見出し画像

つらそうだねって言われたくない。

こんばんは、白玉ころたです。
今日は19時より前に夕飯を終えました。夜を楽しめそうです。

私はnoteで発信をする中で、体調について書くことがほとんどです。
ジャンルとしての書きやすさはもちろんあります。しかしそれ以前に、私は自分の体調と常に向き合っているから、つい書いてしまうんです。
いつも体調管理を気にして、毎日振り返りをして取り組んでいるから、どうしても体調について書いてしまうんです。

私は体調が不安定なほうだと思います。今日だって、一時間くらいスマホも見れず壁を見てひたすらぼーっとして座っている時間がありました。その時は頭も身体もフリーズして、何も考えられなくて、目を開けたまま眠っている感じだったかな。そのあとなんとか動けるようになって、今noteも書けています。
とまあ、いつものように自分の状況を説明してみると、客観的に見たら「病んでいてつらそう」に映ってしまうんだと思います。
それが、なんとなく、悔しいんです。

私は精神障害で無職で年金生活しているけれど、つらいアピールをしたいわけじゃないんです。
日常を説明したら、「つらそう」と思われてしまうんです。
体調はあまり良くないし、元気ない時もあるけれど。
私はマイナスなことを言ってしまったな……って時には必ずプラスな話も添えるように努めています。
noteでも、かなり明るい記事にしようとしてきました。
それでも客観的に見たら「大変そう」に見えているということに、みなさまのコメントや周りの反応で気が付いて。

私は方向性を変えたいなって思います。
他の方と比べて、とかではなく、過去の自分と比べてより明るい記事にしていきたいです。
色々あるけど明るい人だな、って思われるようになりたいんです。
もちろん文章上だけでなく、現実の自分がにこにこ楽しそうにしているのが一番の理想です。

今回こんな話を記事にしたのも、私の中の不安定さが原因だと思います。
「大変そう」と誰かに共感されたい気持ちも、確かにあるんです。
同時に、ポジティブで明るい私になりたい気持ちも強く持っています。
(つらそうといった言葉の反対が「ポジティブで明るい」なのかの判断は、分かりませんが。)
もっとこうなりたい、でも実際はこんなだし……という葛藤そのものが表れているのが私のnoteなのかもしれません。

私のこのめんどくさい性格は、人に投げかける言葉にさえ気を遣っています。
「元気そうだね」「おめでとう」「頑張っているね」などの言葉は、人に対して発言しようか悩むことが多いです。
明るい言葉に見えるけど、言われて傷ついたり悲しんだりすることも、たくさんあるから。私もあったから。
小さな一言で相手がどう思うか、気にしすぎてしまう。
きっと私に対して「つらそうだね」って言ってくれる方に、全く悪意はありません。むしろ優しい気持ちで言ってくれていて、そのことに感謝しています。
ただ、明るい言葉でもやもやしてしまうことって、なかなか消化しきれないなって。誰も悪くない、自分の気持ちの問題だって。

人との会話でもやもやした時は、正直に相手に伝えることがベストな気がします。
でも、それは簡単なことではないです。いつだってそう上手く会話ができるわけではない。
そんな中、あとで文章にして吐き出してしまうっていう私のやり方は気に入っています。
頭のごちゃごちゃを文章にすることで整理して、ついでに人に見せちゃう。
いいアイデアですよね。

話がそれていましたが、結論。
・「つらそう」という言葉は善意で言ってくれている。
・明るい言葉で傷つく人がいることを知っているだけで、私はちょっぴり優しい人間。
・人に何か言われてもやもやした時は、直接話せるといい。できない時は文章を書いて、整理するといい。

以上を踏まえると、別に大した問題じゃないことに気が付きました。
頭の中でもやもやしていたけれど、同じように考えてしまう人間がきっとたくさんいると配慮することができるから、私はまたひとつ強くなれました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?