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かなえたい夢 明るい時代への流れを再び その1 〜イスラエルとパレスチナの平和 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 いい歳をして何寝ぼけた甘っちょろいこと言っているんだと言われそうですが…

 1989年のベルリンの壁崩壊に象徴される

明るい時代への流れを再び

そのサブタイトルの1つが

イスラエルとパレスチナの平和


 これをかなえる為に

IT普及による民度の底上げ

に人生を賭してきました。

 私がテルアビブに駐在していた頃は1980年代末以降からつづく中東和平が“曲がりなりにも”機能していました。

 日本のODAを使ってのパレスチナへの支援の現場にも立ち会って、日本の総合商社さんなど高い倫理感でビジネスを通じての支援をされている姿に感動しました。

 でもたまにはこんな事も…

 まぁ、長く居ると色々有りました。

 そもそも日本のバブル期終焉の頃までは世界的にとてもよい状況が進展していました。例えばパレスチナ問題で言えば…

オスロ合意(オスロごうい、英語: Oslo Accords、アラビア語: اتفاقية أوسلو‎、ヘブライ語: הסכמי אוסלו‎)は、1993年にイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)の間で同意された一連の協定。

出典

 1990年代半ば過ぎ位までは、イスラエルの方もパレスチナの方も何となく少しずつ少しずつ融和して

例えばこんな感じ…

このまま漸次的に和平が定着していくのだろうなぁと楽観的に考えて居ました。
 しかし、人類の民度はまだそこまで行っていなかったようです。そして時代は下って至近パレスチナがイスラエルに大規模攻撃を行うという悲しい出来事が発生してしまいました。

 それでも人類の大きな流れのベクトルは、多少ぶれても世界的平和達成に向けて良い方向に必ず修正される歴史を私は知っています。

 そして1990年前後の時代の全てが満を持したように、まるで青い鳥の話や弁証法、西田幾多郎の円等の様にまるで円、螺旋を描くようにジワリジワリと動く感覚も私は知っています。

 そんな人類への基本理解から…

 考え抜いて、その夢を実現するソリューションは、”IT普及による民度の底上げ“が最も効果的と結論付けました。ですからこれからも引き続き私ができる方法でそれを進めるしか無いと改めて決意した次第です。

 これをnoteを使って話題にしていることも、ある意味で私ができることの1つですから。

蛇足
 何甘いこと言ってると言われても…


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