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娘に遺伝しませんように。もし遺伝したら、美容師を夢みませんように。

私には少々やっかいな病がある。それは痛くもかゆくもない病で、命に別状もない。周りには病だと認識すらしてもらえない。だが、社会生活を送る上ではそこそこ不便な病だ。
「どうかこの子に遺伝しませんように」
お腹の子が娘なのか息子なのかわからないうちから祈っていた。
現在、娘は3歳。
触れ合っていると、遺伝していそうだと予感する瞬間がたびたびある。
あなたには、ちょっと不思議な私の生活を覗いていただきたい。


「体質」ではなくて「病気」

文字通り「手に汗握る」日常だ

私が娘への遺伝を恐れているのは、「原発性局所多汗症」という病気だ。手のひらや足の裏、脇の下などから異常な量の発汗がある。人により症状の重さに差があるが、重たい人であれば汗がボタボタと滴っている状態となる。
「なんだ手汗か。そんな人いっぱいいるでしょ、ただの体質でしょ」と、あなたは思っただろうか。そう。この病気の困難さは他人から理解されにくいことにある。
しかし、障害者総合支援法の対象疾病に指定されているし、難病情報センターにも掲載されているれっきとした病気なのだ。 

常に濡れている生活

イメージしてみてほしい。常に手から汗が滴っていて、まんべんなく濡れている状態を。指と指の間も、爪のまわりも濡れている。 タオルハンカチで拭き取っても、その次の瞬間にはじゅわっと汗が吹き出し、元に戻ってしまう。足の裏も脇の下も同じ状態だ。
この状態での会社員生活を、想像してみてほしい。

■7時
起床。歩くと床が濡れるので、綿の靴下を履く。服も基本は綿だ。ハンカチを取り出せない場面で、とっさに汗をぬぐいとれるからだ。
ヘアメイク。日焼け止めを塗ろうとしても、汗で薄まってしまう。扇風機の前でできるだけ手を冷やしながらメイクする。
■8時
通勤電車内では、できるだけ吊革につかまらずに立つ。ハンカチを握っても、長時間の吸収に耐えきれないからだ。もう1つの理由は、脇汗もひどく目立つから。
■9時
職場到着。靴下がびっしょりと濡れているのでトイレで履き替える。靴が臭くなるのを防ぐ。
デスクには、目立たぬよう小さなUSB式のファンを設置している。手のひらの部分に風が当たると、気化熱で冷たくなり、少し汗が収まる気がする。
マウスとキーボードの手前にはタオルを敷いている。
■12時
社員食堂。トレイの上に、好きなおかずを選んで乗せていく。トレイを片手で支える瞬間が生じるので、汗ですべって落とさないよう神経を使う。
■15時
来客の手土産を部署内に配布。パッケージに汗がつかないように、端っこを持って配る。もちろん渡す時には相手の手に触れないように、かつ不自然に見えないように注意する。
■17時
部署の親睦会がボーリングに決まった。無理。ボールを持つ手が滑るし、何よりストライクが出たあとのハイタッチ祭りが無理。どうやって欠席しようか。
■18時
帰宅前にコンビニに寄る。電子決済が普及したことで、レジへの恐怖心がなくなった。商品を受け取る時に、手が接触しないようにすればいいだけだ。
■20時
入浴。ここは汗の存在を感じずに、リラックスできる唯一のオアシス。
人魚に生まれたかった。風呂上りに、新しい靴下を履く。足の裏が濡れていると、滑って転ぶので普通に危ないからだ。

特殊さに気づいた小学校時代

私が幼児の頃までは、手のひらや足の裏の汗で困った記憶はなかった。実際は濡れていたのだろうが、周りの反応がなかったことと、他人と比べる視点がなかったことで、意識する機会がなかったと推測する。

自分が特殊であることを理解したのは、小学校に上がってからだ。
学校ではほとんどの授業で鉛筆とノートを使う。 手のひらが濡れているとノートやテスト用紙が濡れて書けなくなる。無理に書こうとすると、破ける。「あれ?おかしいぞ。隣の子は困っていないみたいだ…」
私は徐々に理解していった。

