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同じ重さの命をかかえて

隣の芝生の青さに見惚れ憧れ嫉妬する、かと言って自分の芝生を手入れする気にはならない。そんな気持ちで生きてる頃もありましたどうも桃山です。 

画像は本日の朝散歩画像。白梅と赤梅の花弁が良い具合に散っていたので( ˘ω˘ )

無事に継続できています、そしてそのお陰か睡眠も良い感じになってきている気がするのでホント朝散歩オススメ。

今日はだいぶ昔の書きかけの下書きがあったので仕上げて載せてみる。なんとまあ1年半以上前の文章です年代物だね( ◜ᴗ◝)

/去年のクリスマスデートの下書きもあって草\
⬇⬇それではどうぞ⬇⬇

今でこそ「よそはよそ、うちはうち」と思えるようになったけども周りと比較し苦しんだ過去は誰にでもあるだろう。私もそうだ。

比べる事から不幸は始まると誰かが言った。

幸福度の高かった国が情報鎖国をやめネットワークが普及し始めた途端、他国と自国を比べるようになり幸福度が下がったなんて話もある。

確かに私が1番不幸だった頃。それは間違いなく自分と周りを比較して自分に無い全てのものを所有し尚も不幸ぶっている(と決めつけていた)人達を恨んでいた頃だろう。

恨みや憎しみを誰にも抱かずに済む穏やかで健やかな環境、怒声が響かない環境、物にあたる人のいない環境、誰かの機嫌を窺わずに済む環境、電話の音に怯えずに済む環境、感情のゴミ箱にされない環境、病気も奇形も障害もなく健康的な心身、醜くない顔、指差し笑われることなく生きられる人生。

思春期青年期の私にはそれら全てが羨ましく同時に妬ましくもあった。けれどもそれを露にすることに何の得もないことも知っていたので決して表には出さなかった。相変わらず文章でだけは吐き出していたけれども←

どうして自分だけ、と思っていた。配られたカードで勝負するしかないと言われても配られたカードの貧相さに嘆いてた。

考えを少し改めたのは過去に思いの丈を書き散らかしたSNSを見た友人らが各々の抱えているコンプレックスや暗い気持ち、ひた隠しにしてきたであろう過去や家庭環境、見た目では分からない病気を私に明かしてくれたときだった。

変な話だが、まるで贈り物を貰ったような気持ちになったのを今でも覚えている。きっとその人達だって自分では直視したくもないであろう部分の羅列。私にとってはそれこそ人生を変える程の贈り物だったのだ。

人は皆、好きで自分に産まれたわけじゃないということだけが平等なんだと。

私は比べることを辞めた。それ以来私は物語を見るような気持ちで他人の人生を見るようになった。それはある種の諦めでもあるし、自分の心を守るためでもあった。

恨み辛み妬み嫉みはひたすら疲れるだけなのだ。それをバネにして昇華できるのなら悪いものでもないけれども、何にも成り得ないのならば手放してしまおうと。

人には誰しもその人にしか分からない地獄がある。その人として生きなければ分からない地獄がきっとある。だから表面だけ見て決めつけ比べて嘆くことを辞めたのだ。

と、

ここで書きかけのまま日記は終わっている。割と好きな文章なので残しておこうと思う。

まあ偉そうにこんなこと抜かしてるけど私も大概まだ手放せていないよね、色々。けれどこれでも昔よりはだいぶ良くなったんだ。

たまに言い訳しながらも自分なりに成長していこうと思えるから。昨日の自分よりマシになっていこうと思えるようになったから。

比べることから不幸は始まる。どこで見聞きした言葉なのかもう思い出せないけれどこの言葉自体は今でも脳に刻まれている。

これは他人と比べることを辞めて少し楽になれた私の話。そして私の人生を変えるデリケートな贈り物をくれた素晴らしい人達の話。

あとはあれだ、大体のことは時間薬が癒してくれる。三十路になって生きやすくなったと言う人達は周りにも沢山いるし私もそうだ。

昔の話だと懐かしめる日がきっと来る。
そんな〜時代も〜あ〜ったね、と( ˘ω˘ )ᕷ*.°

だからどうか今を苦しむ人達も時間に癒され徐々にでも救われていきますように。

祈るだけならタダだからね。残念ながら行動に移すにはまだ私は至ってない。まずは私は自分のことから成さねばならぬのだ←

私の抱えている諸々が寛解するなり片付くなり昇華するなりして余裕が出来たとき、誰かを救えたらいいなと思う。

そんな気持ちの備忘録。

今日はこれから親友と親友の親友との親友ズカラオケ会なので行ってきます⸜(*´꒳​`*)⸝‍
年末年始もカラオケ共にした組︎︎👍

それではまた。

://夢追い人
>>ロードオブメジャー

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