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2021年1月の総括
2021年はじめの1ケ月が無事に過ぎようとしている。
何より大きなトラブルもなく過ごせたことに感謝したい。
心身共に引き続き健康である。
多くを欲張ればきりがないし、欲張れば躓くことはこれまでの経験からもわかっている。
落ち着いた生活と良い習慣を淡々と続けることで、精神的にも充実し心豊かに過ごせることがわかる
何が心と体にいいかはわかっている それをちゃんと自分の行動の中で実践できるか
昨日の自分×1.1=今日の自分
日々、成長するために努力を継続する必要があり、その行動を止めないために、日々、自分との戦いがある
人間の意志は気まぐれなところがあり、自分の中にいるもう一人の自分が、楽な道へ自らを引き込もうとする
この自分との戦いが毎日、いや生きている限り続く
プロのスポーツ選手だけに限らず、自ら成長し、自分の人生を納得のいくものにしたいと考えている意思がある人であれば、この自分の弱さとの戦いに打ち勝ち、自
行動するときの鉄則 覚悟と勇気
何事にも本気で取り組む姿勢を持つことはとても大切なことである
仕事はもちろん、遊びであっても全身全霊、全力でぶつかっていく
そうすれば、たとえうまくいかない結果となったとしても、後悔はなく、多くの学びが得られるだろうし、何より、その時間一瞬一瞬に生きている実感を感じることが出来るため、幸せを感じれる
過去や未来のことを考えず、ただ、この今一瞬だけに集中して全力を注ぐ
その時に必要なのは、覚
「問い」を作り探求する
膨大な情報があふれ、世界中の情報が誰でも取得できる現代においては、単なる情報のみの価値はさほど高くない
今はキーワードをPCに打ち込めば、即時に、関連情報を誰でも入手することが出来る
では、情報の替わりに今は何が価値を持つようになったか
そのことを考察することが、戦略的に情報を活かす方法となる
それは、世の中にある様々なまだ解決しない問題に対し、ソリューションを提供することにできることに価
無になる時間をつくる
前回、好奇心について書いた
常に世界に好奇心を持つことで、脳は新しいものに刺激を受け、見える世界が違ってきて、人生が楽しく、豊かになると思うというようなこと
ただ、一方で、脳に刺激を与え続けすぎると弊害も出てくるものだと思う
時に、静かに意識を内に向け、脳内を無にすることも必要なことだと思う
無を意識することで、心を落ち着かせ、脳内では、静かに情報を整理する時間を持つことができる
平素、
目的・仮説・スケジュールの3要素を考える
あらゆる行動を価値あるものにするためには、何を思考すればよいか考察してみる
漫然と目の前のことをこなすために行動をするのではなく、自らが行動するにあたって ①目的 ②仮説 ③スケジュール この3要素について明確にしたうえで行動することが重要であると思う
まず行動に対して①目的 を持つことについて
ビジネスにおいて、会議やMTGといった場面では、その目的は明確になっているのが通常であるが、日常
自由に楽しくNoteを続ける
「Note」を毎日書こうと心に決めて、これまで、何とか継続できている
もちろん、まだまだ中身は満足いくような代物ではないし、まだ、習慣として身についたとまではいってない
チャレンジしようと思ったきっかけは、考えて文字を書く、アウトプットする経験値があまりにも少なく、これはやばいなと思ったことがはじまり
何でもいいので手を動かしてみようと、「一日一記事、400文字、テーマは自由」をルールとして
生産行動を記録する方法を考察する
理想を掲げ、それに向かって日々、一瞬一瞬を最高に楽しみながら行動する
生産行動を行うモチベーションをコンスタントに維持し継続することが重要
そのために何をするか、まず思い浮かぶ基本が、日々一瞬一瞬の自分の生産行動について足跡を記録することがあげられる
何も記録しないと、曖昧な記憶の中で風化するのを待つだけとなり寂しい
記録したものを見ることで、自分の足跡を振り返ることが出来、モチベーション
多くの行動・アウトプットを行う
あらゆる分野においても、それをマスターするためには、一定のボリューム、つまり、量・数・回数・時間を確保する必要がある
そう、どんな道を究めるにも、一夜にして、、、という事はありえず、圧倒的なプラクティスを避けては通れない
その道のりは長く、道半ばにして挫折しする人も数多くでる というか長く歩みを止めずに進める人の方が少ないと思う
だけど、前進を止めてしまうと、ゴールに続く道は閉ざされてしまう
感謝をすれば、感謝することが起きる
何事にも感謝する心がけが出来る人には、また、感謝することが起きる
逆に何事に対しても不平不満を言う人には、不幸なことが集まってくる
どんな些細なこと、例えば、一食の食事に対し、何も考えることなく、当たり前のことだと思い食事をとる人もいれば、その食事を、当たり前のことと考えず、心から感謝しながら食事をとる人もいる
仮に同じものを食べていたとしても、その物事へ向き合い方の違いで、人は幸せにも不幸