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【毒親連載小説 #23】父とわたし 4

私はこの頃、自分の進路を
親や兄弟、誰にも相談できず、
ひとり悶々と悩んでいた。

私が通っていたのは
民族学校だったので、
高校卒業後、
日本社会で就職をするのか?

それはどのような方法でするのか?

それとも、
日本の大学へ進学するのか?
いや、そもそも、私は
何をしたいのだろうか?

私はどうしたらよいのか
全くわからずにいた。

両親は学歴もなかったし、
毎日のように夫婦喧嘩ばかりして
私たちに関心も興味もないこの毒親に
相談する余地などなかった。

そんな時、当時の担任の先生が
救いの手を差し伸べてくれた。

先生はなぜか私に
とある大学の推薦入試を
勧めてくれた。

先生の話を聞きながら、
これは面白そうな環境だと
希望を見出した私は、
善は急げとばかりに書類の準備や、
ボランティア活動を始めた。

そして、
面接が近くなるに連れて、
夜遅くまで先生との
模擬面接の練習も重ね、
本当にたくさんの努力をしてきた。

準備を進めて行くうちに、
私はどうしても合格したいと
強く思うようになった。

その一心で、私は募集している
2つの学部をどちらも受けたいと考えた。

当時の受験費用は、一学部3万円。
2つ受験すれば倍の6万円がかかった。

私はお金が絡むことだったので、
父がまた嫌な顔をするのではないか
と思い言い出しづらかった。

しかし、
自分の大切な将来のことだったので、
それを真剣に伝えた。

きっと分かってもらえるだろう。
私はそう期待していた。

しかし、父はそんな私の期待を
ことごとく裏切るかのように、
あからさまに不快な表情をしてきた。

私はどうしてもその時の父の表情が
ずっと忘れられない。

そんな私の気持ちをよそに父は
「なんで2つも受けなきゃならないんだ」と
不快な口調で続けた。

幼少期の優しかった父とは正反対の父が
私にとってはとてもショックだった。

しぶしぶ受験費用は払ってもらったものの、
この父の対応は私の心の奥の奥までえぐられ、
埋めようのないわだかまりとなった。

(なんでショックだったのだろう…?)

またこう自分に問いかけてみたら、
こんな一言が私の頭をふとよぎった。

「お前の将来に関心などない」

こう宣告されたかのような気分だった。

父が困っている時には
私のアルバイト代は
そそくさと持ち出しておきながら、
私が助けてもらいたい時には、
不快な顔をして助けてくれない…。

私はそんな父に心から失望していた。
もはや私には信じられる大人など、
どこにも存在しなかった。

そしてこう思った。

(あぁ、この人は母の家事や育児のことも、
 また、子供の将来も、家庭のことは一切、
 無関心な人…この人にとって大事なのは
 お金のことだけ…)

この時、私は父の本来の姿にハッキリと
気づいてしまっていたのだと思う。

しかし、その現実を、
ほんのつい最近まで受け止められずにいた。

小学校の頃の優しかった父…。

私はその面影をまだ
追い続けていたのかもしれない。

まだ私はそれを
信じたかったのかもしれない…。

(つづく)

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