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#はじめて借りたあの部屋

#はじめて借りたあの部屋 の思い出をつづってみませんか?いい部屋ネットがnoteで投稿コンテストを開催します!

人気の記事一覧

私の大学生活と除籍と居候。

私は大学を除籍になっている。 除籍とは「あなたはこの大学に、そもそもいませんでしたよ」という意味合いのものらしく「中退」よりも重い。私は履歴書上は高卒である。 大学を除籍になる方法は主に2つ。 私は、[2]学費未納である。 どこにある、どんな大学を除籍になったか。 北海道の小樽市にある、1910年創立の小樽商科大学。北海道では、北海道大学に次ぐ、自称北の名門で、国内唯一の単科大学であり商学部しかない。ここを学費未納で除籍である。 前期で北海道大学を受験し不合格とな

【一人暮らしのレイアウト】今ある家具で作るおしゃれなインテリア、センスの良い色使い3パターンを紹介!

こんにちは、崇島です。 今回はインテリアをアドバイスして、お任せでコーディネートしていきます。8畳なのに65インチのでっかいテレビがある、20代男性の一人暮らしのインテリアです。 今すでにあるものを使い、おしゃれな部屋に変身できるメゾットをお伝えしていきます。 3パターン提案するので、気になったイメージがあれば参考にしてもらえればと思います! ・まずは現状を確認 こちらが今回の元のお部屋です。よくあるワンルームの間取りで、一人暮らしっぽい感じがあるインテリアですよね。

フロアランプ使い方間違えてませんか?正しく使うとあか抜ける!インテリアを広く感じさせて華やかにする実は便利な照明

こんにちは、崇島です。 今回はフロアランプの使い方とその効果についてご紹介したいと思います。 フロアランプは上手に使うと、インテリアへの影響はものすごく大きくて、しかも簡単で安く済ますことができます。高額な家具を買い揃えるよりも断然効果が高いです。 ただし、フロアランプならなんでも良い訳じゃなく種類があって、それぞれ特性が異なります。それが分かれば部屋の雰囲気は大きく変わります。 インテリアでお悩みの方は家具の買い替えを検討する前に、今回のことを試してみてもいいかもしれ

上賀茂での4年間と木全マンション101号室。

僕は京都の中でも北の方に位置する、上賀茂という地域に4年間ほど住んでいた。上賀茂神社から西へ向かい、加茂川にかかる上賀茂味御園橋を渡り、王将に入ってカウンターに座り、餃子とチャーハンとビールをいただく。京都銀行のATMでお金を下ろし、御園橋サカイで冷麺を食べたいなぁと思いつつも、先ほど中華を食べたばかりだということを思い出し、全く車が来る気配がないのになかなか変わらぬ赤信号の前で待ち、畑や住宅、あるいはナベセン家具を右手に、一方で服部歯科や鈴木整形外科を左手に坂を登れば、やが

おすすめインテリアショップ【新宿編】家具、雑貨を買うならここ!こだわりのショップから雑貨店までご紹介

こんにちは、崇島です。 今回はおすすめのインテリアショップを紹介しようと思います。 まずは東京・新宿編です。インテリアで新宿?と意外に思う方もいるかも知れませんが、実は新宿は都内有数のインテリアショップ密集地帯なんです。しかも客層が広い地域のため、高級店からカジュアルなお店まで一気に見られるという利点もあります。 たくさんある中で、こだわり/ベース/個性/雑貨 にジャンルを分けていきますので、参考にしてみてください! ・こだわり系ショップ 高級なものや名作ロングセラーな

【ホテルライクのインテリア】分析でわかった、一人暮らしでも再現できるスタイリッシュな部屋の作り方

こんにちは、崇島です。 今回は、「ホテルライク/モダン」のインテリアについて再現する方法をご紹介します。 ワンルーム、1Kなど一人暮らしのインテリア、ベッドルームのインテリアに応用ができることが判明しました! ■そもそもホテルライクとは? 前々から気になっていたんですが、カフェ風のインテリア、ホテルライクのインテリアって違和感がありました。 カフェだってホテルだって10軒あったら10種類の異なるデザインがありますよね。 ではなぜ、こういう分け方をされているのか? 何か理

【ジャパンディ】簡単にできる、難しくない!今注目のおしゃれなインテリアJAPANDIの作り方を大公開

こんにちは、崇島です。 今回は「やってみたいインテリア」の独自のアンケートNo. 1、北欧/ジャパンディについてです。 馴染み深いけど説明しろと言われたら困る北欧インテリアと、最近よく聞くジャパンディについて分かりやすく解説していきたいと思います! まずは、和モダンとジャパンディって何が違うの?とという疑問がある方も多いと思います。 ①和モダン、ジャパンディの定義 基本的に海外で流行っているスタイルです。 日本にいるとジャパン要素が身近にあるのでピンとこないと思います。

