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「ストレス」についてのメモ書き

ストレス。

その発信元が人だと思うと、 理不尽を感じ、 イライラしたりもするが。

そもそも、自然界からも ストレスというのは来るのだ。
――花粉、強力な紫外線、酷暑、極寒……等々。
(多すぎる、強すぎる、高すぎる、低すぎる……もう!非常識にも程がある!!ちょっとは人のことを考えられないの??理不尽すぎる!笑)


ストレスは全部、 (人からだろうがどこからだろうが) 自然とそこに発生してくるものだ、と、まずは思おうかと。

マスクしたり日傘挿したりするのと同じような 「回避していく」感覚で考えようかと。



言うなれば、「ストレスを自分に与える人」が「発生」すること自体は、たとえば、「台風が発生する」のと同じくらい、仕方がないと考える(ように意識的にする)。

――つまり、その「ストレスの根本」について、「そんなの間違っているから、これを消し去らねば」などと意気込まず、まずは、ただただ「避難行動をとる」。

つまり、「その、仕方なくやって来たものから、どう逃げるか、どう避けるか」を主軸に、とにかく「どう動くか」を真っ先に考えて、身を護る、ということ。

道徳的なこともそりゃあもちろん考えてもいいのだが、順番としては、「身を護る行動をどうするか」を考えるのが先。
――だって、「台風が来る」のは、(その台風が「人として、道徳的に間違っているもの」だとしても、)仕方ないことだから。

自分の「気分良い毎日」は、自分でまず守るしかないのである。
そこを守ることが、第一。



ま、でも正直、「強いストレス」として感じるもののその発生源は、だいたい「人」ですよね?(笑)

だから、「この世に人が一人もいなくなれば、ノーストレスで生きていけるのに。」なんてことも、一瞬、私は考えたりもしますけど。
(きっとフツーはそう考えないですね。笑)

でもねえ。

この世に人がいなければ、たとえば、こうして書いたものを読んでくださる方もまた、「誰もいない」という、そんな世界になるわけでねえ。

「人がいることによる恩恵」は、確かに与っているわけだから、まあ、(「いろんな人がいる」というのは、人がこの世にいる以上、避けられないことだろうとも思うので、)「人から受ける被害」も、ある程度は、(「受け入れる」必要は全くないが、)「そこにそれがある以上、そういう環境なのだな」と、割り切って避難行動をする部分もあっても仕方ないのかもな?

と、考えたほうが、精神的に良さそうだな(あくまで自分の場合は)、という、ただただそれだけの話でした。

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