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今日の140文字

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平日の1日1回、140文字ぴったりでつぶやきます。 とれてたのことば #今日の140文字 ◆以前のものはこちら◆ https://togetter.com/li/103 もっと読む
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ウクレレの練習が日課になっている。歌も一緒に歌うのでかなり楽しい。人に見せられるほどうまくならなくたって「お風呂」や「動画視聴」くらいには心の安らぎになる。上達を目指す行為って、必ずしも到達点に価値があるわけではないんだけど、私も含め多くの人はそこにとらわれすぎるきらいがあるよね

子どもに対して「誰かが叱らなきゃいけない」という命題について考えた。「叱る」というのは好きではない。そこには大人の都合による善悪があるからかもしれない。それよりは「私はイヤだ」と言うほうがいい。大人の善悪には間違いがあるが、「イヤだ」という気持ちに間違いはない。子どもだってわかる

筋トレやジョギングでわかることはいろいろある。私の場合は「あと◯秒!」「あと◯km!」を確認しすぎると精神的に疲れるようだ。「今、やり続けられるか?」だけ考えていた方がずっとラクだし結局最後までできる。仕事や普段の生活も、目標を確認してばかりいると、今とのギャップに落胆して疲れる

「いまここで、私の心のこの形を、すくい取ってほしい」と頭にイメージが浮かび、相手がその気になりさえすればするりとすくえると思ったのに、自分で取り出して相手に見せたものは形がわからずボロボロになってしまっていた。無理して取り出さなければよかった。「掬う」と「救う」は同じ音だったのか

「好きに理由なんてない」はある程度真理だろう。でも、理由が見つかる場合もある。私は昔から「好き!」と思ってもすぐ飽きてしまう経験が多く、自分の好きをそれほど信じていなかった。だからこそ「本当に好きでいられるのか?」という疑問を払拭するために理由を探す。飽きてしまったら悲しいからね

バレーボールをしていてこんなに「もっと練習したい」と思うのは練習試合や試合を多くして「できない」が浮き彫りになるから。ところが練習ばかりしていると「もっと練習したい」なんて思わなくなり、退屈になっていく。練習と実践は両輪だ。張り詰めた仕事をしていると「勉強したい」ってなるのと同じ

植物を美しく飾ることで何がわかるか。その人の日頃の手間のかけ方がわかるのだと思う。切花をその日だけ、というなら別だが、毎日きれいに飾っておくには日々のチェックやお世話が欠かせない。鉢植えの水やり、庭の草むしりなども同じだろう。今の外見だけでなく、日頃の行動が想像できる表現のひとつ

うまくいっているときに自尊心が膨れ上がり、うまくいかないときに劣等感が厚みを増す。渦中にあるときには気づかず、流れが逆転すると邪魔になる。うまくいかないときに自尊心が邪魔をして助けを出せず、うまくいったときに劣等感が邪魔をして卑屈になる。気づいたときに早めに壊せる勇気があるといい

自分が傷ついたできごとを振り返ると「傷つけた相手が悪い」と考えがち。だけど、相手「だけ」か一方的に悪いなんてことはないし、誰も悪くないってこともある。敵を作るのは簡単だが、易きに流れたくはない。誰かを悪者にすることなく刃と傷口を見つめていくのは、私にとって健やかなる試みになりそう

話すと涙がこぼれてしまうエピソードがある。泣かずに話そうとすると結構難しく、何度話しても同じ。ここには他とは毛色が違う「何か」が隠されているのだろう。短絡的に誰かを悪者にして、自分を「かわいそう」と被害者的に見てしまいそうで、考えるのを避けていた。少しずつ向き合ってみるとよさそう

悪口とか噂話にあまり近づきたくないと思っている。理由を考えてみると、私自身が噂話や悪口をその場で楽しく感じ盛り上がってしまうタイプだからかもしれない。エスカレートしすぎてよくない結果を招いた経験が多々ある。パンが好きなのに太るしまた食べたくなるから近づかないようにしてるのと似てる

スポーツとものづくりには私が惹かれる共通のものがあるとわかった。それは「圧倒的現実(物理法則)」が目の前に立ちはだかることだと思う。仮説だ検証だとか言ってられない。考えてやる、やって考える、とにかく慣れる。たくさんの現実に打ちのめされたあとに、本当のことがほんの少しだけわかるのだ

子どもの質問が「答えを知りたいわけじゃない」と知ったのは、たぶん長男が4歳くらいのとき。「不思議を楽しみたい」「一緒に考えたい」「自分でつじつまをたどりたい」みたいなことだと理解した。答えを聞いても嬉しそうじゃないし覚えてもいないのに、わからないまま自分で考えるのはすごく楽しそう

私はいまだに、自分にとって価値の高い本に出会う確かな方法を見つけられていない。ときにSNSから、ときに購読しているメルマガから、ときに書店で。掘り出し物のような本はタイトルがわかりにくい場合が多く、読む前にも大きな期待はしていない。だからこそ、その輝きを見つけたときの喜びは大きい