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独身者の日常

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鶏から!鶏から!鶏から!

鶏から!鶏から!鶏から!

――本を三冊買う、という楽しみかたの方針を、現在の僕は確定されたものとして持っている。

これは、最近読んだエッセイの冒頭部分を抜き出したものである。書き手は、作家の片岡義男。その独特の言い回しに、あるいはピンときたひともいるかもしれない。

この文章のツボは、ひとことで言うと「本を買う」ことにではなく、本を「三冊」買うということに目をつけたところにある。じっさい、片岡義男のエッセイというと、こう

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より少なく。機嫌よく。

より少なく。機嫌よく。

冷蔵庫の中の常備菜であるとか、あるいはまたスティーブ・ジョブズの黒いタートルネックであるとか、身の回りのすべてについて、自分にとってのコレ!という定番がある生活は好ましい。そういった暮らしにあこがれる。

言うまでもなく、あこがれるということはつまり現実にはそんな暮らしとは程遠いということである。

だが、なにもミニマルな暮らしをめざそうというわけではない。タイパがどうとか言うつもりもない。

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ええい、ままよ

ええい、ままよ

ひとはいよいよ窮地に追い込まれたというそのとき、思わずこう口にする。

ええい、ままよ

いや、本当か?

いままでただの一度だってそんなふうに言ったおぼえはないし、身近な誰かがそう口にするのを聞いたこともない。

だいたいそんなふうに言うひとがいたら、誤って現代に迷い込んだ江戸の町人なのではないかと疑って頭にチョンマゲを探してしまいそうだ。

だが、しかし、思わず「ええい、ままよ」と叫びたくなる

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ほんの立ち話くらいのこと

ほんの立ち話くらいのこと

4月○日 気づいたらそんな仕事ばかり選んでいた

いよいよゴールデンウィークらしい。

なんだか他人事のようだが、じっさいのところまったくもって他人事である。

ふりかえれば、これまでいくつか仕事を変えているがゴールデンウィークに休んだという記憶がない。

ひとが楽しく時間をすごすための仕事ばかり好んで選んできたのだからそれも仕方のないことだ。とうの昔にあきらめている。

仕事は面倒くさいこともあ

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ほんの立ち話くらいのこと

ほんの立ち話くらいのこと

4月◯日 あらやだ!

新宿のSOMPO美術館で『北欧の神秘』展を観た。  

あまりなじみのないノルウェーやスウェーデン、それにフィンランドの画家たちの作品ばかりあつめた展覧会だが、自然や神話といったテーマごとにまとめて展示されているので予備知識がなくても十分楽しめる。

