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KONISHIKIの来日40周年イベントは、僕達を17年前に連れてった。

その全体を割愛してまとめる事は出来ない。
事実を知りたいなら、世の中に出ている新聞記事などで客観的に知って欲しい。

僕は、KONISHIKIという大きな木の中の一本の枝でしかないと思う。ここは、僕の枝から見たKONISHIKIだ。

山野ホールにて

40年前の6月18日にハワイを出発した。
相撲が何かも知らないし、日本がどういう国かも知らない。当時は空港税がかかる事も知らないで周りの人に助けてもらい入国した。

なんてバカな事をしたんだ。と泣いて飛行機の中での記憶がないという。

来日40周年を祝うイベントは、東京の山野ホールにて、6月18日ハワイから出発した日と6月19日、日本に着いた日で行われた。

2日間で訪れた人達は1000人位だと思う。
北海道から沖縄まで。

初日の会場

元大関KONISHIKI 以前はお相撲さんだった。
僕は、KONISHIKIの事を大関と呼んでいる。

僕は現役の頃に大関と出会ったワケではない。
テレビで見ていた強いお相撲さんだった。

異国という日本で40年生活し、国技を学び大成し裸一貫で感じた事。

「日本の国籍を取って日本人になれてよかった。これからも相撲に関わりたいし世界中に広めたい」

僕の年齢と同じ40年という月日を経て今大関と出会っている。その巡り合わせなどは、前にも書いている。

私、俺、自分でもない。やっぱり「僕」がしっくりくる。変わらない関係性を願うのか、そこに戻りたいだけかは、わからない。

これは、僕が感じたこと。

大関を通して知り合いになった人達と久しぶりに会えた。皆、口々に同窓会みたいだと言う。

この2日間の準備で現在大関の傍に一番近くにいる人達は想像しなくてもわかるくらい大変だったと思う。

僕や、その日一緒に行った親友の彼はそこに参加させてもらった一部にしか過ぎない。

でも、温かい。

イベントの空気を表現するときに温かいと表現する時は皆主催者の事が好きな事が多い。

それが2日間を通してずっと続いていた。

「久しぶり」色んな人にハグされて、挨拶されて僕は確かに大関の近くにいた事を思い出した。

ステージで踊るフラダンサーに、僕が大関と一緒にコンサートで全国を回っていた時のダンサー達がいた。同じ時間を過ごしそれぞれ精一杯やってきた事を思い出したら、観ていて自然と泣けてきた。

そして何よりキレイだった。←結局そこ。

進むイベントの中で冒頭の木について考えていた。

僕が出会ったのは17年前、大関という木に出来た折れそうな枝だったと思う。僕は17年僕なりに必死に折れないように、しがみついていた。

その間、いっぱいの新しい枝や葉っぱを見てきた。もちろん折れていなくなる、どっかに葉っぱは飛んでいく、そういう事がほとんどだ。

その大きな木は、出会う以上に別れを知っている。

それでも信念を曲げないで、皆のために行動するから愛される。

僕は、僕の仲間に囲まれながら、折れないでしがみついてきた。強いものになっている筈だ。

枝と枝は交わる事はないが、大関という幹を通して行き来は出来る。そういう事を体現しているんだなこの人はと、流れる曲のなか涙が止まらなくなった。

No Rain No Rainbowが流れた。

僕達にとって忘れられないその曲は、日本縦断した17年前に一瞬で戻る。

僕の企画で日本縦断することになった、隣の席の彼は曲が流れ始めた時から小声で囁く。

「ダメだ。溢れる。」

横で涙する彼を直視出来ない。同じように僕も泣いていたからだ。録画しているはずのカメラは録画されてなく、そんな事より感じていたいとステージを見ていた。

ステージと観客は

「No Rain No Rainbow」の大合唱だった。

それぞれがそれぞれの大関との思い出を共有して、皆が泣いていた。

曲が終わり、大関が喋った。

「この2日間をやることにしたのは、伊勢原のボーイズ達が自分達で40周年をお祝いしたいと言ってくれたから。だから私もやることにした。ありがとう」って。

僕達は大関にステージに来いとアナウンスされ、いるはずのステージ裏を覗かれた。

そう。そこに僕達はいない。

「おい。あいつらどこ行った?帰ったのか?」

全然出て来ない僕らを皆探してる。

そう。僕らはいつもの通り、観客席の一番後ろのいい席でサボっていた。

泣きながら手を上げてアピールしてステージに向かった。

大関の声がスピーカーから聞こえる。

「何そんなとこでサボってんねん」

僕は、笑われながらステージに上がって大関に抱きついた。

彼は、大関の横で泣いている奥さんの千絵さんを見てさらに号泣していた。

「ありがとうね」って言われた。

こっちのセリフだし。

40周年の節目に立ち会えるのは、僕達の人生に於いても節目だ。本当におめでとうございます。そして、こちらこそありがとうございます。

枝それぞれ、その木に役割があるならば、
僕達は僕達のやり方でしか返せない。

大関とそれを足元から支える千絵さんや、近くにいる方達。

僕達は、そこを行ったり来たりしながら僕達の枝を太くすることに専念する。

あと5ヵ月。温かいものにしたいと思った。

11月に伊勢原市で待っています。

なんのはなしですか

帰り道、「置いていかないでよ」って叫んでるカップルの女の子を見た。

「あの子追い付けるかな」と僕は彼に言った。

彼は、答えた。

「追いかけ続けるってのもアリだけどな」

苦笑いした。僕達はそれでいい。

No Rain No Rainbowの締めくくりの歌詞は

「楽しむことをあきらめない」

以上イベントレポートをやってみた。

連載コラム「木ノ子のこの子」vol.9
著コニシ 木ノ子(気持ちはハワイアン)


僕達かもしれない
泣いている僕達かもしれない


これまでの僕達の繋がりはこちら↓

追記
証拠の映像を見つけた。
14分くらいからどうぞ。

残しておける素晴らしさ。

















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