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服の仕立てと文章の仕立て


絶賛作品募集中の秋ピリカグランプリの為に1200字の物語を書き上げた。


普段、どちらかといえば言葉数の多い私の文に、1200文字というのは少なく感じる。

内容をアレコレ考えている最中、ちょうどスカートを購入した。
私は布をたっぷり使ったスカートが好きだ。
動きが出るし、単色であったとしても華やかである。
少し重くとも、動きにくくとも、ふんわり広がるスカートに心奪われる。

しかし。

どんなに布がたっぷりであっとして、それは布を上手にまとめられる手技があってのこと。
丁寧な仕立てありきのことだ。
仕立てが雑では、どんなボリュームがあろうと、それはただのまごついた布の塊である。

はて。

言葉も同じではなかろうか。

文字数が多ければいいわけではない。
もちろん、多く使ってしっかり肉付けされた物語は動きも多彩で、華やかで、読みごたえがある。
それこそ、沢山の布をまとめあげる技に似た、文章力によって言葉は美しい文章に仕立てられる。

文字制限のある作品の場合は、そこをどうカバーするか、どんな形に仕上げるかが腕の見せどころなのかもしれない。

限られたモノで、それをどう仕立てるか。
そこに込められる手業と心。
結局、そういうものが人の心を打つのだろう。
プロはそこが良く考えられている。技も磨かれた一級品だ。
素人の私は精一杯気持ちを込める。

よい布や糸を仕入れる、道具を強化する、技を磨く、気持ちを込める。
様々なアプローチを組み合わせ、己が創り上げる世界を形にする。
自分の持てるものを皆、形にしていく。

そこに正解はないだろう。
正解と思っても、またすぐに新たな扉が待っている。


さて。
そんなことを踏まえ、私は私の文書を仕立てた服に見立てて眺める。
詰めの甘さが滲む気がしてならない。
が、楽しく布を選び、不器用なりにひと針ひと針丁寧に縫ったといえる。
今回はグランプリ用に何時もより、外向けの服を縫ったと感じる。
そのぶん、少し緩さが足りなかったとも思う。
まぁ、私の器量としてはこの辺がいい塩梅でもある。


そう。

間違いなく言えるのは、私が私の作品を好きだということだ。
私が私の甘さや駄目さを認識しつつも、何かしらを気に入っている。
私ほど私の文書を読み込んでいる読み手など他にいないのだ。
その私が外に発信すると決めたのだから、それは不格好であれ、他の作品に劣る質であれ、特別な作品にに違いない。

誰のどの作品だってそうだ。
私はそう思っている。
好みだとか、読み心地だとか、そういうのは別の話なのだ。
それは後からやってくるもので、まずはそれが作られて、その作り手がいて、その事を喜びたいと思っている。

私はそういう考え方というだけで、どこまでもストイックに最高の1つを求める人もいるだろう。
自分の作品の足りなさに、悔しさを隠せないこともあるだろう。
他人の手業に圧倒されることもあるのだろう。
そして、それをバネに磨き上げることもあるだろう。

文書へのスタンスの違いも、面白い。
それが形に現れているのだと思う。

創作というのは、そういうのがいいのだ。
人がそれぞれ違う生き物であると、その魂が唯一無二であると語っているのである。


さぁ。
しっちゃかめっちゃかしてきたぞ。
私は型紙をおこすだとか、知らない製法を習いに行くだとか、できるまで練習するとか、そういう繊細さに欠ける。
だから、手当り次第、心のままに言葉をつむぐ。
パターンはないし、同じようには作れない。
手癖が抜けない私の文章達が今日も生まれる。
明日も、明後日も、きっとそうなのだろう。


『楽しいな』と思える心と共に。


私は言葉を仕立て続ける。
あなたの言葉が形になっていくのを見る。

そうやって繋いでいよう。 

色とりどり。












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