ぼんやりしているうちに過ぎていく静かな朝も、ひとつひとつが惑星みたいな出窓の植物たちも、確かにあったのだと書き留めておきたい。ごちゃごちゃした日々は、カラフルで綺麗だから。私の根っこはここかな…という気がしてきた。(今度、もう少し時間をかけて言葉にしてみようと思う。)
「真面目だ」と言われるのだけど、人より出来なかったり、焦ってやることが好きじゃないから事前に準備しておくことが昔から身についてるから、普段通りしているだけなのだけど、人によってはそれが「真面目」に見えるのかな。不器用だからやってるだけなのに。笑
私にとって当たり前のことを人から「すごい!」と言われることがある。 逆に私ががんばった!と思ったことを他の人から「当たり前だ」「できて当然だ」と言われることがある。 理不尽だ、そう思うのは私が他人軸に依存した思考回路だからだろう 今世でどうにかこの歪んだ呪いを解けたら良いのだが
端材の再利用に意味をもっと強くもたせるとしたら、例えば端材を使った小物の収益のX%を森づくりをしている NPO などに寄付する。とかができるかもしれない。これは完全に自己満足だけど。 あまり遠い先のことばかり見ずに、それが実現できるように今できることをがんばろ。
前に磨いてみた端材を使った小物は、コースターやテーブルを作った端材から作っているのもあって、あまり凝ったデザインにできないんだよね。 だけど、端材を再利用しているっていうことに意味があると思ってて、どうやっていいデザインと両立させていくかはひねっていかないとなあ🤔