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『淀川長治 映画ベスト100&ベストテン』 : 淀川長治が、テレビでは語れなかったこと。

書評:淀川長治淀川長治 映画ベスト100&ベストテン』(河出文庫)

淀川長治と言えば、私が子供の頃、すでに「おじいさん」だったと印象がある。実際、1909年(明治42年)生まれの人だから、私が物心ついた時には、すでに六十近かったわけだし、なにより、そのゆたかな髪が真っ白だったので、おじいさんという印象が強かったのであろう。
また、淀川長治といえば、テレビの映画番組の最後の「解説トーク」を、「それでは皆さん、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」という決め台詞で締めくくる、「サヨナラおじさん」として知られた人であった。

その頃の私の印象としては、その決め台詞が面白かっただけで、「解説」の内容自体は、ほとんど印象に残っていない。
要は、「当たり前」なことしか言っていなかったからであろうし、言うなれば、見たばかりの映画の印象をそのまま「まとめたもの」の域を一歩も出ず、毒にも薬にもならない「解説」だったからこそ、記憶に残らなかったのだと思う。

その後、淀川が高齢になったためか、テレビの映画番組の解説者というと、「水野晴郎」「荻昌弘」の二人が印象に残っているのだが、個人的には、淀川よりも、この二人の方に好印象を持った。

その理由を、いま考えてみると、水野晴郎の場合は、若さもあって、話ぶりに力があり、いかにも明るい感じの人だったから、自然に惹かれたのだろうし、水野に決定的な好印象を持ったのは、彼が「アニメ」を重視してくれていたからである。たとえば、まだビデオ録画が当たり前ではなかった頃に、宮崎駿『ルパン三世 カリオストロの城』だとか、出崎統『劇場版 エースをねらえ!』といった作品を心から推して、毎年のように放映してくれていたという印象があったからだ。
一方、荻昌弘への好印象とは、たぶん、その「落ち着いた話ぶり(上品さ)」にあったのではないかと思う。水野が「近所のおじさん」的な親しみを感じさせるのに対し、荻昌弘の方は、良い意味でのインテリ的な落ち着きを感じさせたのである。

では、肝心の淀川長治はどうだったのかというと、それは前記のとおりで、どこか「台本を読んで、演技している」ような、そんな「決まりきった」ような物足りなさがあった。
また、そうした印象は、小柄な淀川がすでに高齢で、体力も低下して、たぶん体も小さくなっていたにも関わらず、大き目のスーツをきちんと着ているのが、どこか「マリオネット」的な印象を与えたからではないかと思う。どうにも「不自然」で、どこかに「怖さ」が感じられ、そこに親しめないもの感じたようにも思えるのだ。

しかし、無論これは、多分に「後づけの印象」論なのかもしれない。
当然のことながら、子供の私は、そこまで考えて、彼らの「解説ぶり」を見ていたわけではなく、ただ単純に、その話ぶりから、その人の人柄を感じ、その話ぶりからその解説の「本気度」を感じ取っていたのではないかと思う。

そしてその後、マンガや活字の本を読み、評論書を読み、アニメを見、映画を見て、還暦を過ぎた今になって考えてみた時に、淀川長治という人は「本音を語っていなかったのではないか」と、そう感じられるところがある。だから、子供の頃の私も、そのあたりを無意識的に直観していたのではないかと、そんなふうにも考えられるのだ。

しかしまあ、自分のこととは言え、昔のことを思い出し、それについて考える場合に、「今の視点から」のそれになってしまうというのは、どうしたって避け難いことなので、そこは良しとしよう。つまり、たぶん私は「そんなふうに感じていたのだろう」ということである。

では、淀川長治は、なぜ「本音を語っていなかった」のか? すくなくとも、そう感じられたのか?

