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ええい、ままよ

ひとはいよいよ窮地に追い込まれたというそのとき、思わずこう口にする。


ええい、ままよ


いや、本当か?


いままでただの一度だってそんなふうに言ったおぼえはないし、身近な誰かがそう口にするのを聞いたこともない。


だいたいそんなふうに言うひとがいたら、誤って現代に迷い込んだ江戸の町人なのではないかと疑って頭にチョンマゲを探してしまいそうだ。


だが、しかし、思わず「ええい、ままよ」と叫びたくなるような心境ならばたしかによく経験する。

6月の初めに、あるイベントにコーヒーを淹れにゆくことになった。


先日その打ち合わせがあったのだが、二度目の場所ということもあり終始なごやかなうちに打ち合わせは終了。


懸念といえば、前回50杯ではぜんぜん足りなかったので今回は7、80杯分くらいは用意しておいたほうがよさそうだ、くらいのことだろうか。


じゃあ、たいした心配もなく余裕たっぷりかというとまったくそういうことはない。


楽しみな反面、どうしてまた引き受けちゃったんだろうといささかどんよりとした気分にもなる。


規模の大小にかかわらず、いつまでたっても自分にとってイベントはプレッシャーの種でしかない。


でも、そのぶん終わった後の解放感は格別なのでは? そう思うひともいるだろう。


が、


めっちゃ楽しかった!サイコー!


ということはほぼなくて、こうすればよかったとか、次回はああしようとか、一日を反芻しながら苦い気分で帰途につくことのほうがずっと多い。


というのも、イベントというのは準備不足はそのまま結果に如実にあらわれるし、100%準備すれば平気かというと、けっきょく思いもしなかったようなアクシデントに見舞われてバタバタするのが毎度のことだからである。


だから、心残りがないくらいには十分に準備をしたら、あとは


ええい、ままよ


とひと思いに眼前の濁流めがけて飛び込むのみだ。


その結果というべきか、《胆力》ならずいぶんとついた。


ここで《胆力》と《自信》とは、もちろんまったくの別物だ。


自信というのは、自分の手札だけでなんとか勝負できるという自己に対するいわば信頼感のようなものをいう。


たしかに、場数さえ踏めばそれなりに手札も増えるだろう。


自信さえあればもっとイベントそのものを楽しめるのにと思うのだが、自信につながるほどの手札はなかなか貯まらない。まだまだぜんぜん不足している。


いっぽう、自信を攻撃力にたとえるなら、胆力というのは経験値、ゲームにおけるXPのようなものかもしれない。


あいかわらず手の中にはいつもの武器しかないが、それでどうやって戦うか? 場合によっては逃げたり、死んだふりしてやり過ごすといった戦い方だってそこにはふくまれる。


まずは相手の懐に飛び込んで、もっとも有効と思われる戦い方を見極める。そのとき必要になるのが胆力だ。


たとえば、『葬送のフリーレン』でいえば、戦士シュタルクは〝胆力のひと〟である。


自信がつくまで待っていたらただただやられっぱなしで終わってしまう。


そもそも自信なんてそうかんたんにつくもんじゃない。


そう知ったうえで、ええい、ままよ、と飛び込むとき、そこに《胆力》は培われる。


いつまでたっても自信はない。
だが、案外しぶといのだ。

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