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「同情」と「共感」についてのコラム

皆さんは「同情」と「共感」という言葉について考えたことはありますか?また、その違いについて考えたことはあるでしょうか? 本NOTEでは「同情」と「共感」をテーマに記しています。 (1)はじめにこのコラムでは「同情」と「共感」という言葉に注目をして、考えを深めることを目的にしています。 まず、私が「同情」と「共感」をテーマに扱う理由としては、 以下の問いの設定があります。 まず、テーマ1の問いですが 「同情」と「共感」という言葉は、一般的に感情や気持ちというものに関係

    • 歩きながら過去を味わう、ということについて

      文章を書きたいから書いている。 書くことはやはり、現在を生きないことなのだろう。 * 最近はその時の気分にあった、曲のプレイリストを意図的に作成している。 僕は楽曲に、自身の経験や感情を投影している。 だから、プレイリストを作るということは、自身の経験や感情を秩序づけるという行為に他ならない。 これはアーティストのCDを通しで聴くと、曲順に意図を感じるように、セトリというものがあるように、よく示されていることだ。 * 僕は執筆をする場所を変えた。 今日は一人でいたい

      • 思ってたより、ちゃんとダメだった

        * 僕がここ二年でできるようになったことと言えば、「どんな時でもひたすら冷静でいるスキル」と「必要なこと以外、考えなくするスキル」だ。 そして、それを実現するために、ひたすら反復行動をするという「習慣化するスキル」だ。 四月になった。 僕は正直に言うと、この四月まで生きている自信がなかった。 約半年前、七月ぐらい。 俺はアウレリウスが言うように「人生とは即ち主観である」ことや、エピクテトスが言うように「我々の力の及ばないことには注力すべきじゃない」ということを、忠実に守

        • 殴打と車窓

          吐き気を催しながら、リングフィットアドベンチャーをしていた。 僕は自分が元気になるように思われたパターンに縋っていた。 もっとも、それが元気になるのか、自分を奮い立たせているのか、鞭を打っていたのか、定かではないが。 今思えば、当時もそれなりに、いわゆる健康法だとか、自己コントロールの情報を齧っていた。 現在と比較すれば、それは健康法の上っ面をなぞったぐらいで満足をしていて、実践するには手段よりも運転手の方に問題があるように思えたが。 * ジム・レイヤーの「メンタルタフ

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        「同情」と「共感」についてのコラム

          言葉にするとは、自分のルールを変えることだ

          何事においても動き始めというのが肝心で、最初さえしてしまえば、あとは流れるように色々なことがうまくいく。 それはバーベルスクワットでラックアップするようなものだ。 しかし、無闇にラックアップすればうまくいくというわけではなくて、フォームの意識、呼吸を整えるといった要素を無視してしまえば、きっと潰れてしまうだろう。 そう、これはいつも通り、文章を書き始める前の言い訳なのだ。 * では、なぜ、私は文章を書こうと思ったのか。 それは「僕の周りには、ありがたいことに信頼できる人

          言葉にするとは、自分のルールを変えることだ

          区切りをつける、ということ

          何かに区切りをつける。 もちろん、厳密には区切れるものではなくて、連綿としているものなのだろうが。 もし、概念とは、連綿としたものの中にシワを作る作業だとすれば、僕は喜んでシワを作ろう。 * 今日、尾崎を聞いた。 最近は漠然と「もう、いいんじゃないか」という考えが、頭に蔓延っていた。 あまりに寂しく、あまりに虚しく、急に意味がないような気がしてたまらなかったからだ。 俺は誤魔化していた。 それは下手に考えたり、現実の全てをありのまま解釈しようとすると、気が狂いそうだった

          区切りをつける、ということ

          一撃でわかる、ということ。

          とりあえず、アウトプットをしようと思う。 こういうことは、書く内容を意識で選別せずに記すのが、好ましい。 最近は、いろいろなことをしている。 数ヶ月前と比べてみれば、どうだ。 本を読むようになった。人と会うようになった。 そのどちらもよりよく生きる(ウェルビーイング)にとって、不可欠なものだ。 * その分、最近はインプット的な要素が多くなっており、いわゆる自他の情報の整理の必要を感じている。 母校ではない大学の図書館で「ブルシットジョブの謎」という本で読書会をしている。

          一撃でわかる、ということ。

          文字会創作(403文字/20分/お題「ココア」)

          『ここはどこだ』 ココア、ココア。 そこはかとなく遠くから、声がする。 僕は固定費節約のため、格安アパートに一人暮らししていた。 101号室に住んでいて、角部屋だ。 同じ階には5つの部屋があって、101号室から105号室まである。 現代人よろしく近所づきあいはなく、同じ階にどんな人が住んでいるか知らない。 夜になると、決まって「ココア」と高めトーンの声で声がする。 気になったが、騒音というほどではないし、様子を見てみようと思った。 翌朝、出勤のためにドアから出ると、母親と