【無料アプリ紹介】インテリアのレイアウトに困ったらコレ!シミュレーターで簡単オシャレな部屋作り

こんにちは、崇島です。 今回はインテリアのシミュレーションが簡単にできるPCやスマホのアプリをご紹介します。家具は大きな買い物なので、失敗すると持て余したり返品も大変だったり困ることも多いですよね。そんなお悩みを解消するのに便利なシミュレーターをぜひ使ってみましょう! インテリアシミュレーターは国内、海外いろいろなところから出ています。使ってみて思ったのは、やはり国内のものがオススメということです。海外のアプリは課金する物がほとんどな上、購入できるものも限られていて再現性が

殺風景で物足りない部屋をオシャレに!ショップから学ぶ、魅力的なインテリアの作り方

こんにちは、崇島です。 多くのインテリアを見ていて、イマイチとかパッとしないなぁというインテリアの共通点「なんか物足りない、つまらない」と言っている方が多いなと思いました。 今回は、つまらない印象を払拭して魅力的なインテリアに変える方法とコツについて事例を交えてご紹介してみたいと思います。 ■■物足りない&つまらないの原因■■ つまらない部屋になって困っている方は、インテリアに興味があってがんばっている人に多いのが分かりました。 先日「インテリアが漠然となんかパッとしな

僕の始まりの部屋

他者のnoteで「#はじめて借りたあの部屋」のハッシュタグを見かけて、自分の初めての賃貸を振り返るnoteを書こうと振り返ったら、人に支えられ続ける人生のスタートだった。 大学を出たのは99年、国も認める就職氷河期時代。学校に籠もって制作に没頭し社会を知らない学生に仕事があるわけもなく、大学生という肩書がなくなると、ただのフリーターになった。 ずっと実家で暮らしていたのだけど、世間体からやっぱり居心地も悪くなり、「もう知ってる人の居ない地へ」ということで、突如脈略なく北海道

住んでいた部屋の話。 一番最初に住んだ女子寮の写真が出てくる。コラージュみたいにしてルーズリーフに貼ってあった。 確か部屋の番号は210号室で、隣の209には専門学校に通う茶髪の人がいて、ときどき「トイレの神様」を歌っていた。声のきれいな、細身で色白な人だったのを思い出す。

唐突に引っ越しが決まり、いまの家と大好きな街を離れることへの寂しさが爆発している

引っ越しが決まった。 いまの家に住みはじめたのは、ちょうど4年ほど前、当時の彼女であり、いまの妻であるパートナーと一緒に、ベトナム・ダナンから日本に本帰国した時だった。 2人とも日本で物件を探して住むのは初めてで、「そんなに簡単に引っ越し先が見つかるのか?」という不安と裏腹に、内見した瞬間に「ここだ」と決まった家。 決して広くはないけれど、大家さんの気遣いが随所に見られる設備と共用空間と、白を基調にしたインテリアと、西日が差し込む窓が素敵な家だった。 学芸大学という街

【宅建士の本音】引越しの挨拶をしない3つの理由!不動産屋はやれと言うが私は"しない"

(2022年3月24日加筆) こんにちは。ラッキーな宅建士松ジューです。 今回は引越しの挨拶がテーマです。 昔からよく"引越ししたら向こう三軒両隣"へ速やかに「今度引越して来ました〇〇です、よろしくお願いいたします」と挨拶に行けと言われてきました。 アパートやマンションの賃貸を扱う多くの不動産屋でも引越しの挨拶はした方がいいと、聞かれたお客には言っているようです。 借りて住んでいる住人同士の関係を円滑にし、余計なトラブルを未然に防ぎたいがための行動です。 私も賃貸の仲

¥300

フランス田舎のシャンブルドットの魅力

20代のころ、旅行に行くといえばいつも九州地方だったのですが、「ペンション」に泊まることに、一時期はまっていました。 ホテルとは違って、オーナーさんと話ができたり、手作りの朝食がついていたりして、その土地そのものに触れることができる旅がとても好きでした。 その感覚を思い出すことができたのが、フランスのシャンブルドット。 一度泊まれば、やみつきになる。結局自分はこういった、おもてなしが好きなのだなあと思いました。泊まった瞬間に、これだ!と思い、将来移住するなら、絶対にシャ

前田荘でスパークした1年のこと

「5分で出発だからな。素早く整列!」よーい、ピッ! 中学3年、「修学旅行専用新幹線に乗る練習」を校庭でマジメにしていた。 ほとんどの学生が、初めて新幹線に乗る。 わたしは、18歳の春そんな田舎から数分おきにバスや電車がポンポン出発する神戸に降り立った。浪人生となり、ひとり暮らしをするからだ。 あまりの人の多さに、「毎日がお祭りだ」と思った。 なんせ田舎には、予備校がない。しかも行った予備校には、寮がなかった。 不動産屋から紹介されたのは、女性だけが住んでいるという前

