マガジンのカバー画像

【雑記集】※いたって個人の感想です。

538
雑記・随筆も、書くのが楽しいですね。いや、雑記や随筆こそ、書くのが一番楽しいかもしれません。 そしてこの誰に宛てているわけでもない文章が、漂流して、まったく見知らぬ(かもしれない…
運営しているクリエイター

2023年8月の記事一覧

「見せかけ」だけが嵩張る感じは…

「見せかけ」だけが嵩張る感じは…

「見せかけ」自体を否定する気はない。
が、「見せかけだけ」「見せかけさえすればそれでいい」みたいな精神は、ホント邪魔だと思う。

「見せかけ」って案外かさばる。
そのせいで「実」が入る余地がなくなったりもするのだ。(何故だかそうなる。)
中身が空でも、外側って中身以上に体積とることも多い。
あるいは、その「外側の皮」の厚さで、そもそも「実」が入るのを拒むようになってしまったり。
そういう類の「見せ

もっとみる
「試されている」と思えば腑に落ちるとも言える

「試されている」と思えば腑に落ちるとも言える

ある程度の年月を生きながらえていて、「何もない」人は、ほぼいないのかもなあ。
と、人の「試練」について考える。

環境の変化然り、人間関係然り、自身の健康然り、である。

「試練」については、文字通り、「試されている」のだと、私は思うことにしている。

これは、その「試練」の「せい」にはできないよ、ということでもある。
――自分自身の、その「人間性」とか「心の聖域」とか、それでも守りたい、崩された

もっとみる
「期待」が「自由」を殺すこともある

「期待」が「自由」を殺すこともある

本当に本当の意味で
自由になりたければ、
人様や世間様に
「自分本位の」期待をしない事だ。

(――いや、
「これは本来修正されるべきことだ」
というようなことは、そもそも、
少なくとも今回の記事で言う「期待」とは
ちょっと違うものなので、
それは外して考えるとして、)
「そのままでもいい」とか
「それで仕方ないか」とか
思えることにまで、
「いや、そこをなんとかお願い!」とは
期待しないよう

もっとみる
「自分の好きなもの」を自分の世界の中心に置けばいいのか

「自分の好きなもの」を自分の世界の中心に置けばいいのか

犬や猫ですら、人のことは(多分)人だと認識できるのに。

人こそが、人のことを人とも思えなかったりする。――そんな世界が、虚しすぎるのである。
(国内然り、国外然り、である。)

「チェスの駒じゃないんですよ? その人も、この世にたった一人しかいない、命を持っている人なんですけど?」
「食う飯にも困っている子供がいるというのに、どうして税金でそんなことができるんだろう……。」

「仕方ない」と思え

もっとみる
つい逆さまにしてしまいがちかもしれない

つい逆さまにしてしまいがちかもしれない

形あるもの、目に見えるものを美しくする事は、 お子様にだってできるのだ。
形ないもの、目には見えぬもののほうを、 美しく仕上げてこそ、大人。

「人から認められる」事より前に、「人の役にたつ」事の方が大事にきまっている。

――くれぐれも、これらのことの順番を、逆にしないようにする。

結果の前には、原因があり、いや、更にその前に、そこに辿り着く過程や方法・手段があったかもしれない。

悔やむべき

もっとみる
「やらない」「しない」は「やれない」「できない」と一緒

「やらない」「しない」は「やれない」「できない」と一緒

「やらない」「しない」は即ち
「やれない」「できない」と一緒、
と、考える事にする。

例えば、他者に対して。

「どうしてあの人やらないんだろう。」
と考えると、
ちょっとイラっとくるけれど、
「どうしてあの人やれないんだろう。」
に置き換えると、
あまりイラっとしない。

(人が能力的に「できない」事に対して苛立つのって、
苛立つ自分の心のほうが狭い感じがするので。)
そうすると、

もっとみる
「毎日」とは人生の最期に見る「走馬灯」をゆっくり眺めているようなものなのだ

「毎日」とは人生の最期に見る「走馬灯」をゆっくり眺めているようなものなのだ

今回の元タイトル。
「『最期』に問うことを基準に生きてみる」。
(こっちのたほうがわかりやすかったかな??)

