、蓮實重彦に言わせれば、彼の作風は、どっぷりと制度的な思考に浸りきった、映画本来の魅力を知らない、通俗(制度的な)映画だということになるのである。

蓮實重彦に言われるまでもなく、「制度」的であるのは、たしかに「つまらない」ことだ。だから、「制度」的思考にベッタリと安住したような作品は、パターンで映画を見ることしかできない者以外には、退屈極まりない作品だとは言えるだろう。
一一けれども、そもそも人間は、「制度」から完全に逃れることはできないのだという事実も、決して忘れてはならない。
例えば、「制度に捉われてはいけない」という発想もまた、ある種の「制度」なのだ。「反制度」としての「制度(化された物語)」であるからこそ、その主張は、人を惹きつけもするのである(また、人間の思考とは、そもそも、人間中心主義の制度に他ならない)。

だから、私たちに必要なのは、拒絶し切れない「制度」を自覚しつつ、それに完全に絡め取られることなく、適度に「制度」を楽しむ(泳ぐ)、という「見極めの聡明さ」なのである。

例えば、私たちは普通、「生物という制度」の中にあって「種の保存」という「制度としての本能」に捉われている。
つまり、好むと好まざるとにかかわりなく「性欲」を持っているし、そのために発情(恋愛)もすれば結婚もし、ほとんど勢いだけで子供を作ってしまう者も、決して少なくはない。
無論、「偽伯爵」だって、そんな「ご身分」には関わりなく、当たり前の人として発情し、子供をなしているのだが、しかし私は、それを「制度の奴隷」だなどと、非難したりはしない。
なぜなら、それは、生物として必要な制度に、必要なだけ従っているにすぎないからだ。
道行く男女を、相手かまわずに強姦してまわるのとは、わけが違うのである。

だから、「通俗娯楽映画」も、それがそれだとわかった上で、節度をもって楽しむ分には何も問題はないし、それこそが正しい娯楽作品の鑑賞法なのである。
むしろ「映画は、通俗娯楽ではない」という「芸術至上主義」に捉われることこそ、「芸術至上主義」という「制度」、つまり「エリート指向」という「猿山の親分になりたがる」という「生物学的な制度」に、無自覚に捉われているにすぎない、とも言えるのだ。

だから、キャプラのヒューマニズムの限界を理解しつつ、しかし彼のヒューマニズムの「肯定的」側面を肯定して、それを楽しみ、そこから学ぶのは、決して悪いことではない。
すべての人に対し「漫画なんか読まずに、ドストエフスキーを読め」と言うような人は、端的に言って馬鹿である。
ある時は漫画を楽しみ、別のある時はドストエフスキーも楽しめると言うのが、真に知的なのだ。知性に相応の「幅と余裕がある」ということだからである。

だから、「通俗娯楽」という、ごく当たり前の「制度」に対する受け入れを、自意識過剰なまでに拒否して、それで自分が「非凡人」にでもなったつもりの「勘違い=制度」に捉われると、蓮實重彦のような、賢いけれども、人間として歪んだ、偏頗な人間になってしまう。「伯爵」と呼ぶには、あまりに下卑ているから、「偽伯爵」と名乗らざるを得ないのだ。
したがって、この自称は、謙遜などではなく、さすがは蓮實重彦、自分の「いかがわしさ」くらいは自覚して、それに太々しく開き直ってみせている、ということになるのである。

そして、そうした「太々しい開き直り」からくる行動の、象徴的かつ代表的な事例が、彼の小説『伯爵夫人』「三島由紀夫賞」を受賞した際の、授賞式での「こんな賞など迷惑だ」という、いちぶに物議を醸した、あのスピーチである。

この「迷惑」スピーチの問題点は「迷惑なら、賞を受けなければよかっただけ(なのに、なぜ、わざわざ受けたのか)」という「事実の不整合(自己矛盾)」性にある。

と言うのも、この手の文学賞というのは、否応なく一方的に与えられる(押しつけられる)ものではなく、事前に「候補者」に対して「受賞者に選ばれたら、賞を受けていただけますか?」という打診があり、それにOKした者だけが、受賞するものなのである。
なにしろ、賞を与えると公表してから、その相手を断られたのでは、賞の沽券にかかわるし、それまでの受賞者のメンツにも関わるからだ。
したがって、公式の受賞者というのは、実は「二番手三番手の候補だった」という可能性だって、ないわけではない。まあ、今は、賞コジキ・勲章コジキばかりだから、そうした事態は想定しにくいが、かつては、現に賞を拒否(固辞)した人も、少数ではあれ、いるにはいたのだ。だからこそ、「事前の打診」が必ずなされるようにもなったのである。

したがって、蓮實重彦の場合も、必ず事前の打診があって、その際には「賞を受ける」と回答していたはずなのに、いざ授賞式に出てくると「迷惑だ」とスピーチした、ということになる。
したがってこれが、「賞の勧進元」に対する「仁義を欠く、裏切りによる騙し討ち」だというのは、論を待たない事実なのである。

