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【雑記集】※いたって個人の感想です。

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雑記・随筆も、書くのが楽しいですね。いや、雑記や随筆こそ、書くのが一番楽しいかもしれません。 そしてこの誰に宛てているわけでもない文章が、漂流して、まったく見知らぬ(かもしれない…
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2023年5月の記事一覧

「もう若くないから」って言う意味があまりなかった自分の場合

「もう若くないから」って言う意味があまりなかった自分の場合

若い人を見て
「若いっていいわねー。」と
思う事はよくあるが。

自分の若い頃を振り返っても
「いいわねー。」的な要素が
あまり見つからない。(笑)

たどり着きたい目的地が、
もう既に存在するものとするなら。

そこにたどり着くための道や地図を、
新たに、
見つける事、つくる事こそが、
どちらかというと
「生きる」という事なのであり。

ならば、
目的地に
たどり着いてしまっていなくて、

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「集中」とは一種の「快感」である

「集中」とは一種の「快感」である

集中って、
一種の快感だと思う。

――メンドーな事やイヤな事ですらも、
集中してやると、
ちょっと気持ちいい気がする。(笑)

そして言うまでもなく、それが
メンドーでもイヤでもない場合、
つまり、
自然と、意識せずとも、
気が乗って、
自分の集中が向くことこそが、
実は、何にも勝る
「最上の快感」を
もたらすものだと思う。

そういうものを、
もっともっと
大切にしたいものだ。
(「大切なもの

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善人風を「装う」人間は嫌いだ

善人風を「装う」人間は嫌いだ

一見、至極善人風を装っていながら、実はそうではない人と。

基本は悪人なのだけど、断片的にはよいところが見え隠れする人と。

比べると、後者のほうが、善い部分が際立って見えるわけから、考えようによっては、得だよね。でも、それって実際の人間性を測る上ではどんなもんだろうね?

――なんて話題が、時々出ることがあるけれど。

しかし、「私個人としては、」後者のほうがまだ、良い印象だったりする。

――

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「切に生きる」というテーマを失いさえしなければ

「切に生きる」というテーマを失いさえしなければ

ここのところ、

とか、あるいは、

とか。

そんなことを書いては来ましたが。

とはいえ、
大前提として。

「切に生きる」
という、
このことを失いたくはない。
――まず、
いついかなる場合でも、
これだけは、絶対条件。

そこだけは、「死守」したい。

(逆に言うと、
これさえ捨てなければ、
「心のままに」とか
「気楽に」とか
そういう生き方も、
いずれ「虚しい」に変わったりはしない、

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「鬱々とさせるもの」はもう何も要らない

「鬱々とさせるもの」はもう何も要らない

それがどんなに
素敵なことであろうとも。

それを欲したり求めたり追いかけたりすることで、
自分の気持ちのほうが
鬱々とするばかりなら、
もうそれを
欲したり求めたり追いかけたりしないでおこう、
と、思う。
(――というわけで、
今回は完全に
個人的感想ですね。笑)

いや、
「それでもそこを何とか!」みたいな
気迫のほうがまさって湧いてくるなら
いいのだけれど。

それすら負けるくらいになったら

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ふっと力を抜いた時にでる力

ふっと力を抜いた時にでる力

たとえば、「書くこと」についてで考えてみれば。

「自然と動き出す筆の力」を、もっと尊重したい、と、私は最近よく考えるのである。

と、なると。

そこに、「ウケたい」「評価されたい」といった「打算的意識」は、なるべくなら、入り込まないほうがいい。
(人間だから多少はあっても仕方ないけど、「それが書く目的」とはならないようにしたい、ということ。)

そうそう。

この間読んだインターネット記事の中

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そのうち心が動かなくなるから

そのうち心が動かなくなるから

「人生に目的意識は必要」
という心掛けは、
正しいのかもしれない。

が、
あまりにいつでもその心掛けに
支配されていると、
自然発生的に生じる衝動の力を
みすみす殺してしまうような
気もするのだよなあ。

「頭で考える」事より
「心が動く」事の方を
最近、
もっと尊重したい気がしている。

「素直」「純粋」=「賢くない」
みたいに、
どこかで漠然と
イメージしている自分が
これまでにいた気がする

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「情報過多」のせいで時間の流れ方も早い気がする

「情報過多」のせいで時間の流れ方も早い気がする

歳をとったせいもあるとは思う!