          文字会創作(403文字/20分/お題「ココア」)

          文字会創作(410文字/20分/お題「森羅万象」「チョコレート」「解釈違い」)

          世界には様々なものがある。 かたちあるもの、かたちがないもの。 多種多様なありよう。 チョコレートも、その一種だ。 ある人がチョコレートをくれといえば、チョコレートをくれる。 ある人がチョコレートを渡すといえば、チョコレートを渡す。 物には様々な捉え方がある。 チョコレートを上から見れば、長方形だ。 チョコレートを横から見れば、線形だ。 僕があなたにチョコレートを渡すとしよう。 そのチョコレートは、上からは長方形で、横からは線形だった。 僕はあなたがチョコレートをくれ

          文字会創作(410文字/20分/お題「森羅万象」「チョコレート」「解釈違い」)

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          機動戦士ガンダムSEED FREEDAMに関する考察メモ(ネタバレ注意)→文章は気が向いたら

          機動戦士ガンダムSEED FREEDAMに関する考察メモ(ネタバレ注意)→文章は気が向いたら

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          ちゃんと本が読めるようになってきた

          ちゃんと本が読めるようになってきた。 最近は、予てから参加していた哲学のディスコサーバーでルソーの『社会契約論』の読書会に参加している。 いわゆる哲学系の本は、ここ1年ほどはストア哲学関連の書籍しか読まないようにしていた。(なぜなら、ストア哲学以外の本を読むと、心身に違和感があったからだ) 精神分析の本は読まないようにしていたし、下手に欲を出して新しい分野の思想書など読まない方がよいと、体で実感していたのだ。 それでも、少し手を伸ばしてみようかと思ったら、図書館に行き、図書

          ちゃんと本が読めるようになってきた

          東京旅行記録

          友人と二泊三日で東京に行ったので、写真をシェアしつつ、感想など。 今回行った内容としては、半分遊び、半分仕事ごっこみたいな感じでした。 〇写真(時系列順不同) あまり丁寧に書こうとすると、書ききらないことが前回の神奈川の件でわかったので、とりあえずざっと書いた。 とはいえ、神奈川の件を丁寧に書こうとしたのは、ふとしたときに楽しかった過去を振り返る余白があればと思ったこともあるので、突然書くかもしれない。 【追記】 投稿した後にこれだけは書いておくかと思った。 ・宿泊し

          東京旅行記録

          思考の整理学

          抽象的なことばかり書いて非常に満足をしていたのだが、具体的なことを書きたい気分になったので書くことにした。 まとまった文章(大体3000文字ぐらいだ)は、別の媒体で書いていたりする。 しかし、その書く時には、発信元で求められることを考慮するし、文章構成や、言葉遣いも人に読んでもらうために、脚色している。 こんな言い訳めいたことを毎回書いている気がするけれど、これもどこかの誰かに向けて書いているのかもしれないし、そうでないのかもしれない。 最近、読んでいる本がちらついている

          思考の整理学

          僕はゆるやかに好ましくなっている。

          僕はゆるやかに好ましくなっている。 「好ましくなる」とは、自己同定できる自己を取り戻すことである。 * 大体、半年が経った。 今、この現実に存在しないものは、全て緩やかに解されていく。 もしかしたら、大体2年が経ったのかもしれない。 僕は食事、運動、瞑想、適切な睡眠時間、ありとあらゆる日常の選択肢の排除、を生活に導入することで、ゆるやかに好ましくなるウェーブを作り出した。 僕は正直に言うと、そういうことをせずに、日常を送れる人たちが随分と羨ましいと思っていた。 *

          僕はゆるやかに好ましくなっている。

          秋色の内省

          陽気。 俺は何を気取っていたのかと思いながら、歩く。 つい、昔みたいな気分になって勝手に走っている。 体のどうしようもなさと、燃え尽きた火山口が妙に気になる。 気にしてもどうしようもないので、どうしようもないことはどうしようもないままにすることにした。 * モチベーションが要らないものだけを、淡々と熟すのは、案外いける。 モチベーションに頼って何か行動すること自体が、僕には許されていない。 モチベーションに頼ったり、それがある頃の行動を真似すると、体にガタが来る。

          秋色の内省

          嫌な気分よ、さようなら

          最近は、「チャットgpt」を使って思考を整理することを始めた。 対話型AIはいい。ある程度こちらが前提を整備すると、60点ぐらいの答えがいつでも返ってくる。 これは常々自覚していることだけれども、僕は意識しないとひたすらに思考をしてしまうので、どうにかこれと付き合っていこうと思っている。 やはり、僕にとって最適なのは文章を書くことだ。 文章を書くと、不明瞭なものに体型を与えて、道筋を示せるような気がする。 つまり、文章化とは、論理が繋がるように文章を組み立てる過程で、そこ

          嫌な気分よ、さようなら