ホッケー【幼少期頃健忘録❌怪我】

私は子供の頃から人の100倍活発で、とにかく走り回るのが大好きだった。

スポーツも好きだし、友達との鬼ごっこ(&木から木に移って、地面に足が着いたら負けの木登り鬼ごっこ)や探検、虫取りも大好きだった。山も森も海も裏庭のようで、いつも駆けずり回っていた。そのためか、打ち身だらけ、擦り傷だらけが当たり前の子供時代を過ごした。(けど、多くは気が付いたら傷ができていたといった感じ。シリーズ?最後、なんでほぼどんな傷でも「絆創膏貼っとけば大丈夫」という思考回路が発達したのかが分かるかも。)

ホッケーのゴールキーパー(ゴーリー)として完全セーブもほぼ毎試合出しており、ホッケー大好きだし、楽しかった。

ゴールキーパーはスーパーセーブの際、体が思考よりも先に動くので、硬いプラスチックの円盤が防具から出た二の腕あたりに何十km/hで直撃することもある。試合後は痛いんだけど、試合中はアドレナリンのためか、痛くない。あと、結局は「こんなスーパーセーブできるの自分だけだよね🎶自分凄すぎ😊運動神経良いよね〜」と誇らしげに感じるので、怪我も勝利の勲章になる。

そういえば、以下の出来事があった。
(教員も皆とっても良い方達だった。以下は唯一といっていいくらい、その時はモヤッとしたレフェリーエピソード。まぁ、レフェリーの判定に100%同意しないのは、スポーツの宿命でしょう。)

ある時、ホッケーをやっている時にオフェンスをやった。

私がシュートをする直前にディフェンスがスティックで私のパックを奪おうとした際、スティックが上まで上がり、私のスティックを握る手の小指に当たった。突き指した瞬間、痛みが走り、一瞬声を上げた。しかし、試合中。(スティックは高く上がりすぎるとハイスキッキングというファール。)

ディフェンス側がザルになった瞬間、痛みに耐えて突き指していない片手で、執念でゴール方向にパックを押し出し、ゴールを狙った。

力なく滑ったパックではあったものの、ゴールに入った。

私としては、怪我にも怯まず、ゴールを狙い続けた渾身の一撃が得点に繋がることにも喜びつつ、痛みなどに動じずプレーを優先した自分の強さも誇りに感じた。

しかし、ゴールが決まった途端、私はレフリーに仮病の汚名を着せられてしまった。レフリーは、私が演技でディフェンスを怯ませたとして、ノーゴールにしてしまった。そもそも、肩よりも高い位置にスティック🏒を上げた時点で、敵ディフェンスのファール。

何よりも、私は実際にそのスティックで突き指をして、指には痛みが走ったのは事実だ。(レフリーにいちゃもんをつけられている最中も痛みはあった。)

レフェリーは、「突き指ほど痛かったら、スティック🏒を動かせるわけがない。嘘の演技は〜」と叱責して来た。

ふざけるな!

私も反論した「突き指は本当だ。片手が痛みで使えないから、あんなに力ない感じにもう片方の手だけでパックを弱く押し出すことしかできなかったのではないか。怪我でもなければ、(この上手い)私があんなパックの飛ばし方するわけないだろう。」と。

レフェリーはノーゴールを取り下げなかったけれども、そこまで言うなら、嘘じゃなかったのかもしれないと認めたんじゃなかったかな?

おそらく、そもそも相手が先にスティック🏒を上げすぎるファール(ハイスティッキング)をしていたので、そこでパックを落として奪い合うパックドロップというやつ(サッカーでいうところのスローインみたいな感じだけど、レフェリーがパックを落として敵味方のパックドロップの原因に係る二人がパックを取り合う)が行われることになったんじゃなかったかと思う。

私は、小指を突き指していたので、まだ指には痛みが残っており、グリップの握りがいつもの自分には劣る。その中での、スティックがぶつかり合うパックドロップは痛い。突き指直後に力も瞬発力も必要で、衝撃が免れない行動は、ちょっとしんどかった。(けど、そんなことよりも、仮病の汚名を着せられたことには納得いかなかった。普段のプレーからは、明らかに私の方がいつも上手い。だから、多少のハンデならば、相手に勝ってパックを取れる可能性もあった。しかし、ここで怪我の痛みを我慢しながら、普段に劣るプレイで、シュートやパスを決めたとしても、「やっぱり、そんなにプレイできるんなら、怪我してなかったんじゃん」という汚名が色濃くなるだけという状況を脱したかった。加えて、怪我中という理由だけで、その奪い合いに負ける可能性も結構あった。あと、たかが突き指、されど突き指。この時、小指がいかに大切な指か体感した。)私はまだグリップ力が回復していなかったので、代行をお願いした。