体育では、汗の影響が顕著に出た。手つなぎいでストレッチをしたり、組体操をしたりと、クラスメイトと手をつなぐ機会が頻繁にある。
その際に、相手の手が乾いていて自分の手が濡れているということを実感した。相手も気持ち悪いだろうが、実は汗をかいている本人も気持ち悪さを感じるものだ。
鉄棒では、汗で滑り落ちないように必要以上に力を入れていた。
手をつないでいる時間が長い手つなぎ鬼は、小学校6年間でもっとも嫌いな遊びだった。手をつながなくていいように、全力で逃げ続けていた。

フォークダンスで「ヘビ女」

「手に汗をかいていると、忌み嫌われる」と認識したのは、小学校5年生の時だったと思う。
運動会のフォークダンス。全校生徒で、男子と女子とがそれぞれ輪を作って、男女のペアが次々に入れ替わりながら踊っていく。手をつないで回ったり、手のひらを合わせたりする。
私の前に、6年生が回って来た。その男子は、ひょろりと背が高くて運動神経がよく、女子の間で人気がある佐々木くん(仮)だった。
佐々木くんは、目を合わせずに、だるそうにこなしていた。私と手をつないだ瞬間、となりで踊っている男子に顔を向けて「気持ち わりぃ、コイツ手濡れてるし。蛇女みたい」と声を張った。心底、嫌そうな声色だった。
私は息が止まった。胃袋がギュっと締めつけられる感覚があった。大した接点もない他人から、あからさまに攻撃を受けたのは初めてだった。
私はその頃からできるだけ汗を隠したい、できるだけ人と触れ合いたくないと思うようになった。

父親からの遺伝

親に相談したが、真面目には取り合ってもらえなかった。
母親に「ハンカチで拭けばいいんじゃない?」とサラッと言われ、「そういう問題じゃないんだけどな」と拍子抜けした記憶がある。
父親も手のひらや足の裏に汗をかくことがわかった。靴下は必ず綿を選ぶし、仕事で必要な時には綿の軍手をはめる。 しかし、困っている様子は見られなかった。
漁師の父にとって、北海道の寒さの中で作業する分には大して汗をかかず、そこまでの不便さはなかったようだ。
それに、父親と手をつないだこともあったが、ゴツゴツとした手が湿ることがあってもポタポタと汗が滴り落ちるのは見たことがなかった。 私よりは明らかに軽度だ。
ちなみに、私には妹がひとりいるが、彼女には遺伝していない。

私が就けない職業

こんな私には、子どもの頃から就けないと思っていた職業がいくつもある。3つだけ挙げてみる。

図書館司書

図書館が天国だった子ども時代の私にとって、司書は憧れの職業だ。
大学生になり、司書の資格を取るか迷ったが、あきらめた。だって、大切な本を汗で濡らしてしまうから。司書は、貴重な古文書も扱う。白い手袋をはめたとしても、私の汗の量では通過してしまう。さすがに無理だ。
私はいまだに、図書館に行くたびに、カウンターの中の人たちを羨ましくチラ見している。

教師

教師は子どもにとって最も身近な職業だ。誰しも「教師になったら?」と一度は想像したのではないだろうか?
私もそのひとりだった。が、しかしすぐに無理だと悟った。
昭和の教師の商売道具は黒板とチョークだった(今もですか?)。
もし黒板に手のひらが接触したら、汗でその部分だけ濃い緑色になってチョークの粉がのらなくなる。それに汗がしたたるくらい手が濡れていたら、もはやチョークは使用不能なってしまう。
そんな状況で30人も生徒の視線を一身に浴びるわけだから、余計に交換神経が活性化して汗をかいてしまう。きっと脇汗もひどい状態になる。
そもそもテストの答案やらお便りやら、とにかく紙を大量に扱うので、原発性局所多汗症がある私には教師はつとまらない。

