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【毒親連載小説 #32】国家とわたし 3

日本人のような韓国人。
韓国人のような日本人。

日本人のようで日本人でない。
韓国人のようで韓国人でない。

そして、
私には家にも外にも
どこにも居場所がない…。

大多数の中に属したくても
属せないマイノリティの苦悩。

私は、家庭からも社会からも
完全に見捨てられてしまった
落伍者のような強い劣等感しか
持つことができなかった。

その後、
私は朝鮮学校で民族教育を
受けることになったので
本名に戻った。

表面上は
一件落着したかのように見えた。

しかし
「国家とアイデンティティ」
という問題は成人後にも
しつこく私につきまとい続けた。

家庭では、
母からの身体的虐待や
両親の夫婦喧嘩の板挟みで
縮こまって生きてきた。

また、外では自分の本名を
隠しながらの毎日を送る日々…。

(なんで毎日こんなにつらいのだろう…?)
(私はここで毎日、何をしているのだろう?)
(私はなぜ、こんな思いをしてまで
 生きているのだろう?)

こんな疑問が
いつも頭からこびりついて
離れてくれなかった。

今思うと、
この問いかけは、
家庭の中や外での現実が
あまりにもつらすぎて、
この答えがないと
とてもじゃないけれど
生きていけない。

そんな
身体的、精神的危機に
晒され続けながら
生きていたのだと思う。

私は完全に根無し草だった。
正真正銘の根無し草だった。

心細く漂い続けるかのごとく、
キョロキョロと
親の目、周りの目を気にしながら、
おどおどと頼りない感覚を
抱えながら生き続けてきた。

このように
暗闇の中をずっと
さまよい続けていた私だったが、
大きくなるにつれて私にはただ一つ、
小さな小さな希望のかけらがあった。

「早く自立して、この家庭と毒親から離れよう」

私は高校から
アルバイトをしながら
徐々に自活力をつけ、
ついに大学3年の頃に
妹と弟と一緒に家出をした。

この家出は、この毒親との
がんじがらめの場所から
ほんの一歩、
外に抜け出したような
そんな気持ちだった。

これが初めの一歩となり、
さらに自分の居場所を求めるべく、
日本という国から飛び出した。

それは、私の祖先のルーツでもある
韓国だった…。

(つづく)

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