- 運営しているクリエイター
#KONISHIKI
単純で複雑な僕は、その便りで春を乗り越える
「一週間で4人も日本一周している若者に出会ったわ。その姿が私の中にいるあなた達を思い出させたの」
何の前触れもなく、写真と一緒に届いたその便りは忙しい事を言い訳に、再び心を閉じようとしている僕への手紙に感じた。
「一週間に4人も出会う人なんて、君だけだと思う。それがまた彼等にとって良い出会いであることを願うよ」
僕は、精一杯の冗談と一緒に、本当に良い出会いであったらいいなと願った。
彼女が
贈られた「手作りカルタ」で僕は僕を知る。~自己紹介編~
「午前中に届くように郵送したので受け取ってください」
そう言われて待機していた僕に届いたものは、自分を見つめるにはタイミングが良すぎる理由になるものだった。これを贈り物と言わずに通過出来そうもない。
北九州からの贈り物は、明らかに僕への贈り物だった。それは厄年を迎える僕の躍年への願いが込められていた。中でも目を奪われずにいられない箱があった。そこに描かれていた文字は、
かるTAWA。
かる
あの日の小錦と同じ現場にいた記者から学んだ。伝える事の素晴らしさと表現の在り方。
Yahoo!ニュースから流れて来たこの日刊スポーツの記事を何度も読み返している。とてもいい記事だ。
2300文字ほどのこのコラムは、大関(KONISHIKI)の事をすごく愛情を持って書いてある。何より読んでいる人にそれが伝わってコメント欄がそれぞれの読者の大関との思い出、相撲についてと、すごく好意的に受け入れられているのを読み、やはり文章は、人の心を動かせると再認識している。
現役時代、相撲界
KONISHIKIの来日40周年イベントは、僕達を17年前に連れてった。
その全体を割愛してまとめる事は出来ない。
事実を知りたいなら、世の中に出ている新聞記事などで客観的に知って欲しい。
僕は、KONISHIKIという大きな木の中の一本の枝でしかないと思う。ここは、僕の枝から見たKONISHIKIだ。
40年前の6月18日にハワイを出発した。
相撲が何かも知らないし、日本がどういう国かも知らない。当時は空港税がかかる事も知らないで周りの人に助けてもらい入国した。
蛹(さなぎ)の必要性を問うたら結論としてとんだ迷惑かけているはなし
昆虫の世界には、「完全変態」と「不完全変態」に生態が別れる。これを要約するならば
「蛹(さなぎ)」になるかどうかである。
アサミサガシムシさんに昨日のこちらの記事を話題にしていただいた。
彼女に話題にしてもらった記事がこれだ。
彼女がnoteに最後に記事を書いたのが去年の9月末。それから8ヵ月。彼女は改名して戻ってきた。
この8ヵ月が彼女の「蛹」だったのは間違いないだろう。
北海道に生息