美容師

私は美容室が好きな子どもだった。髪を触れるのが気持ちよかった。
親の手伝いをして500円玉を5枚貯めると、美容室を予約した。美容師から「切るところないよ(笑)」と言われるくらいの短いスパンで通った。
美容師の指先の感覚や動きは実に繊細だ。私の髪の中に指を入れ、熊手でかくようにスルスルと指を抜く。髪の硬さやクセ、厚みがある部分を感じ取っているのだろう。カットの途中で、耳の後ろの髪を左右同時に指先でつまんで、少し後ろに引っ張り上げ長さを確認する。前髪を人差し指と中指で挟んで持ち上げ、一ミリ単位でハサミを入れる。
もし私が美容師になれたら・・・と想像しながら観察するのは楽しい。夢みるんじゃない。想像するだけ。

私が就ける職業

では、私が就ける職業は何か?それは人や物(水に弱いもの)に触れる仕事以外、すべてだ。けっこうある。

オフィスワーカー

PC業務がメインのオフィスワーカーは最も適していると思う。
他人や紙に手で触れる機会がない点と、勤務環境が一定で汗をコントロールしやすい点が私の症状に適している。
(ちなみに、まったく適していない職業にもチャレンジした経験もある。それはまた後日・・・)
現在は完全在宅で働いているので「オフィス」ワーカーではないが、PCに向かって仕事をしている点は変わらない。あえて共通項で名づけるなら「PC使用者」か。

PCの使用環境

PC作業者は、キーボードとマウスを操作する。これらを汗で故障させることは避けたい。私は写真のように、タオルを敷いて仕事に当たっている。
トラックボールマウスを使用してみたいが、汗で故障するのではないかという懸念がある。

汗を吸収してくれる綿100%のタオルが欠かせない

原発性局所多汗症の治療療法

私は社会人になってから、この病気について情報を得た。もちろん治す方法も調べ、試したものもある。
素人が調べた範囲だが、治療方法の一部を記載しておく。それぞれ副作用があるので、検討している人はご自身でもよく調べていただきたい。
(主に公益社団法人日本皮膚科学会の皮膚科Q&Aを参照させていただいた)

塩化アルミニウムの塗布(試してみた)

私が試した対処療法。皮膚科で処方してもらった。
塩化アルミニウム溶液を毎日、患部に塗布する。風呂上りが効果的だが、私は効果を高めたくて朝にも塗布した。
アルミニウムは一般的な制汗剤(部活のあとにシューッとかけるスプレー)にも使用されているので期待したが、効果は感じなかった。
私の汗の量が多すぎるのか?

イオントフォレーシス(試したい)

微弱な電流を用いて発汗を抑制するイオントフォレーシスという装置を使用する。水道水をひたしたトレイに手のひらをつけて電流を流すのだ。
イオントフォレーシスを置いている病院は田舎では見つけられず、現物は見たことがない。治療初期は週に一度通院する必要があるというので、病院の近くに住んでいないと難しそうだ。
高価だが、海外から輸入して自宅で使っている人もいる。もし娘に遺伝していて、彼女が求めたら購入したいと考えている。

ボツリヌス菌の注射(断念)

ボツリヌス菌を、2cm間隔で局所注射する方法。手のひらに何度も注射を打つので痛みが伴うのは必然。私にとっては恐怖しかない方法だ。しかも、痛みに耐えても、半年ほどしか効果が持たないという・・・
手のひらに保険は効かないため、1回数万円かかる。
私が10年ほど前に皮膚科で相談した際、医師から候補として挙げられたが、痛みを怖れて断念した。

交感神経遮断術(断念)

