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「脱線可能」なこの線路(笑)

これまでに「願った通りの道」を進んでいたならもちろん、 ――いや、「無難かな?」程度だとしても。
そういった道がもし開けていて、自分がそこを進んでいたなら、(自分の性格からするとだけど)そこからあえて大きく逸脱してみるような事はできなかっただろうなー。

今頃になって、「脱線しても支障がない」この線路を進んでいてよかったんじゃない?なんて思い始めている。
(あくまで 「自分の場合は」です。
……他人様におススメはいたしません。笑)


ここまでの現実として、「思いがけない脇道」にやむを得ず(なのか?笑) 逸れる機会が何度もあって。
しかし、「結果としては」(あくまで「うまいこと偶々」の「結果的には」である)こっちの方が、 自分らしくて(自分らしくいられて)よかったな、 という、 そういう話であります。(笑)


吉と思っている事の中にも、気づかない凶(残念な事とか)は混ざっているし、 凶と思っている事の中にも、思いがけない吉が混ざっている。

……って事なら、 吉とか凶とか考える事自体、そもそもあんまり意味がないんだろーな。(笑)


それに、 「もしも○○だったら」という仮定は、あくまで仮定でしかない。

仮定なんて、考えだしたらいくらでも、キリなく出せるのだ。

現実はたったひとつだけだ。

たった一つだけだから、「現実」こそが 文字通りの「掛け替えないもの」なのだ。
(替えが効かないからこそ、「現実なんて尊いもの」というところに、私は行き着くのだ。
――「いくらでも交換可能、やり直し可能」だったら、そこまでありがたくもないでしょう?こんな現実世界。笑)