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第89話 転


(てん)


 結局この最後の一日に賭けるしかなくなるのだろうと、なんとなく前から予感していた。だけど春休み中の部活動も原則禁止の日曜日の今日、あの先生が出勤している可能性を考えると、会うのはもはや絶望的だった。
 弱気に弱気を重ねたような空気を纏ったまま布団を剥いで、勢い悪くカーテンを開ける。
 坂の途中に建つ我が家から、ついこないだまで遠くに見えていた中学校の体育館の屋根は、芽吹いてきた街路樹によって、とっくに姿を隠されていた。
 ため息をひとつ、ついた。

 本棚から小説を一冊選び出すと、昨日また新たに書き直した手紙を挟んだ。

『この前は、お伝えすることがすべてだったのですが、そのあとやっぱりまたお会いしたいという欲が出てきてしまいました。
今日、いらっしゃらないと思うので、お借りしていた本を返すふりをして、こうして連絡先を書かせていただきました。』

 そうして薄手の紙袋に入れると、『スサナル先生に返却お願い致します』と書いたメモを貼りつけた。


 学校の受付には、知らない職員さんが座っていた。三送会での来校を告げると、「そちらの緑のスリッパをお使いください。」と、ご丁寧に案内を受けた。

「じゃあ、一時間後に待合で。多少遅くても早くても、今日は下で待ってるね。」

 そう言ってあきらを美術室まで見送ると、慣れ親しんだ西階段から職員室を目指す。
 開け放たれたままになっていた扉をくぐると、やはり、四、五人しか出勤していないのがわかった。

 ああ、いない。やっぱり今日はお休みだ。

 ぐるっとひと通り見回していると、私に気づいた“元”三学年の社会の先生と目が合った。用意してきた本をその先生に託そうと鞄に手をかけていると、彼は私に「スサナル先生ですよね。今、呼んできますね。」と言って、部屋の一番奥へと引っ込んでいった。

 配置換えが済んだ新しいレイアウトの死角になった部分から、ゆっくりと人影が立ち上がる。GパンとTシャツに、さらに上からシャツを羽織った完全な私服姿のスサナル先生が笑顔でやってきてくれた。会話をするのは、ひと月以上ぶりだった。

 三送会の送り迎えで来たのだと告げると、「あきらさんもいよいよ、高校の制服ですね。」と、返ってくる。離れた時間を感じさせない、他愛もない、いつものやり取りにホッとする。だけどさっきから緊張が止まらないのは、その先の甘い世界を思い浮かべているから。

「あの……。先生にその、前に借りていた本を返そうと思って……。」

 他に誰もいなければ、こんな風に誤魔化さなくてもよかった筈だけど、あいにくそう遠くない場所で談笑している人たちがいた。

「……?
僕なにか“お母さん”に、本なんか貸してましたっけ?」

 きっとこの先生なら私の気持ちを察して、口裏を合わせてくれると思っていた。それなのにこの瞬間、私が作った小さな嘘を、ピシャッと弾かれた気がした。丸二年ぶりで“お母さん”と直接呼ばれたことにもヒヤッと冷たいものを感じた。

 受け取ってくれた本をひっくり返しメモを確認すると、それから左手に持ち替えて、図ったように指輪を強調するような角度で構える。体の重心を変えると今度はその分の荷重を、今までとは反対側の足へと移す。その上さっきから咳払いを繰り返している。笑顔を作ってはいるけど、瞳からは光が消えている。

「お母さん、今日はこのまま待合ですか?その格好で、あそこで待つの寒くないですか?」

 もう、駄目だと思った。切りよく追い出されようとしている。全部が終わって振られたと思った。あっという間に心の中が黒い氷で満たされて、ちゃんと喋りたかったのに喉が言うことを聞かなくて、なんとかニ、三回だけ頷いた。
「じゃあ、これで失礼します。」という“音”が、耳まで入ってきてはいるのに、そこから脳が拒絶しているようで、顔を上げることすらできずに重たくお辞儀だけすると、振り切るように背中を向けた。


……


 頭がガンガンする。振られた。全部終わってしまった。

 お風呂でたくさん泣いたあとから、すばらしく皮肉なシンクロに気がついた。
 中学校の入学式を明日に控えた日曜日の今日、カレンダーの日付は四月五日を指していた。スサナル先生と出会った四月五日のあの日から、一日違わず(たがわず)丸三年が経っていた。




written by ひみ

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実話を元にした小説になっています。
ツインレイに出会う前、出会いからサイレント期間、そして統合のその先へ。
ハイパーサイキックと化したひみの私小説(笑)、ぜひお楽しみください。

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ツインレイが普通の恋愛と違うのは、ある意味ここかもしれません。
根底でしっかりと繋がっているのに分離している状態だからこそ、相手の“顕在意識”からの“反発”がありありと、手に取るようにわかってしまう……。
他の恋愛のように、懐柔してなんとかできないかな、といった隙すら与えられてないかんじ。

まさにインフィニティ♾の真ん中。

ここに関しては、近日中にアメブロに解説いれるので、そちらも是非チェックしてみてください。

ちなみに今日のアメブロは、彼の意識が私のアカシックを読んで意外なところにアクセスしちゃった話です。

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