――思うのだけれど。

でも、そればかりでもないような気がする。

このところ、時間の流れ方が、昔より異様に早く感じられるようになったのって、「一日に触れる情報量の多さ」も、関係しているような気がするのである。

つまりこれって、すぐに記憶が、新たに入ってくる多量の情報により、「薄まる」あるいは「奥に押し込まれる」感じというか。

「概していつでもどこでも好きな時

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生まれる前から知っていたのか、生まれてこの世で学んだのか

生まれる前から知っていたのか、生まれてこの世で学んだのか

「哲学の学び直し」をやってみようなんて思い立ち、先日、哲学に詳しい人に「初心者なら、どこらへんからなら、読み易いですかね?」(すぐラクをしようとする私。笑)(でも、哲学の本って、読みにくいのが多いんだもん!!)と、お聞きしたところ。

プラトンの『メノン』が、対話形式で書かれており、とっつきやすいのでは?と教えてもらった。

と、いうわけで、早速amazonの古書を注文をしたものの――届かない!(

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#哲学

#哲学

「#哲学」――うん、何だか自分で自分の書いたものにこのハッシュタグをつけるのって、畏れを知らないというか(笑)、「この人、自分でよく言うよ」「何気取ってんの?」なんて思われるんじゃないかとか、そんなふうにこれまでは感じていたんだけど。

でも、自分が一番、書きたいし、突きつめたいのって、ジャンルとしては「哲学」なんじゃないかなあ、なんてこの頃は思っている。

学生時代に、もっと勉強しておけばよかっ

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自分が他者を「正す」ことはできないと思うので

自分が他者を「正す」ことはできないと思うので

タイトルについて――いや、先に誤解のないように言っておくが。

他者の「間違い」を、だから「全面的に受け入れろ」とか、「全部に目を瞑って諦めろ」とか、そんなことを言いたいわけではない。

「それは人として間違っていると思いますよ?」
「自分はそれを正しいとは感じられませんが?」
ということは、そう思い感じるならばその相手に、伝えるだけ伝えたり、説明を試みたりは、したほうがいいとは思う。

――ので

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自分のいる世界くらいは上機嫌に、どんな手を使ってでも(笑)

自分のいる世界くらいは上機嫌に、どんな手を使ってでも(笑)

「自分本位」というと聞こえが悪いのだが。
しかし、「自分の人生本位」「自分の時間本位」で、人というものは本来いいのではないか、と、私は思っている。

いや、「他者本位」でも、もしもそこに全く不満が湧かないというのなら、それは素晴らしいことだし、いいのだが。
――しかし、私はやはり、自分で心から望んでそうする場合以外には、「100%のそれ」を延々と続けていても不満が全く湧かない、というようには、どう

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「自罰的」禁止令

「自罰的」禁止令

はじめに、この記事のここの部分について。

では、「わかりやすくない楽しみ」って何よ?というところなんですが。

例えば。

もし自分が今から、病を患い、日常生活にも支障をきたすようになったとしたら、当面の「望み」「目標」は、まず何より「治療して回復させ、元の健康な身体をとり戻す」になるかと思うのである。
そして、回復を辿る経過の中で、「やった~、これができるようになった」とか「これが食べられるよ

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「足るを知る」のは自分をなだめるためではない

「足るを知る」のは自分をなだめるためではない

しかし。
私にとってのこの「知足」――「足るを知ること」とは。
それを自分に、言い聞かせ、言い含めるためでも、または、自分の止まらぬ欲を、たしなめるためでも、なだめるためでもない。

(※15年前のこの頃とは、少し自分も変わってきたんだと思います。
――この頃の「知足」は、完全に、「自分をなだめすかすため」というところがありました。笑)

今の私にとっては、ただただ、まず、「現状」の把握を正確にし

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