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あ。そうだ。生きるのやめようと思ったんだった。

え、もう月曜日。

え、もう金曜のゴミ出しの日?

と、よくよく考えたら
おんなじ毎日で
お弁当詰めて
満員電車乗って

太陽まだ東に居る時に
ビルの中に入って
出てきたらもう日が暮れてるから
日焼け止めとかまじいらなくて

外晴れてるのに建物の中で
楽しくもない仕事をして
オフィスは最上階だから
眺めがいいはずなのに
外見る機会0で

肩こって
土日にマッサージに行って。

気付いたら
また月曜日の電車の中。

毎週毎週ただ過ぎていくのがなんだか飽きて
生きてて「なあにが楽しんだ」ってなって

気付いたら朝起きて頭に浮かぶ

「死にたい」


朝起きた時って多分恐らく本来は
ぼーっとしているはずなのに
頭がクリアになっているはずなのに

病み期真っ只中の時の私の脳内には
嫌なこととか
仕事の事とか
絶望することとかが

ばばばばばばってフラッシュバックして


頭が完全に起き切っていない朝の時間に
真っ先に

消えたい

死にたい

どっかに行きたい

と思う日々。


人間というか生命は大体普通
死にたいと思わないらしい。

というのを聞いて
あらびっくり。そんな人いるのか。と。


確かに私も死にたいと思いながらも
お腹をすいたらご飯食べてたから
体は生きたかったんだと思う。

頭は死にたかったんだね、きっと。


毎日つまらないから
飽きて消えたい、と言う感情が湧いてきたけど

毎日何からしらの変化とか
ハプニングがあったら
「飽き」なんて来なかった。

じゃあなんで飽きたのか。


理不尽なクレーム

積もる苛立ち

変化しない上司

積もる不快感

料理をする時間がない

積もる不満

手料理を食べられない

積もる体調不良

常に時間に迫られている

積もる焦り


こんな感じで
嫌なことが多かったから

結果

もういいやあ、となり

周りからの刺激に
シャッターを下ろして
何も感じないように鉄壁の心になった。

そんな状況で無になってたから
改まって立ち止まったときに

何が嫌なのかがもう分からない。


特定の何かが嫌とかじゃなくて

何も自分に良いことが起こらなくて
とにかく

生きている楽しさとか
生きている気力とかがなくて

やりたいこととかもないから

はよリタイアしたい、

と、自然に思うようになった。


そんなメンタルズタボロだったころの私が書いた手紙が
この間届いた。

半年前の虚無状態私からの手紙。

—―半年前

病み期の最後の頼みの綱として
友人のやっていたプログラムのつながりの学校
に入った。

そこで半年後の自分に手紙を書こう、とみんなで書き、
それを開封したのが先日。

その内容が感動的でした。


というキラキラ話は
つまらんので
また今度。


聞いてほしいのはこの時思い出したお話。

この手紙を開封したときに
そういえば、高校の卒業の時に25歳の自分に宛てて
クラスのみんなで手紙を書いたな、

と思い出した。

高校卒業式の打ち上げで
タイムカプセル(土に埋めるのではなくて
倉庫で預かってくれるサービス)
を用意して
みんなで1通ずつ手紙を入れた。

それを25歳の同窓会で開封しようね、
と言って。


それで、25歳になって
陽キャしか参加してない同窓会に
陰キャの私は行かなった。

幹事の子はとてもしっかりしていて
「来れなかった人に郵送します」
「欲しい人は住所を」
と申し出てくれた。

申し訳ないなと思いながら
確か割と高い便箋を買って
書いたような記憶があったから
燃えるゴミにするにはもったいないなと思って
私はその子に住所をLINEした。

これが5月のGWの話。

そこから連絡が途絶えた。

郵送云々の話をしていた時
「住所の連絡無い子の分は破棄します」
と言っていたので
やっぱり郵送手配めんどくさくなって
私の含め欠席者分全部捨てられたのかなあと
勝手に想像。

(多分合計80通くらいあって同窓会20人くらいしか
参加してなかったからね。60通も無償で送ってくれるとか
大変作業過ぎる)


そして半年後のお正月(先日)

郵送で届いた。びっくり。

18歳の私からの手紙

そして偶然にも帰省していたので
(※同級生には郵送先として実家の住所を教えていた)
わざわざ母に転送してもらうことなく
自分で受け取ることが出来た。

なんて奇跡。

「遅れてすみません」
とLINEも来た。

なんていい子なんだ。

そして
18歳の私もいい子だった。

感謝してだってさ

大学の二次試験後にこの手紙を書いたようで
受験期に支えてくれていた
家族、親戚、友達…
といった周りの存在の事を
熱心に書いてあった。

それで、周りの暖かさに気が付いて

—―25歳の私にもその気持ちを大切にして欲しい

そんなことが書いてあった。


なんか生きててよかったと思った。

人生つまらん、と言って
勝手に死んでたら
だいぶダサかったなと思った。

18歳の自分はこんなに立派なことを書いてるのに
行く先の25歳が希死願望抱いてるなんて

まじで、ダサすぎる。

なにより24歳付近で人生諦めてたら
18歳のこの汚い字の乗った
高島屋で買ったキラキラ便箋が
受け取れなかったと思うと…


がち、受け取れてよかった。

手紙の締めも大きくなった私への配慮というか
気遣いがあった。
いい子だ、JK私。

手紙の最後

私が気遣いを感じたのは
「キレると思います」

の部分ではなく、

「頑張って」

の文言がなかったこと。

私は「頑張れ」という言葉が嫌い。
頑張ってる人にかけられる
「頑張って」がとても嫌い。

頑張ってる人にもっと頑張れとか
とりあえず頑張れとか

これはかなり思いやりに欠けた言葉で
他人事に考えているように感じる。

多分、大学受験を終えた私もおんなじ気持ちだったのかもしれない。

受験勉強を必死で頑張ってるのに対して
「勉強頑張ってね」
と言われるのに気持ち悪さを感じていたのかもしれない。

最後まで持っていけ

そうしたら笑える

一生懸命に毎日を送れ

頑張れを使わないでどう自分にエールを送るのか
きっと考えたのかな、
とか思った。


社会人の私は
毎日そんなに頑張れていないけど
職を一時期失ったけど
メンクリ通ってるけど
一生懸命には毎日送れてるかな、

と、

キレないで読み終えた。


今の私は有名人でもないし
高層マンションに住んでいる訳でもないし
立派に多額の税金を納めている訳でもない。

でもこの歳になっても

新しい友達が日々できて
たくさんの素敵な友達がいて
行きたい場所には足を運んで
ネット上に暴言と弊社の悪口タトゥーを残しまくって
家族が大好きで

日々感謝。

18歳の私が願っていた
周りの存在の大切さも
感謝の気持ちも
キャリアブレイクをして
一旦落ち着いて
少しづつ狭くなってた
思考と視野を広げて行って

その中で無事
感謝と暖かさを感じる感情を思い出した。

自分を大切にすることも
自分が行きたい場所に行ける事への感謝も

ちゃんと思い出した。


今日も私は元気。


同情するなら投げ銭して