見出し画像

「見せかけ」だけが嵩張る感じは…

「見せかけ」自体を否定する気はない。
が、「見せかけだけ」「見せかけさえすればそれでいい」みたいな精神は、ホント邪魔だと思う。

「見せかけ」って案外かさばる。
そのせいで「実」が入る余地がなくなったりもするのだ。(何故だかそうなる。)
中身が空でも、外側って中身以上に体積とることも多い。
あるいは、その「外側の皮」の厚さで、そもそも「実」が入るのを拒むようになってしまったり。
そういう類の「見せかけ」は、殊更いらない。


形に表せないもの、 目に見えないものほど、 「その本人にとっての」都合のいい形に変質してしまう事は、 よくある気もする。
(しかし、無意識なので、その本人も案外そのことに気づかない。)

――「見せかけ」の弊害って、 そういやよくある大きいのが、もう一つあった。

それは、本人がその「見せかけ」の方を、いつの間にか「実」だと思い込んでしまう事だ。
そうなると、 自分の胸に手を当てるような仕草だけを表面上したところで、本人の「実」も「本音」も、どこにも探し出せなくなってしまう。


そんな時、「本当」や「真実」は、時に、一番遠くにあったりする。
――本来、それらは一番シンプルで「紛れもない」ものではある筈なのだが。
しかし、位置的に、 その手前側にズラッと平気でたくさんの「嘘」が立ち並んで置かれ、そうなると性質上、「本当」「真実」はその奥、背後に追いやられてしまうものなので、 一番奥の一番遠くに在ったりすることもある。

また、ふと思ったことなのだが。

「平気で人を騙す人」は、 もしかしたら「本当は自分で自分のことを嫌っている類の人」なのかもしれない。

「人を騙す」ためには、まず、順番としては先に「自分を騙す」ことが必要になる。

繰り返すが、「見せかけ」というものを、私は全否定しているわけではない。
――ないのだが。

「それだけ」「そっちがメイン」になることは、「空っぽでいいや」と、自分や自分が認識する世界のその「中身」を捨てることになる、というのは、自戒として自分によく言い含めておきたいと思う。



そして、偽る事や見せかける事の簡単さが、それらを見破る事の簡単さより、 明らかに上回ってしまう事の方が多い、という事実である。
それこそがが元凶なのだともまた思う。
――世の中の多くが、 せめてその逆ならまだよかったのにな。

(本日は漠然とした話でスミマセン。いろんなことに当て嵌められる話だと思います。)