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ミスチルとわたし

「ミスチルとわたし」がタイトルだが、もちろん両者は知り合いではない。私が一方的に知っていて、好んで彼らの曲を聞く。

Mr. Children (以降ミスチル) は今年でデビュー30年になるそうだ。私はデビュー翌年の1993年から聞いている(多分)。1999年から2005年までは毎年ライブにも行っている(はず)。その頃私と同世代のミスチルファンは珍しかった。私の周囲には一人もいなかったし、どのライブ会場でも私ほど髪が薄い男はいなかった(気がする)。

今のミスチルのファン層は30歳から50歳ぐらいではないか。前期高齢者の私は外角高めに大きく外れている。
ミスチルの曲は、少し不満や不安や不信を抱く若者を優しく励まし応援するものが多い。初期の代表曲「innocent world」「Tomorrow never knows」「名もなき詞」「終わりなき旅」などには、どれも "励まし" メッセージが込められている。

ミスチルがデビューした1992年は、私が30代後半にさしかかる頃。私は B to B の営業最前線にいて、4人の小さな子供を抱える境遇。過大な責任に圧倒されながらも懸命に働いた。だが会社と仕事に誇りを持てず、先々まで続けていく自信はなかった。迷い、悩み、割り切れない日々を送っていた。

そんな頃、若者の心情を吐露するミスチルの歌は、うつむきがちで暗い目をした4人の子持ちの中年営業マンにも刺さった。飾らない言葉で紡ぐ印象的なフレーズ(歌詞)と心地よい音は、ささくれた心を癒し勇気づけた。

今回 note に書くべくミスチルを振り返ると‥ 私のミスチルはちょうど半分の2007年までだった。以降はそれまでの曲を繰り返し聞いたり、CMやタイアップの曲が聞こえてきていたというのが正しい。

 話は少し逸れる‥‥
一隅を照らす、これすなわち国宝なり」は天台宗の祖 最澄上人の教え。「一人ひとりがその場所で自ら周りを照らしましょう」と説いている。ずっと昔、私の親友で日光山輪王寺の僧侶 鈴木常元氏のお父上が、結婚式の挨拶で引用されていた。以来私はその言葉を処世訓としている。

下の3曲は、私が好きなミスチル中期の作品です。
3曲には「一隅を照らす~」精神が確かに通(かよ)っている‥  

※「HERO」2002年  ♪ ずっとヒーローでありたい ただ一人君にとっての 
つまずいたり転んだりするようなら そっと手を差し伸べるよ ♪


※「くるみ」2003年
♪ 時間が何もかも洗い連れ去ってくれれば  生きることは実に容易い ♪ 
♪ 今動き出そうとしている歯車のひとつにならなくてはなぁ ♪


※「彩り」 2007年  ♪ 僕のした単純作業がこの世界をまわりまわって まだ出会ったことのない人の笑い声をつくってゆく ♪ 
♪ そんな確かな生き甲斐が日常に彩りを加える ♪

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ミスチル桜井和寿くんは、1970年3月8日東京都練馬区貫井の生まれ。桜井くんが影響を受けた尾崎豊さんは1965年11月29日生まれで1976年8月まで練馬区春日町に暮らしている。朝霞に転居後も1978年4月からは、春日町にある練馬東中学に越境通学している。当時二人は目白通りを挟んでたった2kmほどの範囲で生活していた。

練 馬 区

実は私も1978年からの2年間、前述の鈴木と二人で春日町に住んでいた。小学生の桜井くんや中学生の尾崎くんと近所ですれ違っていたかもしれないと思うと何だか感慨深い。私が一人きり情熱を振り回す(練馬高校バス停横の)バッティングセンター に彼らも来ていたかもしれない。※この表現はミスチル「光の射す方へ」からのパクリです。

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1992年4月25日尾崎豊さんは非業の死を遂げ、その2週間後の5月10日がミスチルデビューの日だった。何か因縁を感じる。尾崎さんは「僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない」と歌っている。この曲はその後桜井くんもカバーした。そんなふうに追い込んだらさぞかし生き難かったことだろう。割り切ったり目をつぶることはできなかったのかなぁ。

ミスチルの30周年は、尾崎豊さんの31回忌でした。その往時を偲ぶとともに、改めてご冥福をお祈りします。

< 了 >


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