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【読書感想文】ただしさに殺されないために~声なき者への社会論~御田寺圭(白饅頭)|①分断編|


「ただしさに殺されないために~声なき者への社会論~」。

私はこちらの本を、著者ご本人から、無料でプレゼントしていただいた。

「ただしさに殺されないために」、略して”ただころ”とは、連日のように事実それ以上陳列いけない罪案件を犯し、さらには白饅頭フォロー罪、白饅頭RT罪、白饅頭購読罪などを犯す罪人を世に放ち続ける、白饅頭尊師の著書である。

ちなみに私も、フォロー罪とRT罪、購読罪を犯している。

本書の帯には、このように書かれている。

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社会を引き裂く事件の背後に何があるのか。

ただしさと承認をめぐる闘争が日常と化したSNS時代に宿る<狂気>を解き明かす。

多様性の名のもとに排除し、自由、平等を謳って差別する

美しい社会の闇の底へー-


言葉を奪われた人びとの声なき叫びを記す30篇

本書は人のやさしさや愛情が社会に落とす暗い影の記録である。

私たちは、自分の中にある「悪」にまるで気づかなくても自覚的にならなくても生きていける。そんな平和で安全で快適な社会で暮らしている。自分たちが狭量で排他的な人間であることから、ずっと目を逸らしていける、配慮のゆきとどいた社会に生きている。

ひとりひとりが抱える心の傷と痛み
だれもが内に宿しているちいさな差別心…
世界が複雑であることへの葛藤を手放し
だれかを裁くわかりやすい物語に吞み込まれた
感情社会を否定する  

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まるで、「フェミニスト」や「リベラル」、「人権活動家」などが闊歩する「インターネット世論」に、中指を立てるかのような紹介文だ。

このような暗黒の書籍を読んでしまって、本当によいのだろうか。

世間の「ただしさ」に迎合してそれらしく振る舞っていた方が、楽に生きられるのではないだろうか。

そんな考えが頭をよぎる。

しかしだ。

「ただしさ」に迎合したとして、それが本当に世界を明るくするのだろうか。

私の考えは否だ。

よって私は、「ただころ読破罪」へと歩みを進めた  

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「ただころ」は、序章・終章を含む全7章、30節によって構成されている。

本来であれば全章について詳細に語っていきたいところであるが、有料の書籍であるからそういうわけにもいかない。

そこで、少しだけを抜き出して語っていきたいと思う。

(注)「引用箇所(出典あり)」以外の記述はすべて私見であり、御田寺圭氏の思想とは何ら関係がないことをここに明記しておく。

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今回の襲撃犯のような人間が、この世界に「分断」の種をばらいたのだろうか?

 いや、そもそも世界は、お互いが見えないくらいの距離に引き離されていたのではないだろうか。

 かつてのように別々の国で暮らしていればそれで大きな軋轢あつれきは生じえなかった人びと  換言すれば人種だけでなく宗教も文化も価値観も規範も秩序も異なるがゆえにけっして交われず相容れない人びと  の分断を解消し、無理やりに隣人としてしまったことで、「憎悪と殺意」が喚起されてしまったのではないだろうか。

