木のぼり男爵

独身者のおだやかな日常

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最近の記事

本とサンドイッチ、それにコーヒーを携えて隅田川まで来てみたものの、残念ながら外で本を読む季節ではもはやなかった。退散します泣

    • ほんの立ち話くらいのこと

      4月◯日 あらやだ! 新宿のSOMPO美術館で『北欧の神秘』展を観た。   あまりなじみのないノルウェーやスウェーデン、それにフィンランドの画家たちの作品ばかりあつめた展覧会だが、自然や神話といったテーマごとにまとめて展示されているので予備知識がなくても十分楽しめる。 個人的に楽しみにしていたのは、スウェーデンのアウグスト・ストリンドバリの《街》という作品。   去年の夏、国立西洋美術館の常設展で《地獄/インフェルノ》という作品を観て圧倒されたのだが、今回の展示リスト

      • 東京にあてた恋文

        最近、『追憶の東京~異国の時を旅する』(早川書房)という本を手にした。 著者のアンナ・シャーマンは2000年代のはじめ、10年あまりを東京で暮らした経験をもつアメリカの作家。 この『追憶の東京~異国の時を旅する』は、そんな著者による異色の日本滞在記である。 かつて江戸の市中には、町民に時刻を知らせるための鐘、いわゆる「時の鐘」が点在していた。 その響きに魅入られた著者は、すでに存在しないものもふくめ「時の鐘」があったとされる場所を片っ端からたずね歩き、ゆかりのある人び

        • 葉桜のころ

          日曜日。東京駅からぶらぶらと、日本橋方面を散歩してすごした。 常盤橋を渡って、街路にソメイヨシノの植わった日本銀行の脇道へ。 初夏の陽気。桜はもうすっかり葉桜だ。 葉桜、か。 あまりかんがえたことがなかったけれど、あらためて「葉桜」とはよく言ったものだなあ。 辞書的に言えば、さしずめ花が散って若葉が出始める頃といったところだろうが、それとはべつに、花が散ってなおそこに満開の桜の残像を見ているような、名残惜しむかのような情趣がある。 花よりだいぶ葉のほうが目立ってき

        本とサンドイッチ、それにコーヒーを携えて隅田川まで来てみたものの、残念ながら外で本を読む季節ではもはやなかった。退散します泣

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        • 独身者の日常
          21本
        • 独身者と余暇
          14本
        • 独身者の休日
          11本
        • 三行日記
          3本

        記事

          「シュルレアリスムと日本」覚え書き

          シュルレアリスムはむずかしい シュルレアリスムはむずかしい。 東京の板橋区立美術館で開催中の展覧会「シュルレアリスムと日本」をみての感想です。 むずかしいと言っても、それはかならずしも難解といった意味ではありません。そうではなく、意識をもって無意識の領域を描こうとすることに本来つきまとう困難さ、とでも言えばよいでしょうか。 シュルレアリスムは、アンドレ・ブルトンの《シュルレアリスム宣言 溶ける魚~シュルレアリスムとはなにか?》とともにはじまりました。いまからちょうど百

          「シュルレアリスムと日本」覚え書き

          立ち話くらいのこと

          4月◯日 なぜなんだ スーパーで並んだ列の、前にいるひとがトラブりがち。  4月◯日 匂いの通り道 知り合いがBlueskyで紹介しているのを見て『自炊者になるための26週』という本を読んでみた。 そのなかで、香りを感じ取る経路にはふたつの道筋があるという話があった。 鼻先で感じ取る第一の道筋をオルソネーザル、呼吸とともに時間差で感じ取られる第二の道筋をレトロネーザルといい、そのふたつが組み合わさることでより豊かな香り体験になるといった話だった。 ぼくはコーヒー好

          立ち話くらいのこと

          どうにも気になってしまい映画『異人たちとの夏』をみた

          前回、ん? 前々回の浅草の話からの、これは続きである。 * けっきょく小説だけでは飽き足らず、山田太一の小説を市川森一が脚色し大林宣彦が監督した映画版『異人たちとの夏』まで観てしまった。 主演を風間杜夫が、両親役をそれぞれ片岡鶴太郎と秋吉久美子が演じている。 この映画はすいぶんむかし、たしか十数年前にいちど観た記憶がある。 なんだかへんちくりんな映画だなあと思ったきり忘れていたのだが、今回原作を読んだことであらためて観てみたくなった。 では、2度目に観た感想はとい