それは彼が、サイレント時代からの古い映画ファンであり、当然のことながら、彼自身が若かった頃の、今や「古典的な作品」、モノクロ作品やサイレント作品に強い愛着を持っていたにも関わらず、テレビ番組では、そういう作品をとり上げることができず、もっぱら孫のような世代が楽しむ、彼にすれば「ごく最近の作品」しかとり上げることができず、しかもそれらを、すべて「誉めなければならなかった」から、ではないだろうか。

その意味では、淀川とは、ひと世代下の、水野や荻には、そうした「無理」が少なかった。
もちろん、彼らだって「映画マニア」なのだから、モノクロサイレントの古典的名作も見ているだろうが、たぶんそれは、「映画マニア」としての「教養」として見ているだけで、「同時代の娯楽作品」として見たわけではないから、淀川のような「深い愛着」というのは、当然、無かったのではないか。
また、だからこそ、ほとんど「同時代の作品」の「解説」ならば、自然体でこなすことができたのではないだろうか。

言い換えれば、淀川長治のように、サイレント時代から映画に親しみ、同時代的にその「歴史」を見てきた人としては、「今の映画」が今のようにあるのは、それまでにそうした「映画の歴史」があったからだというのを、当然のこととして知っている。
だからこそ、「昔の映画は、いま見ると、やっぱりつまらない」という「今の人」の「当たり前の感覚的評価」には、「ちょっと待ってくれ」という気持ちが強かったのではないだろうか。

蓮實重彦などもよく「歴史性」ということを言うけれど、それは「ジャンルの歴史」を(教科書的な「知識・教養」としてではなく)知っていれば、どうしたって「今の作品」の背景に「過去の作品」を見ないわけにはいかないからだろう。
言い換えれば、「今の作品」を「今の視点」でだけ見て、すべてを「今の作品(作家)の成果」だと思われるのは、「映画の歴史」を築いてきた先人たちの労苦と功績を知っているからこそ、「そんな評価の仕方だけではダメだ」という「怒りにも似た感情」を持ってしまうのではないだろうか。

そしてそれは、サイレント時代から、同時代の「娯楽作品」として映画を楽しんできて、やがて「映画の伝道師」としての「先駆者の自覚」を持っていたであろう淀川長治であれば、そうした意識は、なおさら強かったはずだと推察できる。

しかし、そんな彼が、映画の魅力を「一般」に伝えるための最強の武器であった「テレビ」においては、語りたい「映画の歴史」を語ることができず、もっぱら、彼にとっては「新作(ごく最近の作品)」しか紹介できず、しかも、あまり感心しない作品までも、同時代的の評判作なら「けなす」わけにはいかないという条件で「解説」をしなければならないとしたら、彼の言葉が「型通りのもの」となり、「熱意の籠らないもの」になったとしても、なんの不思議もなかっただろう。

これは「ジャンルとして、広く認知されてほしい」という「映画ファン」としての気持ちと、「そのジャンルの中でも、本当に優れた作品が、きちんと評価されてほしい」という「映画マニア」特有の気持ちとの、避けがたい相剋だったのではないかと思う。

だから、淀川長治の、テレビでの映画「解説」は、つまらなかったのだ。

映画マニアたちは、「映画紹介の先駆者」としての淀川の功績に敬意を表するつもりで「淀川長治の解説は面白かった(良かった)」などと、つい「お追従」を口にしてしまうのだろうが、それは、淀川の内心の、「ジレンマ」に由来する「呻吟」を感じ取れていない、薄っぺらな「お世辞」でしかないと、そう言っても良いのではないだろうか。

「読めない人」びとが、ひとまず「権威者」の言うことなら「何でも褒める」というのは、それは能力的な問題としては仕方のないことなのだろうが、しかし、淀川が、語りたくても語れなかった部分を語るのが、「批評」の役目だろうと私は思う。
「映画の伝道」のためには、ひとまず「映画の魅力」だけを語って、個々の作品の欠点や弱点については、しばしば、口を噤まなければならなくなる。
私のように、あれもダメこれもダメと言っていたら、多くの無知な人は、自分の目で確かめる前に「じゃあ見なくていいや」ということになりがちだからである。