(以下、本文です。)

「いかに人より多く得をしてきたか」
なんてことを、
死ぬ間際に真っ先に思い返す人って、
あんまりいないと思うんだよなー。

――いや、
何が言いたいのかというと。

人より損した得したなんて、
そこらへんは割と
「人間が人間として生きる」
にあたっては、割と
どー

もっとみる
自分の不満体質に気づきたい(人間とはそういうものなのだとしても)

自分の不満体質に気づきたい(人間とはそういうものなのだとしても)

自分の方が恵まれている部分については、何も感じない(=当然と思っている)のに。
自分の方が、我慢してきたとか損しているとかついていないとか、 そういう事についてだけは、より敏感に反応してしまう。

人間って(もちろん自分も含む) どうしてもそういう所あるけど、――ついついうっかり、そうなりがちだけど。

しかし、それはそもそも見苦しい事だし、「見苦しいことだ」と、せめて気づけるようにはしておきたい

もっとみる
「脱線可能」なこの線路(笑)

「脱線可能」なこの線路(笑)

これまでに「願った通りの道」を進んでいたならもちろん、 ――いや、「無難かな?」程度だとしても。
そういった道がもし開けていて、自分がそこを進んでいたなら、(自分の性格からするとだけど)そこからあえて大きく逸脱してみるような事はできなかっただろうなー。

今頃になって、「脱線しても支障がない」この線路を進んでいてよかったんじゃない?なんて思い始めている。
(あくまで 「自分の場合は」です。
……他

もっとみる
「思い通りにならない」にも効用がある?

「思い通りにならない」にも効用がある?

欲するものが、欲した途端、欲するままに、片っ端から何もせずすべて手に入っていったら?
――たぶん、それらのものの価値が、 (少なくとも自分の中では、) どんどん下がってしまいそう。(それもまたおかしな話なんだけれどもね。)

そして、 本来、値踏みできないようなものまでも、 まるで物価のように、その価値が自分の中で「下落」してしまいそうな気がする。

結局。

欲していたものの本当の価値とか、欲し

もっとみる
「盲目的な愛」は、それ、愛じゃないと思う

「盲目的な愛」は、それ、愛じゃないと思う

愛するものの中身にだって、 嫌いな部分や間違っていると思える部分が混じって含まれてしまうのは、 むしろフツーの事。
――そういう部分ひっくるめて愛するのが、愛だよな、と、私は思っている。

まず。
「何でも絶対的に跪いて従う」ような、「絶対的」言うなれば「盲目的」な愛は、それ、本来の「愛」とは別の類の「愛」だと私は思うし。
(すると、「そっちの愛」の対象は、「絶対こうでないといけない」みたいな、妙

もっとみる
過去は「存在しない」-振り返るのはいいけど、後ろ向きじゃ進めないから-

過去は「存在しない」-振り返るのはいいけど、後ろ向きじゃ進めないから-

人生とは、 過去に起きた事で構成されているのではなく (だって過去には戻れないし)、 これからの未来に起こる事「のみ」で構成されているのだ。

と、それなら「思いこんで」しまうのも、一つの手だよな。
(過去は「ガイド」にはなるけどね。)
(そして、 いつも昭和とか80年代の事とかばっか言っている人間が言う所の、この説得力の無さたるやこれいかに。笑)

だって過去のことなんて、ただの「記憶」――いや

もっとみる
ほとんどの人がしている「人生で一番高い買い物」

ほとんどの人がしている「人生で一番高い買い物」

分割払いではなく、一括払いで計算してみると。

たとえば、住環境に払うお金 (月々の家賃、光熱費と、あと住民税とかも含むか。)とか。
結構な、「ちりも積もれば高額」な買い物になっていたりするんだよなあ。
(死ぬまで続く月賦のローンみたいなものですもんね。)

安アパート……いいえ、清貧生活を自負する(自分で言うか?笑) こんな私でさえも。

「暮らしていくこと」は、それ自体が、結構な「贅沢品」な

もっとみる
「ストレス」についてのメモ書き

「ストレス」についてのメモ書き

ストレス。

その発信元が人だと思うと、 理不尽を感じ、 イライラしたりもするが。

そもそも、自然界からも ストレスというのは来るのだ。
――花粉、強力な紫外線、酷暑、極寒……等々。
(多すぎる、強すぎる、高すぎる、低すぎる……もう!非常識にも程がある!!ちょっとは人のことを考えられないの??理不尽すぎる!笑)

ストレスは全部、 (人からだろうがどこからだろうが) 自然とそこに発生してくるも

もっとみる