          どうにも気になってしまい映画『異人たちとの夏』をみた

          銀座で手紙を書く

          3月〇日 「異人たちとの夏」とすき焼き屋の晩餐 遅読にしてはめずらしく、図書館で借りてきた文庫本を一気読みした。山田太一の『異人たちの夏』という小説である。 ところで、浅草に行った話はこのあいだ書いた。 浅草は「塔の町」であり、「塔の町」というのはなにかしらひとを過去へと連れ戻すようなところがある、とそこには書いたのだった。 その浅草が、この『異人たちとの夏』の舞台である。しかも、主人公の男は子供のころに死別した両親とそこで〝再会〟するのだ。 荒唐無稽にはちがいない

          銀座で手紙を書く

          思えば浅草は「塔」の街だった

          横浜でIUのライブ、のはずが、チケット争奪戦に敗れ満身創痍のふたりはなぜか浅草にいた。 やっとのことで休暇を死守したふたりである。このままやられっぱなしというわけにはいかない。せめて、なにかおいしいものでも食べようではないか。まあ、そういうわけである。 多少の論理の飛躍は、この際気にしないことにする。 健康的で気取りのない、いかにも庶民のための 向かった先は「天藤(てんとう)」というお店。六区の一角にたたずむ小さな天ぷら屋だ。 さすがに週末の浅草の人出は常軌を逸した

          思えば浅草は「塔」の街だった

          変なおじさんが遅刻の危機から少年を救った話

          毎朝バスを待ちながら、見るとはなしに向かい側の停留所を観察するのが日課のようになっている。 そのバス停から発車するのは、特別支援学校の方面に行く路線である。ちょうど通学時間帯にあたるため、いつも7、8人の生徒たちがこのバスを利用する。 毎朝のことだから、最近ではすっかり彼らの顔を覚えてしまった。顔ばかりか、この頃はそれぞれのキャラクターまでなんとなくわかってきた気がする。 この子は好奇心が旺盛でいつもキョロキョロしているぞ、とか、あの子はマイペースでおっとりしているな、

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          「橋63」で行く

          しいたけ氏いわく ひさびさに「橋63」に乗ろう。そう思い立ったのは、しいたけ占いに 今週は自分なりの「逃げる時間」や「逃避行タイム」を計画してみてください と書かれているのを見たからだった。 とりわけ占いを信じるほうではないが、「いま○○な状態ならこんなことしてみるのもいいですよ」スタイルのしいたけ占いは、つい毎週チェックしてしまう。 占いというよりは、一回立ち止まって現在地をたしかめる、たとえて言えば里程標のように読んでいる。 たしかに、年明け以降ここまで、今月

          「橋63」で行く

          これは雑文です

          これは雑文です。 * ひとはなぜサッカーをする、あるいは観るのか? 一昔前なら頭を抱えてしまうような難題もAIがサクッと解決してくれるこの現代にあって、22人もの人間が2時間ちかくたった1個のボールをひたすら追いかけまわしている。 場合によっては、その様子を映像を通じて何十万、あるいはそれ以上?の人びとが固唾をのんで見守っている。 どうかんがえたってタイパ最悪ではないか。 ここで誤解のないよう言っておくが、ことサッカーにかんするかぎり僕はべつに好きでも嫌いでもない

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          わたしは地下鉄です

          物心ついたときから、家のある街にはいつも地下鉄が走っていた。 引っ越しも何回かしているし、べつに地下鉄にこだわって住む場所を選んだおぼえもない。 なのに、気づけばずっと生活のかたわらには地下鉄がある。 * 地下鉄を利用しているひとはきっとみなそうだと思うのだが、僕もまた隣町の風景をよく知らない。そもそも見えないのだ。どうしようもない。 ある日思い立って途中下車でもしないかぎり、隣町は永遠に「〇〇駅」という無味乾燥の記号でしかない。 親しさはかならずしも近しさと比例

          わたしは地下鉄です

          足が棒…国立近代美術館の常設展を朝からたっぷり鑑賞

          足が棒…国立近代美術館の常設展を朝からたっぷり鑑賞

          2月10日は旧暦の元日 きょう1日をどうぞおだやかな気持ちでお過ごしください ドラセナ、通称「幸福の木」が花をつけたので写真のおすそわけをします

          2月10日は旧暦の元日 きょう1日をどうぞおだやかな気持ちでお過ごしください ドラセナ、通称「幸福の木」が花をつけたので写真のおすそわけをします

          コーヒーと調律

          年が明けてからというもの、ザワザワした気持ちを引きずったままここまで来てしまった。そんな気がする。 個人的に仕事が忙しいというのもあるが、ひさしぶりに風邪を引きこんだり、そこにきて馴れない雪にいよいよ調子が狂ってしまった感じ。 仕事からの帰り道、四方八方から吹きつける雪と雷鳴のなか来ないバスを待ちながら、雪だるまとは作るものではなく自分が「なる」ものだということをはじめて知った。 * そういえば、コーヒーを淹れる時間すらここ最近はしょりがちだったことを思い出す。コーヒ

          コーヒーと調律