しかしながらそれでも、時代に取り残され、忘れさられた「埋もれてしまった功績」について語るためには、「同時代」に対し「迎合」してばかりでは、そんなことなどできるわけもない。
だからこそ、「批評」はしばしば「反時代」的であらねばならず、「同時代」を敵にまわす覚悟を必要ともするのではないだろうか。

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表紙などには記されていない、本書の「編・構成」者である「岡田喜一郎」が、「はじめに」の中で断っているとおり、本書は、淀川がかつて選んだ「ベスト1000」の中から、特に淀川がよくそのタイトルを口にした(愛した)作品を中心に、本書の親本が刊行された時代までの名作を加えて再構成した、淀川長治の「口語解説」の付いた「オールタイムのベスト100」である。
この後に、淀川が映画専門誌に毎年寄稿していた「年間ベストテン」の結果とそれに付したコメントを収録し、さらに巻末には「蓮實重彦との対談」を収録している。

私が本書を購読したのは、私の場合、映画と言えば、子供の頃にテレビで見た映画か、あるいは、ここ2年、研究的に見始めた「ヌーヴェル・ヴァーグ」関連や、それ以前の古典、という具合で、いささか偏ったものとなってしまい、我ながら、当たり前の全体観を欠いているように思われたので、「平均的な全体観」を持つためには、淀川長治が薦めている映画をチェックするのが良いのではないかと、そう考えたからである。
その意味で、まず注目したのは、淀川長治の「オールタイムベスト」である「ベスト100」の部分であったし、じっさい読んでみれば、「ああ、こういうのもあるのか」「ああ、こういうのもあったな」ということで、興味をそそられる作品が多々あって、たいへん今後の視聴のための参考になった。

だが、「批評」的な面から言えば、とても面白かったのが、「年間ベストテン」を紹介した部分である。
そこでの淀川は、「今年は不作だった」とか「ハリウッドが、ダメになった」などといった本音を漏らしており、あの淀川長治だって「誉めてばかりの好人物」ではなかったという、当たり前の事実が確認できたからである。

最後の、蓮實重彦との対談で印象的なのは、映画マニアとして大先輩にあたる淀川が、淀川を「大先輩」として持ち上げる蓮實に対し、しきりに「おじょうずなこと、だまされませんよ」とか「こわいこわい。それあなたの本音ではないでしょ」とか「でも、そこしか褒めるところがないってことでしょ」などと、冗談めかしながらも、蓮實の「辛辣さ」を、しきりに牽制している点である。

もちろん、淀川長治は、蓮實重彦の「お世辞」などは真に受けない賢明さを持ち、「こわいこわい」などと言いながら、できるかぎり蓮實の本音を引き出そうとしていたのだが、あの淀川長治をして、ここまで警戒させるのだから、他の映画評論家(同世代または年下)が、蓮實重彦を「敬遠する」か「無難にすり寄る」かするというのは、ごく当然のことであろう。

アマチュアや異業種の者ならば、蓮實重彦を嫌ってこき下ろすことも容易だが、同業者であれば、わざわざ敵対せずとも「意見は違えど、同じ映画好き」だという顔をして、仲良く「対談集」でも出しておけば、お互いの利益になるからである。

だが、こうした「同時代的な馴れ合い」が、「批評」を腐らせるものであることは、論を俟たない。

「映画の歴史」を尊重し、そこに立って「映画」を語るためには、「同時代の業界的な損得打算」に振り回されていては、テレビでの淀川のように、「生き生きとした喜びを欠いた、マリオネット」化してしまうのである。

「映画のため」と言うのであれば、淀川長治のように、個人としての名を残す必要はない。

詳しくは知らないが、著書らしい著書を残さなかったがために、今や忘れられているに等しい、水野晴郎や荻昌弘といった人たちの「功績」が、適切に語られてこそ、「映画批評」も「五体満足」なものになるのではないだろうか。

「映画愛」は「映画への愛」なのであって、自己愛に資するための「自分を飾る道具」てあってはならない。だか、実際には、そうなってはいないだろうか?

「映画好き」を自称する人たちは、いちどは自分の胸に手を当てて、そう問うてみるべきであろう。



(2024年6月7日)

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