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苦い「プレゼント交換」

通っていたヤマハのエレクトーン教室は、パチンコ屋の裏にあった。私がレッスンを受けている間、親はパチンコやスロットをしていることが多かった。終わると私は、景品交換所を横目にパチンコ屋に入る。その当時の親は、スロットを打っていることが多かった。親のコインがなくなるまで、私は隣の椅子が空いていれば座って待った。暇なので、スロットのボタンを鍵盤に見立てて運指の練習をすることもあった。たった3つの鍵盤。
習っていた期間は、小学二年生から五年生までの三年あまりだった。
一曲を練習し続けると、必ずひけるようになる過程が好みだった。辞めた理由は、手のひらに異常な汗をかく疾病があったから。子どもながらに精神的な負担を感じて、長くは続けられなかった。汗のことは別の機会に記そう。

ある年、おそらく私が小学4年生の時分だったと思う。
毎年恒例のクリスマス発表会に参加することになった。私が覚えているのはこの1回だけなので、中学年から高学年の児童だけ参加する形式だったのかもしれない。
このクリスマス発表会には、プレゼント交換という企画が伴われていた。教室からのお便りには「500円程度のプレゼントを用意してください」とあった。
私と母は、町で唯一の雑貨屋へ赴いた。今はもうない店だけれど、記憶の限り思い出せば、玩具や文房具、小さな家具なども扱っていた気がする。私はこまごました雑貨が並んだ棚を眺めていた。そして、上の方にある木製の小物入れが目に留まった。「あれ、かわいい」と母に指さした。母は「そうだね、これにする?」と聞いた。私はしまった、と思った。
その小物入れは、子どもの私がわかるくらいにはいい品で、500円程度で済まないことはあきらかだったからだ。
実際、母に確かめてもらうと、ゆうに1000円は超えていた。記憶が定かではないが、私が「その値段は無理だ」と感じたことは覚えているから、2000円近くしたのかもしれない。けれども、母はケロッとしていて「いいよ」と言って会計を済ませた。プレゼント用に包装してもらった品を受け取ると、私は自分がプレゼントされたのかのように心がはずんだ。
どの子がもらうんだろう?
きっと、大喜びするに違いない。

発表会当日。会場は町の公民館の大ホールだ。よそいきの格好をした大勢の親子が、受付を済ませ、プレゼントを預け、入場していく。私が通うクラスでは生徒は私一人だったため、こんなに大勢の子どもが通っていたのか、と驚いた。
私もプレゼントを受付の担当者に、ゆっくり手渡した。そして、先に集まっているプレゼントをちらりと見て、自分にはどのプレゼントがやってくるのかと想像した。もはや、演奏よりも気になって仕方がない。
そして出番だ。私は「ミッキーマウスマーチ」を間違えることなく弾いた。全ての子どもの演奏が終わると、帰る人の流れに沿って受付へ向かう。そこで、くじを引くのだ。私はくじを開いて番号を見ると、担当者に渡した。
私のクリスマスプレゼントはどれ?
演奏よりも緊張した。担当者の手がプレゼントにそれぞれ貼ってある番号を探す。私の視線は担当者よりも先に番号を捉えた。嫌な予感がした。
プレゼントは、手のひらほどの小ささで、薄くて軽かった。母、知り合いの親子と立ち話をしていた。
「右手も左手も使うし、それに足もつくようになって。どんどん難しくなるよねえ。よく弾けるなって思うわ」
私は妙に冷静に母の声を聞きながら、いよいよ紙袋の折口を止めてあるテープをはがして、開けた。中身は、私の想像を超えたものだった。
ねりけし、ニ個。
「ねりけし」というのは、やわらかい消しゴムで、鉛筆の文字を消す機能よりも、粘土のように造形を変えて遊ぶのが目的とされたファンシーグッズだ。当時、小学生の間で流行っていた。筆箱から取り出して、授業中にこっそり遊ぶこともできる。
紙袋から手のひらに転がしてみると、白色が2個入っていた。かわいいキャラクターものではないので、もっとも安い部類に当たる。当時の値段は、おそらく1個50円から100円。私は、何が起こったのか捉えようとした。クリスマス発表会のプレゼント交換で、「ねりけし二個」をもらうことなど、どの子どもが想定できただろう。
私は、衝撃を隠しながら、母を見上げて言った。
「ママ、ねりけしだったよ!欲しいと思ってたの。やったあ。」
「よかったねえ」
母は特段がっかりした様子を見せず、知り合いとまた話し始めた。私は、頭の中がぐるぐるしていた。
母に高い小物入れを買ってもらったのに、それがねりけし2個に変わってしまったこと。自分が選んだプレゼントが間違いだったかもしれないこと。他の子どもは、もっと安いものを選んでいたのかもしれないこと。自分のことよりも「ママがかわいそう」と感じていた。

「プレゼントには、特別なものをあげる」
「500円程度のプレゼントなら、500円以上を用意する」
「相手が喜びそうなものを考えて選ぶ」
私は、自分の価値観が、すべてではないと知った。他の価値観があるし、よその家庭の事情もあるのだ。
特別なものではなく、実用的な方がいいと考える人もいる。買わずに、家に余っているものを提出する人だっている。500円程度なら、200円は許容範囲だと思う人もいる。
今振り返ると、ねりけしは親が選んだプレゼントなのだと思う。子どもが、子どものために、白い練り消し2個を選ぶとは思えない。経済的に厳しくてレッスン代もやっとの思いで支払っている家庭だったのかもしれない。

おそらく、500円程度というのは、400円から600円くらいのことを指すのだろう。受付に並んでいた数十個のプレゼントの中で、もっとも安価な中身をひいた私と母は、もっとも高価なものを差し出していたのかもしれない。
しかし、そのギャップから、私は新しい価値観と社会の厳しさを知り、少し大人に近づいた。それが社会から私へのクリスマスプレゼントだったとしたら、子どもにはちょっと苦すぎる気もするけれど。





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