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東京にあてた恋文

最近、『追憶の東京~異国の時を旅する』(早川書房)という本を手にした。

著者のアンナ・シャーマンは2000年代のはじめ、10年あまりを東京で暮らした経験をもつアメリカの作家。


この『追憶の東京~異国の時を旅する』は、そんな著者による異色の日本滞在記である。


かつて江戸の市中には、町民に時刻を知らせるための鐘、いわゆる「時の鐘」が点在していた。


その響きに魅入られた著者は、すでに存在しないものもふくめ「時の鐘」があったとされる場所を片っ端からたずね歩き、ゆかりのある人びとの話に耳傾ける。


この本は、異邦人による日本滞在記であると同時に、そうしたフィールドワークから生まれた「時の鐘」見聞録でもある。


しかしまたなんで「時の鐘」?


たいていの日本人なら不思議に思うのではないか。それくらい、現代の東京の街に「時の鐘」はそぐわない。


じっさい、東京に暮らしていても音を聞くどころか、それがどこにあるのかさえよく知らないというひとが大半だろう。


ぼくにしたところで、落語の怪談噺にお決まりの「陰にこもってものすごく。ボォ~ン」というくだりを思い出すくらい。


だから、最初はてっきり著者は歴史学か、さもなくば文化人類学の研究者ではないかと思ったほどだ。


ところが、じつのところは、芝の増上寺で夕刻を告げる鐘を若い僧侶がつく場面に偶然遭遇し、そこからすべては始まったのだという。


その点、はじめから結論ありきの学術書とはあきらかに異なる。


それはまた、著者の興味の矛先がその時々で変化していっこうに定まらないことからもわかる。


あくまでも主人公はひとつひとつの「時の鐘」であり、またその「時の鐘」が体験した時間に想像力をもって寄り添うことなのだ。


あるときは上野で、戊辰戦争と呼ばれる「内乱」に巻き込まれる寛永寺の鐘に思いをはせ、またあるときは両国で東京大空襲の悲惨なエピソードに心を痛める。


いちどは途絶えた和時計づくりを復活させた職人の元を訪ねその独自の魅力に迫るかと思えば、東大の研究室で物理学者を相手に「時間」について質問し、またときには時間をテーマに創作をつづける著名な現代美術家に面会を申し込むといったぐあいである。


こうした飛躍はたしかにひとつの答えを導き出すものではないにせよ、わからないからこそ知りたいのだという著者の真摯な思いが読み手にも伝わり最後まで退屈させない。


なにより、著者は「時の鐘」という存在をとおして東京という土地のより深いところ、より繊細な地層に触れることに成功している。


この本は東京への恋文です。


日本での出版が決まったとき、訳者に宛てたメールのなかで著者はそう喜びを表現したという。


なるほど。謙虚に、かつ敬意をもって「時の鐘」の話に耳を傾ける著者の姿は、大切なひとから大切な思い出話を聞いている恋人の様子を思わせる。


日本人にとってもはや記憶の片隅に追いやられつつある「時の鐘」が、みずからの歴史の語り部として著者を異国から引き寄せたのだとしても不思議ではない。

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