アトリエづくり1(2021.9.28〜)

↑これはわりと後半のようす 昨年のアトリエ改装記録をすこしずつ。 築50年ほどの木造建築。 壁塗りも、なにもかもはじめての工夫の日々の記録。 ↑当初の部屋のようす。 いわゆる昭和の建築に多い繊維壁。 ぽろぽろと取れるので、スプレーの式のシーラーをかけ、その上に下地の漆喰 クリーム(麻炭入り)を塗ってみた。 塗りたては黒く、乾くとグレーになる。 麻炭が入っているので、水で絵が書ける。 下書き。 満月の日のあそび。

アトリエづくり2(2021.10月ごろ)

水干絵の具で色の実験。(体に有害のない色で) 東側。少し緑の色味を変えてみた。 月、太陽?窓? なにか丸いものが欲しいなぁと思いながら進める。 おにぎり。 差しいれありがたや。

最高に居心地のよかったアパートで、精神と肉体が少しずつやられていった頃の話

初めて自力で部屋を借りたのは、小説家としてデビューして数年経った頃。 デザインの専門学校を卒業後、なぜか小説家になって、そこそこ定期的に単行本も出してもらって、数年で「まあ、一人でもやって行けるだろう」と割と無計画に実家を出て上京した。 実家は埼玉で、一時間もあれば都内に出られるし、そもそも仕事の打ち合わせは電話がメインで、原稿は宅配とメールでやり取りできるし、いちいち編集者と会う用事もない。 でも家を出たくなったのは、小説家という仕事に対して父親の理解がさっぱりなかった

内見で父がバグった話

私が東京でひとり暮らしをすることについて、賛成してくれたのは父だけだった。 母は真っ向から反対はしなかったものの、私とふたりきりになる度に「友達おらんと寂しいやろ」「〇〇ちゃんも△△ちゃんもみんな地元残るって」という切り口で説得を試みてきた。 私は、「〇〇ちゃんも△△ちゃんもみんな持ってるって言ってもゲームボーイ買ってくれなかったくせに」と反論した。18歳の私は結構クレバーだったのだ。 祖父母は、「東京には狼がおる、危ないからアカン」の一点張りだった。 私は「岐阜にも熊お

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手のひら4つ分のキッチン。 #はじめて借りたあの部屋

明けまして🎊ございます。昨夜朝生みました。総一郎がね、スガが菅が、と呼び捨てにしてました。おなじ二部出身として懇意だったんですかね。二人ともいつの間にか一部になってた。なかにしもそうだ。偉くなると鞍替えしたくなるのかね。いいじゃない。経歴は名札。勲章じゃない。おめでと。

東京で、生きてきた。

交差点。車たちが止まり、一呼吸置いて、人々が縦横無尽に歩き出す。これまで一度も見たことのなかった顔たちが、目の前を交差していく。話に夢中な人、考え事をしている人、カメラを構えて歩く人。他人になんて見向きもせず、皆、それぞれの自分だけの物語を歩いている。 コートの匂い。タバコの残り香。嗅ぎなれないスパイスの香り。甘い香水と汗の匂い。ボソボソ話す声、甲高い笑い声、妙に伸びる語尾。赤のタートルネック、薄っぺらいスカート、革のブーツ、汚れたスニーカー、いまにも落ちそうな財布。CMの

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私だけの頃合いで

さよなら、正しい街

母は過保護だった。 月々のお小遣いは多くはなかったけど、遊びに行くときにはいつでも多めにお金をくれた。 少しでも天気が悪かったりすれば車を出して駅まで迎えに来たし、どんなに遅く帰っても寝ずに待っていて、私が夕飯を食べていなければキッチンに立った。 母は過干渉だった。 私が見覚えのない服やカバンを持っていると、すぐに「それいつ買ったの」と訊いてきた。休みの日にどこに行って、誰と会って、何時に帰ってくるのかをいつも申告しなければならなかった。二十歳を過ぎてからもそれが続くので

いい部屋ネットとnoteで開催した、「#はじめて借りたあの部屋」投稿コンテストの審査結果を発表します!

