苦い「プレゼント交換」
通っていたヤマハのエレクトーン教室は、パチンコ屋の裏にあった。私がレッスンを受けている間、親はパチンコやスロットをしていることが多かった。終わると私は、景品交換所を横目にパチンコ屋に入る。その当時の親は、スロットを打っていることが多かった。親のコインがなくなるまで、私は隣の椅子が空いていれば座って待った。暇なので、スロットのボタンを鍵盤に見立てて運指の練習をすることもあった。たった3つの鍵盤。
習っていた期間は、小学二年生から五年生までの三年あまりだった。
一曲を練習し続ける