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私は月刊誌をつくることにした - 40代・経験ゼロだけど。

私は、今日、月刊誌をつくろうと決めた。
ちなみに、出版した経験も、編集者を勤めた経験もない。

きっかけは、中学時代を思い出したこと。
1990年代。映画が好きだった私は、仲の良い友達2人を巻き込んで冊子を作った。題名は「スクリプト」。台本という意味だ。
この冊子は「同人誌」の類だったかもしれないが、北海道の田舎に住んでいた私は同人誌という存在を知らず、その認識はなかった。

当時の田舎には、コンビニも一般消費者に向けた有料のコピー機もなかった。私はA4サイズのノートに原稿を書き、自宅にあるFAXを使って、感熱紙でコピーをした。できあがりはツルツルの薄い紙。A4用紙、おそらく2枚をそれぞれ半分に折り、ホッチキスで袋とじにした。全部で4ページ。
表紙はキアヌ・リーヴスの似顔絵だ。彼が主演の映画「雲の中で散歩」が公開されることを取り上げたのを覚えている。その他の内容はほとんど記憶にないが、友人たちから寄稿してもらったり、自分で映画評を書いていたりしたのだと思う。
最初にできあがった冊子を友人たちに配った時には高揚した。

私は、誰に頼まれるわけでもなく、企画し、制作し、編集した。
いわゆるコンテンツ制作が好きなのだと思う。
小学生の頃から壁新聞の係に立候補し、ビッグフットや宇宙人について模造紙いっぱいに書いていた子どもだった。図書係になると、おすすめ図書のポスターを書いて掲示した。
雑誌の購読歴では、「りぼん」「なかよし」という少女漫画の月刊誌を小学生から読み始めた。高学年になると「ROADSHOW(ロードショー)」「SCREEN(スクリーン)」という映画の月刊誌も購読するようになり、高校生では映画雑誌だけが残った。
ハガキの投書が採用された時には、うれしさと驚きで舞い上がった。
自分が書いた文章が活字になるなんて、これほどの喜びはない!

私は今日、当時の喜びを思い出した。そして、誰に頼まれなくても、お金にならなくても、雑誌・・・できれば憧れの月刊誌を作ろうと思った。
「40代にもなって、中学時代に好きだったことをリバイバルするなんて、バカバカしい」とか「そんな時間、どこから捻出するの?働け!」とか、頭の中のオバチャンに否定されたけど、聞かない。やりたいんだ!

どうやって作れるんだ?kindle出版しか思いつかない・・・
内容と方法は、これから考えよう。
今は胸が高鳴る。

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