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ひとつなるもの すべてなるもの

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ひみの連載ストーリー
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2021年10月の記事一覧

第93話 対の一日

第93話 対の一日

 比比多神社を後にすると、いよいよ大山に向けて車を走らせる。高くひらけた空の元、一面の瑞々しい緑が歓迎してくれていて、二人であちこち歓声をあげながら進んでいった。

「ん?こんなところに御柱(おんばしら)?」

 そのなだらかな勾配の坂の途中に、突然二本の大木(たいぼく)が天に向かって聳えていた。滅多に対向車にも会わないのどかな田舎道、車を停めて窓から案内板を読むと、やはり、姉妹都市である諏訪から

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第92話 桜色の子守り歌

第92話 桜色の子守り歌

 その翌日。
けーこから、「鹿島神宮に行ったばかりだけど、またお出かけしたくない?」とのLINEを受け取った。

 今回は、こないだの時のように呼ばれたわけではないので早速あきらにも声をかけると、「課題が終わらないから楽しんできて」という返事が返ってきてしまった。ちょっと前に高校から、授業の代わりにパンパンに詰まったレターパックが届いていたのだ。そこで遠慮なく、二人で出かけることにした。

「とり

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第91話 航海に馳せる夢

第91話 航海に馳せる夢

 あれから一週間が経とうとしていた。
「ツインレイをやめない」と決心してはみたものの、未だたくさんの先生との思い出が亡霊のように私を支配していた。最後の最後に私の寒さを気遣うなんて、あの人の優しさは罪だと思った。

 昨日だって起きる時に、夢の中で先生から「待っていてね。」と言われうっかり喜んでしまって、その反動から日中は悲しみが襲いかかってきてどうしようもなかった。

 そんな中でも、旦那と一緒

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第90話 静寂なるシリウスの叫び

第90話 静寂なるシリウスの叫び

 今まで信じて疑わなかったあるべき未来が目の前から全てなくなってしまい、目覚めと共に無気力感が襲ってくる。

 ……これはあれだ、あきらが搬送されて、いつも隣にあった寝顔が突然奪われたあの時によく似てる。鉛のような、曇天のような……。

 一晩ずっと輾転反側して目の下はうっすらと青みを帯びている。起き上がっても怠さだけが取れずに残っていた。

 こんな事になったのに、自分でも往生際が悪いと思った。

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第89話 転

第89話 転

(てん)

 結局この最後の一日に賭けるしかなくなるのだろうと、なんとなく前から予感していた。だけど春休み中の部活動も原則禁止の日曜日の今日、あの先生が出勤している可能性を考えると、会うのはもはや絶望的だった。
 弱気に弱気を重ねたような空気を纏ったまま布団を剥いで、勢い悪くカーテンを開ける。
 坂の途中に建つ我が家から、ついこないだまで遠くに見えていた中学校の体育館の屋根は、芽吹いてきた街路樹に

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第88話 鹿島立ち

第88話 鹿島立ち

「ひみ、歩き行こう。」

 近所の買い物のためにぐるっと回るというけーこから、散歩に誘われた。

「どうせ先生のことで悶々と悩んでるんでしょ?ちょっと歩きに行こうよー。」

 春の冷たい風の中を二人で歩いている間、淋しさに飲み込まれている私の思考は落ち込んで、だけどこれからに期待もしていて、いつまで経っても堂々巡り。

 それでもけーこと話しながら歩きながら行くことで、ちょっとずつだけど心が軽くな

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第87話 オモイが糸をひいている

第87話 オモイが糸をひいている

 春からあきらが入学することになる県立高校は高台の上にあり、都内のビル群や富士山までもがよく見えた。 
 春休み中、二回目の新入生登校日となったその日も、すっきりとした青く冷たい空気の中に、三角形の真っ白な雄姿を望むことができた。

