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日々耐えて削り取られるような生活
僕はそれを、鍋の水に入れられた玉葱だと思う。

そこが熱湯ならば、飛び込まなかったろう。
でも、最初はまだ水だった。
温度が徐々に上がっていく。
だんだん熱湯になっていく。

もう、この仕事、やめようかな?
そう思うには瞬間的な事件が必要だ。
けっこう辛い、程度のことが繰り返されても
きっかけにはしづらいから。

熱湯の中、人参もじゃがいもも耐えている。
だから私だけ逃げ出してはいけないと
玉葱は、妙な使命感を覚える。
しかし忘れてはいけない。
耐えているつもりのその身体が、
少しずつ、少しずつ、溶けているのだと。

玉葱は危機感を抱くも、飛び出そうとしない。
外の世界を知らないから。
 逃げ出した先が業火かもしれない
それはただの妄想なのだけれど、
「かもしれない」のは真実なので、
被害妄想はあたかも事実に感じられる。

そして、玉葱は打算をする。
打算のつもりで、動かぬための理由を造る。
0か100か分からぬ外界よりも
この20点の人生の方が無難だと

そうやって、時間は流れていく。
そうやって、身体が溶けていく。
動かないことは充分にリスキーだ。
動けるうちに避難するのは当然だ。

玉葱らしきものは、今更だと諦める。
 誰かのためになっているから仕方ない
そんな自己弁護を始める。
だがそれは楽天的、あるいは傲慢かもしれない。

鍋の外から見てみれば
必要なのはカレーであり、玉葱ではない。
玉葱が生きがいを感じられるほどの感謝を
捕食者はしない。
美味しくて当たり前なのだから。
捕食者に感謝を求めてはいけない。

玉葱は叫ばなければならない。
玉葱は逃げ出さねばならない。

身を削り耐える、心が弱く、優しい人
優しすぎて、損をしてしまう人
そんな人達こそが幸せになって欲しいと
お節介ながら、余計なことと知りながら、
心から願ってしまうのです。

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