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Yonghee(よんよん)|わたし自身を育むインナースペース
2021年3月5日 18:24
日本人のような韓国人。韓国人のような日本人。日本人のようで日本人でない。韓国人のようで韓国人でない。そして、私には家にも外にもどこにも居場所がない…。大多数の中に属したくても属せないマイノリティの苦悩。私は、家庭からも社会からも完全に見捨てられてしまった落伍者のような強い劣等感しか持つことができなかった。その後、私は朝鮮学校で民族教育を受けることになったので
2021年2月24日 18:15
=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=毒親育ちのあなたへ自分の居場所は自分で作れる!無料メルマガ【インナースペース@パース】発行中です。スマホの方はこちらPCの方はこちら=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=何よりもこの事実を認めた瞬間私という人間はたった数万円のお金も払ってもらえぬ価値のない人間であることを認めるような気がした。
2021年2月22日 23:00
私はこの頃、自分の進路を親や兄弟、誰にも相談できず、ひとり悶々と悩んでいた。私が通っていたのは民族学校だったので、高校卒業後、日本社会で就職をするのか?それはどのような方法でするのか?それとも、日本の大学へ進学するのか?いや、そもそも、私は何をしたいのだろうか?私はどうしたらよいのか全くわからずにいた。両親は学歴もなかったし、毎日のように夫婦喧嘩ばかりして
2021年2月17日 22:59
ここまで、こうしてひとつひとつの場面を思い出しながら執筆をしていると、私はなぜだかたびたび強い眠気に襲われ執筆を中断することが増えてきた。他にも色んなシーンを書き出そうとするたびに、ずっと閉じ続けてきた「感情の扉」が突然バーンと開いてしまい、当時のリアルな感覚がよみがえり、ただわけも分からず苦しくなり真夜中に一人、むせび泣いていた。このような状態に陥り、執筆がなかなか進
2021年2月16日 23:44
他にもうっかりお味噌汁をこぼした瞬間にバチーンと平手打ちをされたり、私が失敗すると容赦ない体罰が待っていた。それは痛みというムチ与えることで、私をコントロールする方法だった。こんな風に母は、弱くて抵抗のできない幼い私を、まるで虫けらや畜生かのように扱われてきた。密室で誰も見ていないからとこんな仕打ちをしておきながら、自分がやったことはまるで何もなかったことにかき消
2021年2月13日 23:57
ここまで母とわたしのエピソードを読み続けてくれた人は一体、今、何を感じているだろう…?今の私がこの文章を読み返すと、私はこの家庭で育ち、人間としての尊厳を幾度も踏みにじられ続けてきた。そう強く感じている。私はこの家庭にいると、自分が虫けら以下のような存在に感じてならなかった。この家にいるとなぜだかいつも、申し訳なさそうに、そして、弱々しく振舞わないといけな
2021年2月13日 00:34
また、この頃から母は黙って何も物言わぬ私をターゲットにするようになった。母は体罰を通して、父に晴らせぬ怒りや鬱憤を私に発散させるようになった。「躾という名の鬱憤晴らし」は、もはや家庭内の日常になりつつあった。やはりこれも幼稚園ぐらいの頃だった。この時の理由も全く覚えていないのだが、やはり母の逆鱗にふれ、夜に身ぐるみ剥がされ、家から放り出された。小さな体で放り出され
2021年2月12日 02:19
私の家庭内は両親の間で色んなことが複雑に絡み合い過ぎていて、その状態のまま何十年も経過している。時間が長ければ長いほど、この問題の根っこが果たしてどこにあるのか?両親の絡まり過ぎた糸を私たちが必死にほどこうとすればするほど、より複雑に絡まる一方で、問題の本質はどんどんと深い闇へと葬り去られるようだった。私の家庭は理不尽なことばかりがずっとまかり通っていた。私の家
2021年2月7日 01:26
また、これは小学校低学年ぐらいのことだったのだろうか。これは本当に最悪な出来事だった。また、あのいつもの夫婦喧嘩で、母はお酒も入り、いつもに増して感情的に暴れ続けていた。酒の勢いもあったのだろう。母は泣き叫びながらなんと私たちの目の前で首を吊ろうとしていた。あのシーンは今でも脳裏にこびりついて離れてくれない。母は突然、椅子によじ登り、リビングの天井にタオルか
2021年2月5日 23:04
私の家族円満という望みも虚しく、両親の喧嘩は何日にも及ぶこともよくあった。ある日の夜もまた、あの激しい夫婦喧嘩が始まり、父に全身で思い切り掴みかる母と、それを振り払おうと母の髪の毛を引っ張る父の姿があった。ゼェゼェと荒い息を吐きながら髪の毛を振り乱し「殺せ!!早く殺せ!!!」と鬼のような姿で叫び続ける母…。「お前なんか殺す価値もない!!」そういい返しながら、そ
2021年2月1日 23:20
私の家庭は4人兄弟で、家庭での母と言えば、家事に子育てに忙しそうでいつも眉間にしわを寄せながらイライラ、ピリピリとした雰囲気を四六時中漂わせていた。母は私たち兄弟が遊んでうるさくしていたり、夜遅くまで寝ないといったことですぐに、大声で怒鳴り散らす。それが日常的にあった。ある時は弟とテレビ番組を見て笑っていただけで「笑うんじゃない!!!」と大声で怒鳴りつけられたこ