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【毒親連載小説 #14】母とわたし 12

また、この頃から母は
黙って何も物言わぬ私を
ターゲットにするようになった。

母は体罰を通して、
父に晴らせぬ怒りや鬱憤を
私に発散させるようになった。

「躾という名の鬱憤晴らし」は、
もはや家庭内の日常になりつつあった。

やはりこれも幼稚園ぐらいの頃だった。

この時の理由も全く覚えていないのだが、
やはり母の逆鱗にふれ、
夜に身ぐるみ剥がされ、家から放り出された。

小さな体で放り出された私は、
バタンと閉まった玄関のドアを
呆然としばらく見上げていた。

そして、
一体どうしたらよいか分からず
しばらくその場に立ち尽くしていた。

「私はもうこの家の人間ではない」

幼いながらも私はそう感じていた。

絶望していた中で唯一、
私はある人をぼんやりと思い浮かべていた。

それは、地方に住む
親戚のおばちゃんだった。

親戚づきあいのほとんどなかった中で、
昔も今も私を可愛がってくれた唯一の存在…。

夏休みになると
おばちゃんと従兄弟のお姉さんは
忙しいのにも関わらず
私たち兄弟の面倒を見てくれた。

当時、うどん屋を営んでたおばちゃんは、
早朝から夜までずっと働きづくめの毎日だった。

私が30代後半で結婚した時も、
高齢で体も経済状態も
あまり良くなかったのにも関わらず、
わざわざ韓国まで結婚式に駆けつけてくれ、
昔と変わらぬ気丈で優しい笑顔だった。

そして、
私の結婚を涙を流しながら心から喜んでくれた。

その時に会ったのが最後なのだが、
今も元気にしているだろうかと
いつも気にかかっている。

昔から今まで、
朝から晩まで働きづくめで
苦労してきたおばちゃん…。

そんなおばちゃんを
私は心から尊敬していたし、
両親以外にまともな大人がいるのだと、
唯一、おばちゃんだけが
信頼できる存在だった。

幼稚園の小さな頃のわたしは、
東京からいけるはずもない
おばちゃんの元へ行こうと、
一人で暗い夜道の中、
家の前にある急勾配の坂道を
トボトボと歩き続けていた。

真っ暗な夜の坂道…。

誰ひとり私のことを追いかけてはくれない…。

誰ひとりとして私のことを助けてはくれない…。

誰ひとり私のことを必要としてくれる人はない…。

私はこれから一体、どうすればよいのだろう…。

(私はひとりぼっちだ)

ひとり、その夜の坂道を歩きながら、
そうこの言葉にならないつらさを
深く刻みつけた。

その後、
どのように家に戻ったのかは
さっぱり記憶がない。

私の幼少期はこのように
まるでパズルのピースがあちこちと
抜け落ちてしまったかのように
記憶が断片的だ。

私はこんな仕打ちをされた後も
なお、何も言えず、
虐待や暴力、面前DVを繰り返す母と
同じ屋根の下で暮らすことが
つらくてつらくてたまらなかった。

(つづく)

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