個人的に楽しみにしていたのは、スウェーデンのアウグスト・ストリンドバリの《街》という作品。  

去年の夏、国立西洋美術館の

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葉桜のころ

葉桜のころ

日曜日。東京駅からぶらぶらと、日本橋方面を散歩してすごした。

常盤橋を渡って、街路にソメイヨシノの植わった日本銀行の脇道へ。

初夏の陽気。桜はもうすっかり葉桜だ。

葉桜、か。

あまりかんがえたことがなかったけれど、あらためて「葉桜」とはよく言ったものだなあ。

辞書的に言えば、さしずめ花が散って若葉が出始める頃といったところだろうが、それとはべつに、花が散ってなおそこに満開の桜の残像を見て

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銀座で手紙を書く

銀座で手紙を書く

3月〇日 「異人たちとの夏」とすき焼き屋の晩餐

遅読にしてはめずらしく、図書館で借りてきた文庫本を一気読みした。山田太一の『異人たちの夏』という小説である。

ところで、浅草に行った話はこのあいだ書いた。

浅草は「塔の町」であり、「塔の町」というのはなにかしらひとを過去へと連れ戻すようなところがある、とそこには書いたのだった。

その浅草が、この『異人たちとの夏』の舞台である。しかも、主人公の

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変なおじさんが遅刻の危機から少年を救った話

変なおじさんが遅刻の危機から少年を救った話

毎朝バスを待ちながら、見るとはなしに向かい側の停留所を観察するのが日課のようになっている。

そのバス停から発車するのは、特別支援学校の方面に行く路線である。ちょうど通学時間帯にあたるため、いつも7、8人の生徒たちがこのバスを利用する。

毎朝のことだから、最近ではすっかり彼らの顔を覚えてしまった。顔ばかりか、この頃はそれぞれのキャラクターまでなんとなくわかってきた気がする。

この子は好奇心が旺

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コーヒーと調律

コーヒーと調律

年が明けてからというもの、ザワザワした気持ちを引きずったままここまで来てしまった。そんな気がする。

個人的に仕事が忙しいというのもあるが、ひさしぶりに風邪を引きこんだり、そこにきて馴れない雪にいよいよ調子が狂ってしまった感じ。

仕事からの帰り道、四方八方から吹きつける雪と雷鳴のなか来ないバスを待ちながら、雪だるまとは作るものではなく自分が「なる」ものだということをはじめて知った。



そう

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離れた土地での災害と自分にできること

離れた土地での災害と自分にできること

夢は毎晩かならず見るのに、初夢のけさにかぎって憶えていない。

ゆうべは、いつになく遅くまでニュースを見たりSNSをチェックしたりしていた。

寝付けないからそうしていたのか、そうしていたら寝付けなくなったのか、どちらかはよくわからないが軽い興奮状態に陥っていたのだろう。

大きな地震が発生するほんの数分前、新年さいしょの短い記事を投稿した。のんきにもほどがある、いまとなってはそう思わずにはいられ

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クリスマスあれこれ 北園克衛、レコード針、ハンドクリームと謎の箱

クリスマスあれこれ 北園克衛、レコード針、ハンドクリームと謎の箱

「白い箱」と題された北園克衛の掌編はこんな一節で始まる。

うん、さすがは戦前のモダニズム文学を代表する詩人。車体にきらびやかな街灯を映して走るタクシーの姿をリンゴに喩えるとはなんともすてきではないか。

そういえば、東京の街を行きかうタクシーも最近ではすっかり黒光りするロンドンタクシーが主流になった。

はたして凡人の目にもリンゴのように見えるだろうか? うーん、どうだろう? 

仕事じゃなけれ

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適温と天の配剤 週末のできごと

適温と天の配剤 週末のできごと

十二月はどうしたって忙しい。

年末年始をひかえ仕事もバタバタするが、プライベートも負けず劣らずバタバタする。

休日にはなにかしら、それも誰かと会うといった予定がポンポン飛び込んでくる。

そしてこの週末が、まさにそんなふうだった。

正月休み以来はじめての三連休だったこの週末。そのため、浮かれてちょっとばかり油断していたようだ。

終わってみれば、なにやら必死に予定を消化することで終わってしま

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パンがなければケーキを食べればいいじゃん

パンがなければケーキを食べればいいじゃん

新宿まで眼鏡を作りにいって、家に財布を忘れてきたことに気づいたのだった。

そこそこ長く生きてきたけれど、財布を忘れて出かけるのはこれが初めて。気づいたとき、慌てるよりも先にまず驚いてしまったのは、財布を忘れるということにかんしてはなぜか自分は大丈夫という変な確信があったからだ。

それにしても、恐ろしいのは「刷り込み」である。

そのとき、よりによって頭の中に流れたのはサザエさんのテーマソングだ

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夜の散歩と祖父母のこと

夜の散歩と祖父母のこと

親類のあつまりで、九十になる叔母から話を聞いた。

叔母がまだ若かったころの思い出話だが、記憶に残る事柄というのは人により異なるもので、折に触れて母から聞く話とはまたちがった新鮮な気持ちで聞くことができた。

なかでも、とりわけ印象に残ったのは祖父母、つまり叔母の両親にまつわるエピソードだ。

娘の目から見ても仲睦まじい夫婦だった祖父母は、夕食後、近所の麻布十番まで散歩にゆくのを日課にしていたのだ

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