Xとnoteって、戦国時代と現代くらい雰囲気がちがうなって思った。 Xの場合、あくびをしているだけで背後から襲われ(気持ちが下がるツイートとかリプに遭遇) エネルギーの消耗が激しいといいますか。 それに比べnoteは、公園にある桜の下でおにぎりを食べているみたいな癒しがある。
例えば、 「明日からこの先一生働かなくても困らないお金」 をもらえたとしたら 毎日何をして過ごすだろう? ポジティブに生きられる人っていうのは、こういうシチュエーションでやりたいことがポンポン出てくる人なんだろうなと思う。
感情や言動の選択を投票に例えると、たぶん、無意識が100票ぐらい持ってて、表層意識は1票ぐらいな気がする。 1票程度の影響力しかないとも言えるし、その1票で結果が変わることもある。 投票結果を無視することもできるけど、きっと苦しい。 ……この比喩、思ったよりしっくりくる。
自分の文章は美術館にある絵画だと思えばいいかもしれませんね。 「ここに置いておくので、お好きに読んでください」 ポンッ、て投稿する。 アンチ怖いって思っている方はアンチしか目に入っていないので、 投稿した後は他に目を向ける。 そしたら共感する方と出会えるんじゃないかな、と。