 付き添いでやってきた保護者は私一人だけ。案内された空き教室で本を開こうとして、突然無性にスサナル先生に会いたくなってしまった。

 こういう時、ここが中学校なら偶然

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第86話 父親とお父さん

第86話 父親とお父さん

「うう……その話やめて。気持ち悪い……。」

 あきらの顔色がみるみる悪くなっていく。

「もしかして、旦那?」

「うっ!やめて言わないで!本当に気持ち悪い……。」

 突然苦しそうに胸を押さえだしたあきらに一旦水を飲ませてみるけど、効果があるとは思えなかった。食事はほぼ済んでいたので急いでお会計を済ませ、店の外の椅子にゆっくりあきらを座らせると、けーこと二人で背中を摩った。

 この卒業式のハ

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第85話 色即是空也

第85話 色即是空也

(しきすなわちこれくうなり)

 昇降口を抜けて校庭へと通じる中庭には規制線が張られ、最後の花道を見守る保護者たちで溢れていた。

 みんなと同じ通路ではなくエレベーター側から出てくるあきらを待つために、私一人だけが他の保護者たちとの場所取りには混じらずに、無人の車椅子と共に、校舎近くの一本の柱の陰に立つ。

 この子の移動などに関して、いつも柔軟に対応してくれる学校のありがたい協力により、結果的

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第84話 嫉妬

第84話 嫉妬

 教師という職業に嫉妬していた。

 いや、それは正確ではなくて、彼、スサナル先生が教師であるということが、私にとっての大きな大きな嫉妬だった。

 実際過去には、私も教職を取ろうと思えば取れる環境にあったのに、教えることにまったく興味がなかった私は初めから単位の履修をしたいとも思わなかった。そしてのちに、同じゼミだった友人が転職して教師になったと聞いた時にも、羨ましさのかけらもなかった。

 そ

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第83話 万物は意識

第83話 万物は意識

 出発の準備が整うと、実家の母に電話をかけて簡単な経緯を説明をする。意外なことに、母は私たちの急な帰省をあっさりと歓迎してくれた。それから急いでメモ帳に置き手紙を残して玄関の鍵をかけた。

 出発直前、あきらと二人でドアに手を置いて、“家の意識”に祈りを込める。

「いつも、雨風を凌げる快適な屋根の下に住まわせてくれてありがとう。これからもあなたの下(した)で暮らしたいので、私たちが帰ってこられる

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第82話 子鶴のひと声

第82話 子鶴のひと声

 簡単なトリックなのに、迷路のようだなと思った。
 同じような部屋がたくさん並んでいる裁判所のその階を、勾玉のように一方通行にぐるっと一周回ることによって、“相手方”と顔を合わせることなく担当調停委員の部屋へと辿り着くことができる仕組みになっている。そしてその途中にある申立人控え室では、約束通り、けーこが待っていてくれた。

 男女一組の二人から成る調停委員に対し、初めに申立人が対話をし、その退出

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第81話 痛みのある道の先へと

第81話 痛みのある道の先へと

 夜リビングで一人ドライヤーをかけていると、驚いたことに、帰宅した旦那が自室へとあがらずにそのまま部屋に入ってきた。同じ空間にいるだけでこんなに動悸ってするんだっけって思ったほど、自分の心拍音が聞こえてくる。

「ひみ、ちょっと話せる?」

 そう言われたけど言葉に詰まる。
 やっとのことで、「書いた通り、調停前なので何も話せません。」とだけ言うと、ドライヤーの轟音に専心して無理矢理呼吸を落ち着か

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第80話 たまゆら

第80話 たまゆら

 卒業式を間近に控えた中学校では、緊急職員会議の回数が増えてきていた。いつものように待合スペースで読書をしながら待っている間、放課後活動のためにすれ違う先生達の姿は今やめっきり減っていた。

 それでも三年間通わせてもらった校舎の中を少し歩くだけで、守衛さんや清掃の方々、それから受付職員さんなど、顔見知りになった多くの方から行く先々で声をかけていただいた。

「卒業したら寂しくなるね。これからは、

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