【分野別音楽史】#09-1 ブラックミュージックのルーツとしてのゴスペルの系譜
『分野別音楽史』のシリーズです。
良ければ是非シリーズ通してお読みください。
ロック前史としてブルースやカントリーを紹介した記事(→ #08-1)にて、19世紀アメリカにおけるルーツミュージックの1つとして黒人奴隷たちによるプランテーションソングを挙げました。
前回までは、そこからブルースやカントリーを通過してロック史に至る流れを見ていきましたが、プランテーションソングから発展したルーツ音楽はブルースだけではありません。それが、ゴスペルです。
そしてさらにそれが発展し、ロックンロールの誕生した同時期にゴスペルの系譜とブルースが融合することで、ソウルミュージックなどのいわゆるブラックミュージックの系譜が開始しています。
ロック側の人間はしばしば「ロック史」がさも「ポピュラー音楽史全体」であるかのように同一視して認識する傾向があるため、ブラックミュージックの系譜やクラブミュージックなどの他ジャンルを「ロックのサブジャンル」としてロック史に組み込んで語ろうとします。
しかし、ロック以外も多様な音楽が発展している現代のジャンル感覚で捉えるならば、ブラックミュージックの系譜やクラブミュージックなどをロックのサブジャンルと並べて語ることは「矮小化」であり、白人優位的な歴史観だといえないでしょうか。
「ロック史」は「多様なポピュラー音楽史」の中の単なる1系譜である、というスタンスのもと、吹奏楽史、ミュージカル史、映画音楽史、ラテン音楽史、ジャズ史、大衆歌謡史、ロック史・・・、という「ポピュラー音楽史の各系譜」に続く形で、ここからもブラックミュージックやクラブミュージックなどを引き続き追っていきたいと思います。
ということで、今回はソウルミュージックへ繋がる系譜として「ゴスペル」から見ていくことにしましょう。
◉聖歌/賛美歌/ゴスペルの違い
そもそもゴスペルとは、「God-Spell」を略した言葉で、福音=神の教えを讃えるキリスト教の宗教歌です。では、同じくキリスト教の宗教歌である聖歌や賛美歌とはどう違うのでしょうか。
まず、クラシック音楽史でも触れている通り、「聖歌」とは古代・中世から続くもので、カトリック教会や東方教会を中心に歌われているものです。
そもそも中世はイスラーム世界が文化の中心として栄えていた時代のはずなのですが、ヨーロッパ中心の視点であるクラシック音楽史上においては、中世ヨーロッパの聖職者=権力によって紙資料に残された「グレゴリオ聖歌」が特にクラシック音楽および現在の音楽にまで繋がる重要なルーツだとされています。これはラテン語で歌われるお経のようなもので、訓練された聖歌隊が歌う「ミサ曲(典礼曲)」です。
世界史を復習すると、拡大するイスラム勢力を弾圧するため、カトリック教会と東方教会は、1096年以降複数回にわたって十字軍を派遣し、虐殺侵略を繰り返しましたが、失敗に終わります。教会の威信低下に加え、感染症のペストも蔓延し、ヨーロッパは混乱期が続いてしまいました。
16世紀、失われた権威を取り戻すため、ローマ教皇は「サンピエトロ大聖堂」を豪華改築しようというキャンペーンを考えます。その資金集めのために免罪符(贖宥状)の販売を始めました。
この悪徳商法に疑問を持ったルターが「95か条の意見書」で疑義を呈したところから宗教改革が始まり、新しく「プロテスタント」の教派が生まれました。こうして、さらに戦争や大混乱の続く悲惨な時代へ突入していきます。
さて、このときカトリックのラテン語の聖歌に対抗し、ルターが庶民へ布教するときに用いたのが、コラールと呼ばれるドイツ語の宗教歌でした。
このようなドイツのコラールなどを含め、プロテスタント教会を中心に歌われるものを指しているのが賛美歌で、民謡や流行歌のメロディーであったり、カトリックの聖歌由来であったり、ルターが作曲していたり…と様々なルーツから成り立ち、次第に聖歌と同じような合唱スタイルが定着していきました。
こうしたヨーロッパ発祥のクラシック的な賛美歌がアメリカにも渡り、次第にポピュラー音楽的な相違が出現していき、ゴスペルの系譜となっていきます。
◉黒人霊歌(スピリチュアルズ)
17世紀後半、ヨーロッパから見て「新世界」とされていたアメリカでは、アフリカ人を強制連行し、奴隷として酷使しました。黒人奴隷は、彼ら独自の言語・宗教などをいっさい剥奪されてしまいます。
プランテーション経営者は、キリスト教の指導を行えば奴隷たちがより従順になると考え、また、過酷な環境下にある奴隷たちが自殺をしないためにもキリスト教を与えたともされます。