では、蓮實重彦なぜ、こんなことをしたのかと言えば、それはたぶん「賞」という「制度」の権威を失墜させるためだ。
「賞なんてものは、業界を盛り上げるための、お手盛りのイベントにすぎない」と、そう批判するために「俺はこんなものをありがたがるほど、田舎者じゃないよ」と、そうアピールしたのである。
実際、蓮實は、映画の方で、アカデミー賞をはじめとした各種の映画賞を、何度も嘲って見せている。当然、文学賞だって、基本的には同じことなのだ。

で、私自身も、「賞なんてものは、作品鑑賞能力のない一般人向けの、業界あげての販促活動にすぎない」と思っている。
事実「芥川賞直木賞受賞作をありがたがるような奴は、読書の素人である」と、何度も公言している。

だから、「賞」を批判するのは大いにけっこうなのだが、問題は、蓮實重彦の「やりくち」なのだ。
いくら「正しい目的のため」とは言え、蓮實のやりくちは、明らかに、人としての仁義を欠いて、非倫理的なものだ。
やはり、批判するにしても、やり方というものがあろう。

ではなぜ、蓮實重彦ほどの大の大人が、こんな、一種の「テロ」行為に走ったのかいえば、それは「賞」という堅牢な「制度」に痛打を与えるには、外からいくら批判しても効果がないと、それがよくわかっていたからである。

つまり、私みたいに、初めから「賞なんてくだらない」と言っていると、当然のことながら「賞」の対象にはならない。仮に、何か立派なものを書けたとしても、だ。
で、そんな、「賞」に縁もゆかりもない者が「賞なんてくだらない」と言ったところで、普通は「負け惜しみ」だとしか思われないから、その批判は、まったく効力を持たないのである。

だから、蓮實重彦は、「賞」などくだらないと考えてはいても、「賞」を受けることで自分に「箔」がついて、同じことを言っても「説得力」を持つようになるという事実は承知していたから、これまでは、ありがたく、いくつも「賞」を受けてきたのである。
そして、その結果として「東大総長」にまで成り上がり、彼の本を読んだことのない人でも、「それはそれは」と感心してもらえる立場に立ち得たのだ。この上ない「箔が付いた」のである。

だから、蓮實重彦の場合は、もう「賞」なんて、いらなくなったのだ。
いらなくなったからこそ、今度は「賞なんてくだらない」と、人が言えないことを言うことで、さらに自分に「箔」をつけようと考えたのである。人より「もう一段上の箔付け」というわけだ(メタレベルの「箔」というわけである)。

だがそれでも、「賞」の外部から「賞」を批判したところで、「これまでさんざ、ありがたく賞をもらってきたくせに、いまさら何を言ってるんだ」と言われておしまいなのは、目に見えている。
だから、あえて「仁義を欠いて」でも、受賞者となって、そのど真ん中に立って、そこから「賞」を否定してみせるという「掟破りのパフォーマンス」を演じて見せたのだ。
「こんなことをした者など、前例がないだろう?(笑)」というわけだったのである。

たしかにそれで、目立つことはできただろう。
だが、「賞」というものが、どのように運営されているのかを知らない「ど素人」ならば、それで「すごい!」と素直に感心させることは出来ても、文学界であれ映画界であれ、どんな業界であれ、「賞」というものの「本質」を知っている「業界人」にとっては、蓮實の行動は、所詮、単なる「掟破りのスタンドプレー」であり「自分さえ良ければいいという、無責任なパフォーマンス」でしかない。

しかしまた、業界人がそう思うであろうことくらいはわかっているはずの蓮實重彦が、なのになぜ、あえてその「見え透いたこと」をやったのだろうか?
一一それは、蓮實の業界内における権威が、すでに揺るぎないものになっており、誰も真正面から批判しないのがわかっていたからである。
自分にメリットはあっても、ほとんどデメリットがないと、周到な見極めた上での、あれは「無難なテロ」だったのだ。

無論、東浩紀のように「あれは、あの人の芸風ですよ」と、皮肉を言う程度のことはできよう。
だが、蓮實の行動を本格的に批判するには、自分も受けている「賞」というものの本質(的な虚さ)に触れなくてはならないから、そこまでやることは、何より自分のためにもならないので、だからやらない。
また、蓮實は、そこまで事前に読み切った上で「掟破りをしても大丈夫。そのリスクよりもメリットのほうが大きい」と判断して、抜け抜けと「掟破りのパフォーマンス」を演じて見せた、ということなのだ。

以上で、蓮實重彦の「授賞は迷惑」コメントに関する「欲得打算の合理性」については、説明がついたと思う。
だがそれでも、より本質的な「倫理的には、どうなるのか(どうして、そのようなことが出来たのか?)」という問題が残る。

この点こそが、常識人には理解しにくいところで、私も長らく、その点で判断に迷ったのだが、最近、蓮實の本を何冊かまとめて読んだので、蓮實の「思考様式」がおおよそ理解できるようになった。