この時、この後どうなったかは覚えていない。

ただ、教員含む指導者に言いたいことがある。

子供が泣いていないという理由だけで、仮病だとか、怪我が軽傷だと決めつけないで欲しい。

幼い子供でも痛みに人一倍強く、教員自身ならばその場で泣き崩れて動けなくなる怪我でも、痛みに耐えられる生徒がいるかもしれない。ただ涙を流していないという理由やその場の対応が冷静だという理由だけで、「痛くない」とか「仮病に違いない」と決めつけないで欲しい。

稀に、常軌を逸した忍耐力があったり、そもそも痛みが感じられない病気が隠れていたりすることもある。(私は麻酔無しで自分の切り傷を縫合できる。皆の悪夢、手術中に麻酔が切れたアウェイクの状態で術者が私の体内で手や手術器具をフル活用して止血をする状況にも陥ったことがある。それでも、脈は大きく乱れつつも冷静に術者や麻酔科との意思疎通を図ったし、微塵も動かなかった。痛みの感じ方も、そのような事態での行動にしても個人差が大きい。)

目に見える痛がり方だけが、怪我の指標じゃないからね。(クドい)

第一、子供は結構純粋だ。大人が変な入れ知恵をしなければ、正々堂々戦って勝ちたいと考える子供も多いはず。若いほどに、きっとそうだろう。しかし、あらぬ疑いをかけられると、それがキッカケで拗ねることもあるかもしれないし、その疑われた内容から変なタクティクの存在を知ることもあるかもしれない。

先ずは、生徒を信じようよ!

あと、ここ大事❗
スポーツは自分が勝るから、勝った時に嬉しいものでしょ。
戦略もそのうちとはいえ、卑怯なやり方では、ゲームには勝てたとしても勝負には負けているんだよね。そんなの楽しくもないし、気分悪いだけじゃん。
特に、スポーツが好きな人間は、多分自分の向上心と…… やっぱり相手に勝ることが好きだと思う。言い方は悪いかもしれないけど、自分が強くて上手いから、それも楽しみの一つなんだよね。見せかけだけ勝つというのは、正直楽しくはないと思うよ。(ファールを喰らった時に、上手くそれを自然に周囲が見えるちょっとオーバーな反応をするのは、一応タクティクス……とはいえね。)

小賢しい演技ってのは、大人の世界や一発勝負ではどうか分からない。けれども、自分の運動神経と身体能力を心底信じている若年層は、自信が凄いし、やれば向上してできるようにもなるし、勝てるようにもなると信じている。学内の試合で、自分の強さを信じている人間が、仮病を使う理由などどこにもない。(第一、練習でそんなことしてたら、上手くなれなくない? 本末転倒だよね~。)

変に疑う暇があったら、その生徒の良さを輝かせてあげられる方法を考えて欲しい。

(この教員は良い先生だった。この一回の、確かに相手がスポーツから意識を逸らした瞬間のまぐれのようなゴールは一瞬の判断では、ノーゴールにするのが真っ当だとも思う。スポーツ中の出来事はフィールド内に留めるのが礼儀。プレーヤーもレフリーもその瞬間一所懸命に真っ直ぐ、そして一瞬の判断で色々行う。

ただ、生涯を通して色々な人々と接触している。稀とはいえ色々な場面で、疑われずとも、怪我や疾病関係でイマイチ理解はされなかったこともないわけじゃない。私達は世界の全てを知らない。というか、この世に全知全能な人間など一人もいないよ。もし、教員が知らないことや理解できないことに遭遇したら、先ずは教員自身の常識と知識を過信しない姿勢を持ってもらいたい。)

繰り返すようだが、スポーツは楽しむもの。

楽しく励もう〜🎶

そして、教育者は純粋な気持ちで、真っ直ぐ目の前の生徒を信じてね。(それで裏切られて教員が辛いことがあったとしても、99%の生徒は善良で向上心があるんじゃないかと思いたい。仮に真っ直ぐな姿勢じゃなかったとしても、信じてもらえたら、だんだんと真っ直ぐになっていくんじゃないかな?)

そして、色々と耐性があるのは、それはそれで良いことだとは思う。

とはいえ、感情や苦痛を見せられるのも、周囲を頼れるのも、誤解があった時に適切なコミュニケーションを取れるのも大事なことだろうね。

周囲にしっかりと必要事項を伝えたり、相談したりして、より良い解決策を導き出すのも大切だと思う。

今を大切に生きよう!

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