このように半ば強制的にキリスト教(プロテスタント)の教えを与えられた黒人奴隷たちは、自分たちの境遇に当てはめて考え、絶望的な生活の中の救いとしていきました。彼らは西洋の賛美歌をアフリカ特有のリズムや口承文化と融合させて歌い、これが「黒人霊歌(スピリチュアルズ)」となります。
当時の黒人奴隷たちは読み書きの習得や集会の開催、楽器の使用などが禁止されていました。そこで、夜遅くにプランテーションの奥深くに集まって、白人が歌っていた賛美歌に黒人の祈りの言葉をミックスするような形で祈りや歌を即興的に発展させていったといいます。
また、集団で歌うワークソング(労働歌)では、作業のリーダー役が先導する「歌の一節」で仲間をリードし、仲間たちは揃ってそれに応えてリズミカルに歌う、「コール・アンド・レスポンス」の文化も生まれました。
こうしたワークソングやスピリチュアルズがゴスペルの源流となります。
◉フィスク・ジュビリー・シンガーズ
1861~65年の南北戦争を経て、奴隷制は形式上廃止となりました(一方で人種差別意識は強調されて残ることになってしまいましたが)。
個人の苦しみや悲しみを詠嘆に近い形で歌われたフィールド・ハラーからはその後ブルースへと発展していったことを、ブルース史の記事のほうで触れましたが、それに対し、賛美歌の流れをもつスピリチュアルズ(黒人霊歌)は救いを求める性格を持っていました。
南北戦争後の1866年、解放奴隷や若いアフリカ系アメリカ人に対して教育を施す目的でテネシー州ナッシュビルにフィスク大学が設立されます。しかし、創立5年で深刻な財政危機に陥りました。そこで、9人の生徒が集められ、フィスク・ジュビリー・シンガーズというアカペラ・グループが結成されました。この活動により、スピリチュアルズが洗練化されていきました。
同じようなジュビリー・コーラスの形態で、最初に蓄音機に録音を残したグループとしては、1902年に録音のディンウィディー・カラー・カルテットが居ます。
このように、1870年代以降~20世紀初頭にかけて、ある程度白人好みに洗練されたものが「黒人霊歌」として米国全域に紹介されて世界にも知られるようになった一方で、教会内ではゴスペルソングとしても発達します。これまで領主から隠れるように集まっていた「見えない教会」での祈りから、実際の「見える教会」での祈りへと変わっていったのです。
◉ブラック・ゴスペルの誕生
当時、人種差別の観点から黒人と白人の教会は完全に分かれてしまっていたため、黒人教会での賛美歌の音楽性は、白人讃美歌とは異なったものとして発展していくことになります。特に1920年代以降、クラシックとは異なるスタイルでのピアノ伴奏を基調にした賛美歌が歌われるようになっていきました。
さらに1930年代、ハモンド・オルガンという新しい楽器が登場します。これまでオルガンといえば、クラシックで使われるような大きなパイプオルガンが中心でしたが、ハモンドオルガンはパイプオルガンが設置できないような貧しい黒人教会に用いられるようになります。
楽器の乏しかった黒人教会では、スピリチュアルズをルーツとしたアカペラ・コーラスが発展し、ピアノやハモンドオルガンの伴奏と結びつくようになりました。これがブラック・ゴスペルと呼ばれるようになります。
ワシントン・フィリップス、トーマス・ドーシーらが黎明期の重要アーティストです。
1940年代にかけてさらにゴスペルの影響力が増していき、特にマヘリア・ジャクソンやサリー・マーティンはゴスペルミュージック史の中で最も影響力を発揮したシンガーとして知られています。
◉ジャズやブルースと結合したボーカル黄金時代
さらに、複数人のボーカルコーラスの基本的なスタイルもゴスペルによって作られたこの時代、一方ではジャズやブルースが発展していた時代でもありました。
ゴスペル的なコーラスとジャズやブルースが結合した音楽が1930年代に出現し、ミルス・ブラザーズやインク・スポッツなどが代表的グループとされます。
このような音楽の出現を受け、ゴスペルアーティストとしても、ジャズやブルースを取り入れたコーラスグループが出現し始めます。
「ゴスペルの黄金時代」と呼ばれた1940年代から戦後にかけて、ディキシー・ハミングバーズ、ゴールデン・ゲイト・カルテット、スワン・シルヴァートーンズ、ファイヴ・ブラインド・ボーイズ、ザ・ソウル・スターラーズといったゴスペルグループが登場しました。
さらに、ソロシンガーとしても先述のマヘリア・ジャクソンらに加えてシスター・ロゼッタ・サープなどのスターが出現しました。
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