ただしさに殺されないために~声なき者への社会論
序章|「私はごく普通の白人男性で、現在 2 8 歳だ」より

私はこの文章に、深く共感する。

人間というのは大なり小なり、そもそも分断されているものなのだ。

大きな分断で言えば、「民族」や「国家」だろう。

日本民族大和民族など、漢民族、朝鮮民族etc…

極東アジアだけでもさまざまな民族・国家が存在し、それぞれ、文化や価値観、倫理観、規範、秩序などが異なる。

これらは分断されていてしかるべきなのだ。

それぞれの民族・国家にはそれぞれの歴史があり、「異なる歴史」からは、「異なる文化」や「異なる価値観」が生まれる。


その「異なる文化」や「異なる価値観」は、もちろん親和的である場合もある。

しかし、残念ながら「混ぜるな危険」である場合がほとんどなのだ。

近年の日本を例に挙げてみれば、「土葬」の問題がある。

国土面積や土壌の関係から、「火葬」が99.9%である日本。

そんな日本に、「土葬」を文化としてもつムスリムイスラム教徒がやってきて、「自分たちを土葬で弔え」と言っているのである。

もちろん、周辺住民は猛反発。なかなか決着がつかない状態となっている。

これは完全に、「混ぜるな危険」の例であると言えるだろう。

ムスリムはムスリムの国で、日本人は日本人の国で、と分断されたままであれば、このようなことにはならなかった。

あるいは、ムスリムたちが「郷に入れば郷に従え」の精神を持っていれば、このようなことにはならなかった。

しかし、残念なことに、「郷に入れば郷に従え」を常識とする民族は、日本人だけであるように見える。

世界で「移民」を受け入れた国を見れば、これは火を見るよりも明らかである。

「移民政策」には、在日中国人の国家情報法・国防動員法など からも反対するが、根本的に、「ほぼ同一民族の島国」である日本に、異なる文化・価値観を持った移民を受け入れることなど不可能なのだ。


移民国家人種のサラダボール」であるアメリカでさえ、「移民問題による非常事態宣言」を出す事態になっている。

戦後、アメリカの占領を受けてもなお、(かなり薄められたとはいえ)文化を奪われなかったほど、強固な独自文化を持つ日本が移民を受け入れればどうなるか。

想像にかたくない。

「多文化共生」などと美しい言葉でラッピングされた「ただしさ」のリボンと包装紙を剥がせば、中に入っているのは「多文化強制」、「文化的侵略」でしかない。


そもそも、人類が「国境」をつくってきた、もっと言えば動物が「ナワバリ」をつくってきたのは、不用意な争いを避けるためなのだ。

それでも、「内戦」や「戦争」の歴史は絶えない。

人類は、「国境」や「民族」の分断を消し去ろうとすべきではない。

国境が消えた「新疆ウ東トイグルキル自治スタン区」、「内モンゴル自治区」、「チベット」の現状を見てほしい。

”ただころ”にも、(おそらく引用として)こう書かれている。

多様性とは脆弱性であり、画一性こそが強さなのだ(DIVERSITY IS WEAKNESS, UNITY IS STRENGTH)。

ただしさに殺されないために~声なき者への社会論
序章|「私はごく普通の白人男性で、現在 2 8 歳だ」より

単一性、目的、信頼、伝統、民族主義、そして人種主義こそが強さを与えてくれるのだ。それ以外のものは強さを与えたりなどしない。単なるキャッチフレーズにすぎない。

ただしさに殺されないために~声なき者への社会論
序章|「私はごく普通の白人男性で、現在 2 8 歳だ」より

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我々は今一度、「分断」というものについて考えるべきなのかもしれない。

それも、「根本」からだ。

「分断」とはいったい何なのか。

その「分断」は、本当に無くすべきなのか。

無くすべきなら、どのようにして無くすべきなのか。

「分断」を無くし、「美しいただしい世界」をつくろうとした国家が、その「ただしさ」によって崩壊しそうになっている。

「ただしさ」の裏で、虐げられている人がいる。


そんな今こそ、根本に立ち返り、「フラットに」物事を考えることが必要なのではないだろうか。

「ただしさ」に侵された世間が怖いなら、考えるだけ考えて心にしまっておけばいい。

大丈夫。

今、世界各地で「揺れ戻し」が起きている。

きっと、あなたが胸を張って主張できる世界がやってくる。

私は、そんな世界への扉をこじ開けるひとりになろうと、歩みを進めるつもりだ。

社会の変化を感じられるようになったとき、あなたの口からも、熟考の答えを聞けるようになることを切に願っている。

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このような調子で読書感想文を書きながら"ただころ"を読み進めていたところ、半分ほどしか読んでいない段階で、文字数が10,000字を超えてしまった。

そのため、"ただころ感想文"については、"ただころシリーズ"としていくつかの記事に分割して公開しようと思う。

ひとつ言えることは、「ただしさに殺されないために」は近年まれにみる良書である、ということだ。

ページをめくる手が止まらない。

2,200円と、書籍としては若干、値の張る代物ではあるが、金額以上の価値は十二分にあるだろう。

ぜひ、1冊。

可能であれば、ご家族やご友人にも1冊と、お手にとっていただきたいと思う。

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"ただころ"シリーズは、こちらのマガジンにまとめてまいります。マガジンをフォローいただきますと、全記事を漏れなくご確認いただくことができます。

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