脇の下から内視鏡を入れて、交感神経を切断する手術。胸から上に汗をかかなくなるという。
効果は100%期待できるが、副作用に大きな懸念がある。私がこの手術を受けるか真剣に悩んでいた20年前は、重度の代償性発汗が多く発生していた。手のひらに汗をかかなくなっても、背中やお尻などから大量に発汗し、生活に支障が出ている人たちがいた。神経を切断してしまった場合、元に戻せないのが怖くて断念した。
今は切断する神経を調整して、治療と代償性発汗のバランスを取る方法が行われているようだ。
将来、娘が求めた場合は一緒によく検討したいと思っている。
医療法人社団あんしん会 四谷メディカルキューブのHPも参照させていただいた)

私が選んだ消極的対処法

寒い土地に住む

私は、大学進学から上京し、20代を首都圏で過ごした。
根本解決の唯一手段である手術を受ける勇気が出なかった私は、次第に「このまま首都圏では暮らしていけない」と考えるようになった。
私の汗の量は、基本的に「気温×湿度」に左右され、「精神状態」の影響も受ける。
出身地の北海道と比べて、首都圏の夏は湿度も気温も異様に高い。外を歩けばドライヤーのような熱風が押しつけてくる(初めての夏、この現象は本当に驚いた)。
室内はクーラーがあるとはいえ、エコのため「28度」と高い温度が設定されていて、私の汗を減らすほど室内が冷えることがない。
常に、汗への対処にリソースを割かねばならない。
私は疲れていた。

20代後半、私は北海道へUターンすることを決めた。主な理由は他にあったが、原発性局所多汗症は十分な理由のひとつだった。

これが正解だった。
・通勤は車がメインなので、満員電車に乗ることがない。
・人と触れ合うほど混雑した場所がない。
・湿度も気温も低い。
私は北国の暮らしやすさを実感した。

もちろん、引き続き工夫が必要なことは多い。
北海道の家屋にはクーラーが設置されていないことが多く、夏は首都圏よりツライ場所もある。クーラーを設置できない賃貸の場合はスポットクーラーを調達する。
車の運転時は汗ですべらないように手袋をはめなければならない。
でも、冬が長い北海道に戻ってきて、総じて楽になったことは間違いない。

オンラインで仕事をする

これは結果論だが、私は2018年からフリーランスとしてほぼオンラインで仕事をしている。この働き方が、原発性局所多汗症のストレスを最も減少してくれた。
・人と対面する機会がほぼなく、握手を求められることがない。
・キーボードとマウスが壊れないようにだけ気をつければいい。
・紙を触ることがほぼない。
これらは本当に大きなウエイトを占めている。出社した際に気を遣っているエネルギーが、どれほど膨大で、私を疲れさせていたか認識できた。

ただ、フリーランスのデメリットはある。一般的なことと同じなので詳細は省くが、収入が不安定だ。私の場合は、会社員並みに稼げる時期の方が少ない。安定も目指すなら、会社員×フルリモートが1番だろう。

娘に遺伝していたら

もしも娘に遺伝していたら 私はどうするだろう。
まずは、私が親にしてほしかったように、「大変だよね」と共感してあげたい。また、先輩として対処方法や病気の情報を共有したい。
(いや、両親ともに気にも留めずあっけらかんとしていたから、私も深刻にならずに済んだのかもしれない。ここは悩みどころ)

娘には、この先諦めなければならないことが生じるだろう。私と同じように。
ただ、治療法はより良くなっていくと信じている。つきなみだが、新しい情報を集め、医療機関に相談し、できることをしてあげたい。
それでも、美容師やエステティシャン、あるいは精密機器を組み立てるといった仕事は諦める必要があるかもしれない。
その時は彼女は彼女なりに、病気とどう折り合いをつけるか、自分で模索していくしかない。私は、娘が「美容師になりたい」という夢を抱かないことを祈るだけだ。

最後に

もっとコミカルに多汗症生活を書くつもりが、過去を振り返ると思いのほかツライ感情が蘇り、淡々と書いてしまいました・・・
このテーマで、山ほどある具体的なエピソードや多汗症あるあるを書いていきたいです。
将来の夢は、エピソードの漫画化です!どなたか、描いてくれませんか~~っ!?


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