選択肢っていうのは、与えられるのではなくて、自分で作るモノでありたいと思いませんか?選択肢を与えられるって、なんだか自分の人生のハンドルを自分でにぎってないような気がして。自分の人生のハンドルを自分で持つことが、僕が僕である事だと思うんです。
「卒業」「路上のルール」「15の夜」「十七歳の地図」「シェリー」「僕が僕であるために」高校時代繰り返し聴いていた尾崎豊のCDを引っ張り出して聴いている。自然と歌ってしまう。歌詞が沁みて沁みて仕方ない。彼は全て知っていたのだと思う。尾崎豊は自由と真実を求める全ての者たちの代弁者だ。
同じ文筆・著述業でも、作家や小説家は私的、ライターは公的である。すなわち、執筆の主体(自分事/他人事)と対象(利己/利他)のベクトルの違いだ。 ライターとは己を滅して公的な文章を書く仕事である。 https://note.com/fumigura/n/n5beb7dec4ada