銀座で手紙を書く
3月〇日 「異人たちとの夏」とすき焼き屋の晩餐
遅読にしてはめずらしく、図書館で借りてきた文庫本を一気読みした。山田太一の『異人たちの夏』という小説である。
ところで、浅草に行った話はこのあいだ書いた。
浅草は「塔の町」であり、「塔の町」というのはなにかしらひとを過去へと連れ戻すようなところがある、とそこには書いたのだった。
その浅草が、この『異人たちとの夏』の舞台である。しかも、主人公の男は子供のころに死別した両親とそこで〝再会〟するのだ。
荒唐無稽にはちがいないが、ひょっとすると浅草でならそういうことだって起こりうるのではないか。そう思わせる妙な説得力がある。
少年時代を浅草で過ごした山田太一の、土地っ子ならではの嗅覚がはたらいているせいかもしれない。
じっさい、ドラマが生まれる場所としての浅草の描き方が抜群にうまい。とりわけ、すき焼き屋の場面が印象に残っている。
頭ではこんな馬鹿げたことあるわけないとわかっていても、死別した両親を慕う気持ちから男は浅草へ行くのをやめられずにいる。
しかし、死者たちとの交流は彼から確実に精気を奪い、もはや限界に達しつつあった。
それを悟った男は、最後の晩餐のつもりで両親をすき焼き屋に誘う。したくてもできなかった親孝行を、ここでやり直そうというつもりだったかもしれない。
二度と会えないことを覚悟しつつ家族水入らずで鍋を囲む情景はなんともせつなく、それでいてどこまでも甘美だ。
読みながら、この場面はきっと
八月の夜は今 米久(よねきゅう)にもうもうと煮え立つ
と始まる高村光太郎の有名な詩へのオマージュなのだろうとかんがえる。「米久の晩餐」というタイトル詩だ。
「米久」は浅草に現存する明治19年創業のすき焼きの店である。
夏の夜のすき焼き屋の熱気や喧噪に、幸福なひとときを懐かしむかのような趣きある詩だ。
そういえば、と思い出す。
高村光太郎もまた、浅草に育った「塔の町」の住人なのだった。
4月〇日 木曜日生まれの子どもは
休日。目が覚めると、天気予報ははずれて外は雨模様だった。
目覚ましがわりにラジオを流し、のそのそ起き出すとやかんでお湯を沸かした。
ちょうど、ゆうべ村上春樹がパーソナリティーを務める《村上RADIO》のオンエアがあったようだ。「今夜はダイレクト・カッティング特集」とのこと。またまた、とんでもなくマニアックな。
この番組での村上春樹は、作家というよりも音楽好きの親類のおじさんといった風情があってよい。傍らでレコードをとっかえひっかえかけてくれているような、そんな親密な空気がスピーカー越しに感じられる。
今回流れた曲のなかでは、とりわけオランダ出身のジャズ・シンガー、アン・バートンが日本で吹き込んだ2曲がよかった。
1曲目は、カーペンターズでおなじみの「雨の日と月曜日には」。
シンプルに伴奏はピアノのみ。そのぶん楽曲のよさがいっそう際立つ。作曲者のロジャー・ニコルスは稀代のメロディーメーカーだと思う。
雨降りで、しかも月曜日な今朝の気分にぴったり。
2曲目は、「サースデイズ・チャイルド」という曲。はじめて聴く曲だ。
歌詞の一部「木曜日生まれの子どもは、遠くまで行かなくてはならない」は、たしか『街とその不確かな壁』にも登場したはず。コーヒーを飲みながら、おいしいマフィンを頬張る場面ではなかったか。
村上ファンたちは、きっとラジオの前でにやりとしたことだろう。そんなことをかんがえなら、ぼくはあたたかい珈琲を淹れた。
4月〇日 銀座で手紙を書く
手紙を書こうと銀座にでかけた。
頂き物に添えられたていねいな手書きのメッセージがうれしくて、こちらもお礼状を書こうと思いついたのだ。
思いついたはいいが、しかし元来が筆不精ときている。手紙を書こうにもつい億劫になってしまうのだ。
だから、そういうときは環境を変えてみる。
手紙を書くため、わざわざどこかにでかけるのだ。
家で手紙を書くのは面倒なのに、なぜか手紙を書くために外出することはさほど面倒とは思わない。変な話だけれど。
でかける先はやはり銀座が多い。
伊東屋あたりで適当なポストカードを見つくろい、教文館の4階にあるカフェへ向かう。
空いていれば窓に面したカウンター席に陣取る。
明るくて手紙を書くにはうってつけだ。なかにはカウンター席を嫌がるひともいるが、この店ではむしろ街ゆく人びとを見下ろしながらひと息つくことのできる特等席として人気がある。
あいにくきょうは満席だったので壁際のテーブルに腰かけた。
筆記用具と切手は持ち歩いているので、書き終わったらそのまま最寄りのポストに投函できる。
ポストカードの調達から投函まで、ひとつながりの時間のなかで〝手紙を書く〟という行為のすべてが完了するのが無精者には助かる。
それだけではない。外で手紙を書くと、どこか旅先にいるかのような非日常的な気分も味わえる。これぞ一石二鳥ではないか。
カフェでぼんやりスマホを眺めて過ごすよりも、なんとなく有意義な時間を過ごすことができたように思われるのもいい。
あとは受け取った相手が笑顔になってくれれば言うことなしなのだが。
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