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必要のない苦労や我慢はしなくていい。


自分が何となく
思っていたことが
明文化された記事を
見つけましたので

そこから一部
引用しての紹介です。
(引用元は記事最下部に)


私たちは、
戦争や高度経済成長といった、
様々な大きな波や発展を、
我慢や気合いなど、
頑張ることで乗り切ってきた
先人たちの末裔です。


そしてそのマインドは、
未だにこの日本の社会に
延々と受け継がれているのでは
ないでしょうか。


自分の価値などは無視し、
国のため、社会のため、
家族のため、他人のため。

と歯を食いしばり、
与えられたものを着々とこなす
そのような社会背景の時代には、
我慢や気合いも
とても高いレベルで
機能したのでしょう。


そうすることで、
その波を乗り越え、家族も養え、
一生を過ごす経済的な恩恵も
与えられたのかもしれません。

その成功体験が
今でも正しい思想として、
私たちを
洗脳し続けているのでは
ないでしょうか。


たしかに昔は
苦労も我慢も必須であり
それが正当な成功への道
だったのでしょう。

だからこそ
上の世代の人たち
またその影響を
受けた人たちは

大真面目に
その大切さを訴え

親切心からそのやり方を
取らせようとしたり
するのです。

そのやり方が
合っていた時代・場所が
あったことは事実です。

その時、その場所で
その考え方に沿って努力して
自分や家族を
守り抜いてきたことは
尊敬に値するでしょう。


しかし、残念ながら
今もそのやり方が正しいわけでは
なくなってきているのです。

昔はどんなに
立派であったとしても
今を生きるなら
変わらなければなりません。

(だけど、それは決して
   過去の頑張りを
   否定することではありません。

   素晴らしい過去の頑張りを胸に
   今は新たなやり方で
   新たな一歩を踏み出してみる
   ということです)

経済的な発展は頭打ちをし、
日本は経済でもずいぶん
後進国となっています。

さらに貧富の差は広がり、
貧しさや心を壊す人で
溢れる国になっている、
そんな一面を感じませんか?


世の中に溢れる誹謗中傷合戦は、
過去のマインドの負の遺産。

多くの人たちが、
我慢や頑張りで生じる苦しみを
抱えきれずに、
他人に吐き出すことでしか
その解消方法を知らず、
多くの悲劇を生んでしまう……。


私は常々
感じていたことが
あります。


人や作品への
悪口・非難などは

それを見て
攻撃しようと思ったことが
根本ではなく

様々な負の感情や
ストレスが原因で

それらから少しだけでも
一時的にでも逃れるためにと

押し出すように発動された
心の防衛法なのではないか。

だからきっと

その人自身や
発言そのものを
叩いても罰しても
何も変わらないだろう。

もっと根本の辛いものを
取り除いてあげなければ
何も解決しないのではないか。

……と。



そして
苦労についてですが

その先に
それ相応の報酬があるなら

つまり

頑張ったり
耐えたりした分が
きちんと報われるなら

苦労するのも
悪いことではないでしょう。


しかし

その先に
何もない苦労

もしくは

不相応なものしか
得られない苦労は
人を歪ませるだけです。


何も得られない苦労や
対価の少なすぎる苦労など
するものではありません。
百害あって一利なしです。

ただ苦労するだけ、
消耗するだけで終わります。

苦労した分を
埋めてくれるものは
一生返ってきません。

そうして自分だけが
一方的に消耗することを
たくさん繰り返せば

そのうち
攻撃的になって
人に迷惑をかけたり

しかし
その自覚がないために
理不尽な敵が
増えたと感じたり

そんな事態ばかりが
続いて絶望したり

果てには
壊れてしまうかも
しれません。

苦労だけでなく
契約や人間関係など
何にでも言えますが

とにかく

釣り合いが
取れていないものは
続けていたら
いつか必ず破綻します。

破綻したら双方が
大きな大きな損害を
負います。

仕事・依頼などで
もらった金銭以上のことを
過度にしていたら

それが破綻した際

自分が限界を超え
色々なものを
やめなければならなくなる
だけでなく

相手側も
これからも
頼める予定だった相手が
とつぜん消えてしまい

様々な計画が
崩れることになります。

人間関係で
片方だけの負担が
強すぎたら

いつか破綻した際

負担を負っていた方は
ボロボロになっていますし

それに頼りきりだった方は
とつぜん大きな支えを失って
ものすごく不安定になります。



この努力・苦労は
本当に対価と
釣り合っているか?

その対価は
本当に自分が
欲しているものか?

……と考えることで

「本当に自分に必要な
   努力・苦労なのかどうか」

を判断できると
いいですよね。

ちゃんと考えた上で

本当に必要だと判断したら
そこで初めて始める。

やっぱり必要ないかも とか
ちょっと違ったかも とか
思ったら

その努力・苦労はしないでおく。

自分を壊さないためにも
相手を不幸にしないためにも
それが大切なのだと思います。

「釣り合いを取ること」とは
「自分と相手を思いやること」
なのかもしれませんね。



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