栃尾江美(とっちー)

ライター&ポッドキャスター。noteでは創作、コミュニティ関連など。役に立ったり、糧になったり、心が動いたりすることを届けたい。個人HP:https://emitochio.net ゲームdeコーチングHP:https://gamedecoaching.com/

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    • コルクラボ ガーデン [CORK Lab GARDEN]

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      「コルクラボのメンバーが書いたコルクラボに関するnote」を集めたゆるーいマガジンです #コルクラボ

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      2009年生まれの長男と、2013年生まれの次男。 2018年の夏ごろから、ふたりとも不登校(登園拒否)。 その様子や葛藤を綴っていきたいです。

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      平日の1日1回、140文字ぴったりでつぶやきます。 とれてたのことば #今日の140文字 ◆以前のものはこちら◆ https://togetter.com/li/1033054

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    アウトプット/ライティング相談 ~「書きたいけど書けない」人へ~

    「アウトプット/ライティング相談」というものを無料でやっています(一番下にリンク張ります)。 1週間に2名だけ、開催は土曜日の午前中です。 アウトプット(文章を書く)とは何かアウトプットする(私の場合は文章を書く)というのは、特別な行為です。私は、文章を書かなければ、今のようには生きてこられなかったと思います。 パソコンを持っていない時代は紙のノートに、パソコンを手に入れてからはHPやブログ、SNSに、いろいろなことを書き連ねてきました。 書くことについては、私よりも

      • 私にとって自由は「コントロールできる感覚」だ。制限があったとしても、「自分で選んだもの」や「いつでも捨てられるもの」ならコントロールできるということ。逆に「捨てられない」と思い込んで選択肢を失うと不自由になる。他人をコントロールしようとしないのも、不自由な感覚が嫌なのかもしれない

        • 母子で筋トレする日々(不登校児の運動のしかた)

          中1と小3の男児ふたりは、4年間ほど不登校。ときどき行っていたこともあるけど、行かないほうがスタンダード。 失われる「運動」の機会学校に行かないことで、失うものはたくさんある。勉強は一番に思いつくが、友だちとのコミュニケーション、修学旅行的なもの、放課後の教室に差し込む夕焼け、とか、レベル感はさまざま。 そのひとつに、運動がある。学校に行っていれば勝手にある程度は運動する。通学路を歩くだけでもそうだし、体育の時間、校庭開放の時間など。子どもが育ちざかりに運動しないことは、

          • ウクレレの練習が日課になっている。歌も一緒に歌うのでかなり楽しい。人に見せられるほどうまくならなくたって「お風呂」や「動画視聴」くらいには心の安らぎになる。上達を目指す行為って、必ずしも到達点に価値があるわけではないんだけど、私も含め多くの人はそこにとらわれすぎるきらいがあるよね

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            子どもに対して「誰かが叱らなきゃいけない」という命題について考えた。「叱る」というのは好きではない。そこには大人の都合による善悪があるからかもしれない。それよりは「私はイヤだ」と言うほうがいい。大人の善悪には間違いがあるが、「イヤだ」という気持ちに間違いはない。子どもだってわかる

            筋トレやジョギングでわかることはいろいろある。私の場合は「あと◯秒!」「あと◯km!」を確認しすぎると精神的に疲れるようだ。「今、やり続けられるか?」だけ考えていた方がずっとラクだし結局最後までできる。仕事や普段の生活も、目標を確認してばかりいると、今とのギャップに落胆して疲れる

            「いまここで、私の心のこの形を、すくい取ってほしい」と頭にイメージが浮かび、相手がその気になりさえすればするりとすくえると思ったのに、自分で取り出して相手に見せたものは形がわからずボロボロになってしまっていた。無理して取り出さなければよかった。「掬う」と「救う」は同じ音だったのか

            「好きに理由なんてない」はある程度真理だろう。でも、理由が見つかる場合もある。私は昔から「好き!」と思ってもすぐ飽きてしまう経験が多く、自分の好きをそれほど信じていなかった。だからこそ「本当に好きでいられるのか?」という疑問を払拭するために理由を探す。飽きてしまったら悲しいからね

            「できるだけ子どもに寄り添う」という決意 #勝手にコルクラボ

            懐かしい。#勝手にコルクラボ 。詳しくはこちら↓ コルクラボの掲示板で出されたお題に対して、私が答えた内容を書いていく。 Q.人生の分岐点で固めた「決意」を教えてこれまで「決断」という観点ではよく考えていたけど、「決意」って言葉で思考を深めたことはなかった。 決意ってなんだ? 決断と違うの?  ググってみると、「決意は心の中で思うこと。決断は行動を伴う」と書かれていた。 私は「決断」だと思っていたので (1)ライターを目指したこと (2)離婚を決めたこと で書こうと

            バレーボールをしていてこんなに「もっと練習したい」と思うのは練習試合や試合を多くして「できない」が浮き彫りになるから。ところが練習ばかりしていると「もっと練習したい」なんて思わなくなり、退屈になっていく。練習と実践は両輪だ。張り詰めた仕事をしていると「勉強したい」ってなるのと同じ

            かの文字を追う息子の姿

            「お母さん、そうやって怒りを表に出すのやめてくんない?」 つい数日前、私がヒロに発した言葉をそのまま本人に返された。彼のカウンセリングに付き添った帰り、チェーンのカフェで軽めのランチをとっていたときだった。 私はここのところイライラしていた。その日の朝も不機嫌で、まともに笑うことができず、ヒロに対してそっけない態度に徹していた。 「フリースクールに行って頑張りたい」と決めたヒロが、ほんの数日行っただけで「うーん」と起きられなくなったのは数週間前。しぶしぶ行く日もあるが、

            植物を美しく飾ることで何がわかるか。その人の日頃の手間のかけ方がわかるのだと思う。切花をその日だけ、というなら別だが、毎日きれいに飾っておくには日々のチェックやお世話が欠かせない。鉢植えの水やり、庭の草むしりなども同じだろう。今の外見だけでなく、日頃の行動が想像できる表現のひとつ

            うまくいっているときに自尊心が膨れ上がり、うまくいかないときに劣等感が厚みを増す。渦中にあるときには気づかず、流れが逆転すると邪魔になる。うまくいかないときに自尊心が邪魔をして助けを呼べず、うまくいったときに劣等感が邪魔をして卑屈になる。気づいたときに早めに壊せる勇気があるといい

            うまくいっているときに自尊心が膨れ上がり、うまくいかないときに劣等感が厚みを増す。渦中にあるときには気づかず、流れが逆転すると邪魔になる。うまくいかないときに自尊心が邪魔をして助けを出せず、うまくいったときに劣等感が邪魔をして卑屈になる。気づいたときに早めに壊せる勇気があるといい

            自分が傷ついたできごとを振り返ると「傷つけた相手が悪い」と考えがち。だけど、相手「だけ」か一方的に悪いなんてことはないし、誰も悪くないってこともある。敵を作るのは簡単だが、易きに流れたくはない。誰かを悪者にすることなく刃と傷口を見つめていくのは、私にとって健やかなる試みになりそう

            話すと涙がこぼれてしまうエピソードがある。泣かずに話そうとすると結構難しく、何度話しても同じ。ここには他とは毛色が違う「何か」が隠されているのだろう。短絡的に誰かを悪者にして、自分を「かわいそう」と被害者的に見てしまいそうで、考えるのを避けていた。少しずつ向き合ってみるとよさそう