記事一覧
「同情」と「共感」についてのコラム
皆さんは「同情」と「共感」という言葉について考えたことはありますか?また、その違いについて考えたことはあるでしょうか?
本NOTEでは「同情」と「共感」をテーマに記しています。
(1)はじめにこのコラムでは「同情」と「共感」という言葉に注目をして、考えを深めることを目的にしています。
まず、私が「同情」と「共感」をテーマに扱う理由としては、
以下の問いの設定があります。
まず、テーマ1の問
哲学と筋トレ/ファンタスムと自由の両立
5月になった。
暖かな日差しは、ぎらつきを帯びてきた。
春の訪れを歓待するような気分は、湿気混じりの熱に追いやられていった。
とにかく文章を書いて、<訂正>してやろう。
そんなことを思うのは、最近『訂正する力(東浩紀)』を読んだからだろうか。
この書籍で語られていることを雑に要約すれば、「実は……だった」という、ライブ感のあるロジックが熱いということらしい。
つまり、何かを「捉え直す力」なんだ
歩きながら過去を味わう、ということについて
文章を書きたいから書いている。
書くことはやはり、現在を生きないことなのだろう。
*
最近はその時の気分にあった、曲のプレイリストを意図的に作成している。
僕は楽曲に、自身の経験や感情を投影している。
だから、プレイリストを作るということは、自身の経験や感情を秩序づけるという行為に他ならない。
これはアーティストのCDを通しで聴くと、曲順に意図を感じるように、セトリというものがあるように、よ
思ってたより、ちゃんとダメだった
*
僕がここ二年でできるようになったことと言えば、「どんな時でもひたすら冷静でいるスキル」と「必要なこと以外、考えなくするスキル」だ。
そして、それを実現するために、ひたすら反復行動をするという「習慣化するスキル」だ。
四月になった。
僕は正直に言うと、この四月まで生きている自信がなかった。
約半年前、七月ぐらい。
俺はアウレリウスが言うように「人生とは即ち主観である」ことや、エピクテトスが
言葉にするとは、自分のルールを変えることだ
何事においても動き始めというのが肝心で、最初さえしてしまえば、あとは流れるように色々なことがうまくいく。
それはバーベルスクワットでラックアップするようなものだ。
しかし、無闇にラックアップすればうまくいくというわけではなくて、フォームの意識、呼吸を整えるといった要素を無視してしまえば、きっと潰れてしまうだろう。
そう、これはいつも通り、文章を書き始める前の言い訳なのだ。
*
では、なぜ、私
区切りをつける、ということ
何かに区切りをつける。
もちろん、厳密には区切れるものではなくて、連綿としているものなのだろうが。
もし、概念とは、連綿としたものの中にシワを作る作業だとすれば、僕は喜んでシワを作ろう。
*
今日、尾崎を聞いた。
最近は漠然と「もう、いいんじゃないか」という考えが、頭に蔓延っていた。
あまりに寂しく、あまりに虚しく、急に意味がないような気がしてたまらなかったからだ。
俺は誤魔化していた。
そ
一撃でわかる、ということ。
とりあえず、アウトプットをしようと思う。
こういうことは、書く内容を意識で選別せずに記すのが、好ましい。
最近は、いろいろなことをしている。
数ヶ月前と比べてみれば、どうだ。
本を読むようになった。人と会うようになった。
そのどちらもよりよく生きる(ウェルビーイング)にとって、不可欠なものだ。
*
その分、最近はインプット的な要素が多くなっており、いわゆる自他の情報の整理の必要を感じている。
文字会創作(403文字/20分/お題「ココア」)
『ここはどこだ』
ココア、ココア。
そこはかとなく遠くから、声がする。
僕は固定費節約のため、格安アパートに一人暮らししていた。
101号室に住んでいて、角部屋だ。
同じ階には5つの部屋があって、101号室から105号室まである。
現代人よろしく近所づきあいはなく、同じ階にどんな人が住んでいるか知らない。
夜になると、決まって「ココア」と高めトーンの声で声がする。
気になったが、騒音というほどで
文字会創作(410文字/20分/お題「森羅万象」「チョコレート」「解釈違い」)
世界には様々なものがある。
かたちあるもの、かたちがないもの。
多種多様なありよう。
チョコレートも、その一種だ。
ある人がチョコレートをくれといえば、チョコレートをくれる。
ある人がチョコレートを渡すといえば、チョコレートを渡す。
物には様々な捉え方がある。
チョコレートを上から見れば、長方形だ。
チョコレートを横から見れば、線形だ。
僕があなたにチョコレートを渡すとしよう。
そのチョコレ
ちゃんと本が読めるようになってきた
ちゃんと本が読めるようになってきた。
最近は、予てから参加していた哲学のディスコサーバーでルソーの『社会契約論』の読書会に参加している。
いわゆる哲学系の本は、ここ1年ほどはストア哲学関連の書籍しか読まないようにしていた。(なぜなら、ストア哲学以外の本を読むと、心身に違和感があったからだ)
精神分析の本は読まないようにしていたし、下手に欲を出して新しい分野の思想書など読まない方がよいと、体で実感
僕はゆるやかに好ましくなっている。
僕はゆるやかに好ましくなっている。
「好ましくなる」とは、自己同定できる自己を取り戻すことである。
*
大体、半年が経った。
今、この現実に存在しないものは、全て緩やかに解されていく。
もしかしたら、大体2年が経ったのかもしれない。
僕は食事、運動、瞑想、適切な睡眠時間、ありとあらゆる日常の選択肢の排除、を生活に導入することで、ゆるやかに好ましくなるウェーブを作り出した。
僕は正直に言うと、