その、私の「蓮實重彦理解」からするならば、蓮實の「掟破りのパフォーマンス」とは、次のようなものだ。

すなわち、「業界の掟」とは「凡庸な人たちを縛る制度」だと、批判的に捉える。だから、それは、「非凡な私」(蓮實重彦)によって、批判されねばならないし、それができるのは自分だけだ、と考える。
しかし、「いくら正しい目的でも、やり方というものがある」という批判が出てくることは当然想定されるのだが、それに対しては、「常識的な倫理観もまた、体制に都合の良い、反体制を骨抜きにするための、倫理的な欺瞞」でしかなく、それもまた「悪しき制度」だ、と考える。
そして蓮實は、自身を「制度から徹底的に自由な人間(例外的に優秀な人間)」であり、そうした「俗流倫理から自由な人間」なのだと自己規定することで、自身の行動を「観念的に、正当化した」のである。
つまりこれは、ニーチェの「畜群に対する、超人の論理」と同型のものなのだ。自分は「畜群の倫理」になど縛られず、それを嘲ってやられると、そう考えたから、喜んで「(畜群の)仁義を欠いた行動」も採れたのである。

そしてここて、本稿の主題である、フランク・キャプラ監督の『或る夜の出来事』に話を戻すと、蓮實重彦はなぜ、本作に代表されるような、「通俗的にわかりやすい作品を、わかりやすいかたちで評価することをしない」のかと言えば、それは「そんなことをしたら、自分の非凡さが、アピールできないから」である(だから蓮實重彦は、私みたいな平易な文章は、わざと書かない。それをやったら、底が割れるからだ)。

(「スカートの裾をチラッとめくって車を止める」という手法の「神話」は、本作から生まれた。今ではセクハラ問題になる描写だが、ひと昔前の映画では、この手法が定番的に描かれた)

例えば、淀川長治のように、本作を「感動作」だと褒めても、そんなことなら誰でも見ればわかることでしかない。
だから、知的「伯爵」気取りで「特別な人間でありたい」この「偽伯爵」は、そんなことでは満足できず、自分の「非凡さ」をアピールするために、これ見よがしな「奇矯な文体」や「奇矯なスタンドプレー」を選ばないではいられないのだ。

だから、「通俗的にわかりやすい作品を、わかりやすいかたちで評価することをしない(絶対にしない)」で、「難解な作品」も「通俗的な作品」も、自分の「構造主義批評」に乗るもの(都合の良いもの)に関しては、大げさに褒めてみせ、そうした作品こそが「本物の映画だ」とアピールして、自分こそが、特別に「映画を見る目のある人間だ」と、そうアピールして見せるのである。
蓮實重彦の本質とは、こういう「俺は、特別な人間だ」という、自意識過剰性(病的に肥大した自意識)なのである。

だから、こういう一種の「キチガイ」の自家宣伝につきあって、わざわざ映画を「難しく考える」必要はない。

たしかに「難しい作品」はあって、それを理解するには、知性も教養も必要だろうが、すべての映画がそういうものだというわけではないのだから、わかりやすい作品まで、無理に難しく考えて、分析する必要などないし、難しい作品をわかったフリする必要もないのである。

蓮實重彦や、そして多少は私のように、わざわざ「難しい謎解き」をするのが好きな人間は、勝手にそれをすればいいだけだし、それをやってはいけないと言われる筋合いもない。だから、勝手にやる、というのが、正しい考え方なのだ。

ところが、蓮實重彦のような、精神の「貧乏人」出は、「俺が俺が」のアピールがひどい。
別の楽しみ方を容認することができず、「俺の楽しみ方が最も正しく、そうした正しい鑑賞姿勢においては、俺がいちばん優秀だ」と、そう自己アピールしないではいられないのだ。

しかも、そんな「病的偏狭さ」を「制度に抗う」という「(偽の)美名」のものに自己正当化するのだから、本当に手に負えない、自意識の病人だと、そう評するべきなのであろう。

ともあれ、私たちは、当たり前に「通俗娯楽作品」を「通俗娯楽作品」と楽しめば良い。
そして、できれば、それ以上の作品には、それなりのスタンスで向き合うことができると、なお良い。

つまり、ひとまずキャプラの良作については、ニコニコと楽しめれば、それで良いのである。

無理にわかろうとする人しか読まない、蓮實重彦の小説まで読む必要などないし、ましてそれを著者の望むかたちで評価・理解する必要もない。蓮實自身も、そう言っている。

事は、映画についても同じで、人間がいろいろであるように、映画もいろいろなのだ。だから、楽しみ方も、いろいろあるのが当然。

キャプラ作品も楽しめるし、蓮實重彦みたいなのでも、それはそれなりに楽しめた方が、勝ちなのである。
実際、私にとっては、キャプラよりも、蓮實重彦の方が、ずいぶん面白い。こんな『ドグラ・マグラ』な人など、めったに出るものではないのだ。

一一島田荘司の言い草ではないけれども。

(ミステリ作家・綾辻行人のデビュー作『十角館の殺人』の、1987年刊行初版の帯)



(2024年8月24日)

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