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あなたにほめられたくて。
こんなことを公言してしまうのもどうかとは思うけど。
書き手としての自分を冷静に考えてみたとき、ぼくはそんなに優秀な人間ではないと思っている。謙遜ではなく、ポーズではなく、つくづく本音でそう思う。書きながらぐるぐるの道に迷い込むのは毎度のことだし、もっとうまく書けるはずなんだけどなあ、との思いはこの歳になっても消えることなく、もしかすると20代のころのほうがもっと自信満々に、どうだ、これ以外にない
スローライフ。フツーライフ。
日が高くなりはじめてから目を覚まし、布団に横たわりながらスコット・フィッツジェラルドの短編集『冬の夢』に収められた「罪の赦し」を読み進める。緊張感を含んだ物語が繊細な描写とともに進んでいく。
読書がひと段落すると、洗面所へ行って髭を剃る。奥さんが沸かしてくれたお風呂に入るためにドアをあけると、湯気がもわっと漏れ出てくる。浴室いっぱいに充満した湯気のおかげで湯船につかる前からあったかい。地味な幸せ
弱火でトロトロ書くように。
昨年のある暑い夏の日。額に汗がじんわりとにじむ夜。彼はうちの自宅へとやって来た。彼がいったい誰なのか、ぼくにはわからない。そんなぼくは顔に笑みを作っていたが、その仮面の奥はというと…自信がなかった。なんなら少し、困り気味だったかもしれない。それくらいに、ぼくには彼の存在の意味がとんとわからなかったのだ。
しかし、妻は彼のことを知っていたようで、快く我が家に招き入れていた。「うれしい!」と弾むよう
「バーフバリ」を観ると、自分がほんの少しでもビジュアルの仕事に関わっていると言うのが恥ずかしくなるくらいのスゴさを感じる。音楽も素晴らしい。くだらないことしてないで、あと10年くらい不眠不休で頑張ろう。
受け入れる側が、常に正しいのか不安になってしまったドイツコメディ。
「はじめてのおもてなし」
この邦題は良く出来ていると私は思う。ドイツは他の欧州先進国同様、前の大戦以降、幾度となく各国からの移民、難民を受け入れてきている。けれど、受け入れる側として、真っ向から対峙する「コメディ」ってあんまりなくて(日本に来てないだけ?)、「はじめての」はある意味、ドイツの難民受け容れ体制を皮肉ってるよなぁって。
これまでも何度も何度も受け入れてきている(トルコやベトナムやら
ハレとケ:都会が祭りに見えた日
自分はコミュニティメディアの人であって、いわゆるコミュニティづくりとかコミュニティデザインとかになると専門外なのですが、なにかとそういう話の近くにいることもあり語る機会もないこともないので整理の意味も込めてコミュニティ観みたいなものを記してみます。
地方で生まれ育った人が東京で初めて渋谷だとか新宿だとかの人の多さを見て「これは何の祭りだ」と驚く、みたいな話はよくあります。
祭りというのは「ハレ
自分に自信がなくて、虚勢を張っている人と話すとこちらも苦しい。その人は一生懸命に弱点を隠そうとして、そのガードによっていいところも隠れてしまっている。弱点も含め素直に話ができれば、きっといいところが見つけられるのに。私は結構、誰かのいいところを見つけるのが得意だと思ってるんだけど