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「切に生きる」というテーマを失いさえしなければ

ここのところ、

「機嫌よくいられるか」とか
「笑顔を完全に失っていないか」とかは、
「良いバロメーター」なのだと感じる。
これからの日々を送るにあたって、
「それらを失わない」ということを
第一とする。
「生きている今の瞬間」こそを
まずは機嫌よく、笑顔で。

とか、あるいは、

「人生に目的意識は必要」
という心掛けは、
正しいのかもしれない。
が、
あまりにいつでもその心掛けに
支配されていると、
自然発生的に生じる衝動の力を
みすみす殺してしまうような
気もするのだよなあ。

とか。

そんなことを書いては来ましたが。


とはいえ、
大前提として。

「切に生きる」
という、
このことを失いたくはない。
――まず、
いついかなる場合でも、
これだけは、絶対条件。

そこだけは、「死守」したい。

(逆に言うと、
これさえ捨てなければ、
「心のままに」とか
「気楽に」とか
そういう生き方も、
いずれ「虚しい」に変わったりはしない、
と、こういうことなのだと思う。)



あるいは、
これがないと、結局、
自分にとっては、
(つまりこれまた完全に
個人的感覚の話ということなのだが)
何をやっても
「本当に面白い」や
「本当に楽しい」に
どうもならないようなのである。


「真面目に、必死に、なりすぎない」
――これは今の自分にとって
大事な心がけである。

でも、
「切に生きる」という感覚は
いついかなる時でも
自分の中心からずらしたくはないし、
絶対、捨てたくはない。
(というか、自分はもう
捨てられないとも思う。)




「切に生きる」
――もう少し平たく言えば。

生きている時間は有限だから
(最近、頓にそれを実感する)
「時間を無駄にした」と
後で感じるような、
つまり
「後悔する時間の過ごし方」は
したくはないし、
しないようにしよう、
と、これはそういうことである。



「何もしな~い」とか、
「のんびりダラダラ」は
別にいいと思う。
(そういう時間は必要だと思うから。)

でも、
「楽しかったけど、
あの時間は、今にして思えば、
虚しい使い方だったな」という
そういうのは、
極力少なくしたいな、と。


そんなことを最近考えている
私なのである。



今回のタイトルは
瀬戸内寂聴氏の本のタイトルから
いただきました。
(よく考えてみるとそうだった。笑)