2019年11月19日から約1ヶ月半の間、みなさんがはじめて借りた部屋についての思い出を語る「 #はじめて借りたあの部屋 」投稿コンテスト。期間中(11/19-12/31)には、852件もの作品をご応募いただきました!はじめての部屋のエピソードが詰まった素晴らしい作品を投稿いただき、ありがとうございます。 noteでの応募作品一覧は、こちらをご覧ください。 審査会にて、審査員である夏生さえりさん・かわいちひろさんの2名と、いい部屋ネット note担当 阿部将貴さんによる選

今夜も白い壁じゃなくて、顔を見て眠りにつきたかった

この世でいちばん哀しい光景は、眠りにつく前に見る目の前の白い壁だ。 桜の季節に初めて一人暮らしをした部屋は、お世辞にも広いとは言えないワンルーム。バストイレ別ということだけが自慢な、けれどすきなものだけを集めた小さなそのお城は、雪の降る頃にいつしか二人暮らしに変わっていた。 狭い、ということは近い、ということで。 気配につつまれた濃密な8.5畳は、どこにいてもふたりがいて、どこにもいけないほどふたりしかいなかった。 炊くお米の量が増えて、洗濯の回数が増えて、帰ったときに

一目惚れした1Kに一目惚れした先輩を泊めた冬の話

社会人なりたての夏、初めての一人暮らしを始めたのと、長期戦になる恋が始まったのは、まったく同じ時期だった。 会社に一本で行けるという理由だけで選んだ、三田線沿線の駅近くの1K。独立洗面台、築浅、南向き、2口コンロ、オートロック、広めの部屋…。わがままな条件をすべてクリアした部屋に、一目惚れして即決した。 もう一つの一目惚れは、4つ上の、OJTの先輩。仕事ができて、面倒見が良くて、しっかりしてるけど仕事以外で見せる抜けているところが好きだった。人懐っこくて世渡り上手な後輩を

贅沢病とコインランドリー

多感な中学2年生の日々を奈良の片田舎で、椎名林檎の音楽と共に過ごした私は、いつか東京で一人暮らしするなら丸の内線沿いと決めていた。 関西で出会った東京出身の彼氏が転職することになったことがきっかけの安易な上京だったけれど、大学を卒業してフリーランスだった私は色々なツテを頼って業務委託の仕事をとりつけながら生きていくということで、それなりにビッグなプロジェクトだった。当時24歳、守ってくれる会社も後ろ盾もない上京にはそれなりに覚悟も必要で、だけどまあ死ぬことはないだろうという

東京に馴染む

男は2種類に分けられる。朝起きた時に「シャワーを貸してくれる男」と「貸してくれない男」だ。 飲み過ぎで頭が鈍く痛む朝、再生速度が2分の1くらいで動く数十分間で見分けられる。 「シャワー浴びてく?」 この質問が出るか出ないか。あまりにシンプルすぎるリトマス紙だけれど、それがすべてだ。 きっと目の前の青年は自分がリトマス紙を当てられてることも知らずに眠りから覚める。窓の外を見ると、青白い近未来的なタワーが見えた。 墨田区に立つ東京スカイツリーという新名所は、世界で一番高

部屋とアリと私

大学生のとき、大学近くのアパートでひとり暮らしをしていた。そこは古いからなのか自然豊かな環境のせいなのかとにかく虫がよく出るアパートで、そこに住む四年の間、忘れられない彼らとの数々の熱い闘いがあった。どの虫もなかなかに手強かった。 これからも永く記憶に留め、そして虫たちの健闘をたたえるために、そのエピソードの一部をここに記しておこうと思う。 それは突然やってきた。 ある暑い夏の日、私はごろごろと布団に寝そべり、だらしなくテレビを見ていた。クーラーをつけ、アイスでも食べようか

あたしの、ひとりきりの部屋から

あたしは二度と戻りたいとは思わない。 あの、はじめて暮らした、夜の星も見えない、ひとりきりの部屋には。 *** 2005年4月、東京。 夕方になると、あたしはぐったりと三鷹駅に降り立つ。大学の課題がたんまり入った手提げが重い。陸橋から、ビルに挟まれまっすぐに伸びる大通りを眺めた。 あたしを知っている人は、誰も、この街にはいない。 夕焼けに染まるはずの空は、灰色の建物に遮られ切り取られている。どこにもつながらない身体を、重い足取りで動かした。 夕飯を買って帰らなきゃ

個人的な麻薬への気持ち

私の今年一番スキを戴いた記事、というnoteからの報告であがってきたのはこれなんだけど 麻薬のアメリカ社会への浸透性はもう、どうしてとかなんで、とか言っても仕方ないのか、と絶望的に感じるところもある。で、そういえば、と思いだしたことがあります。 アメリカに住んで長くなってきたソルトレイクシティなのだが、最初に私達が借りたのはデュプレックスとよばれる「家2件がひとつの建物の中にある」家だった。斜面に立っていたその家は、大家さんの姪が下の階の(そして庭にアクセスできる)家に、

毎月少しのこだわりを

社会人一年生となる春、3年間過ごした看護学生寮から引っ越しをした。ひとりをこよなく愛するタイプではあるが、4人部屋の寮生活は全く窮屈さを感じない快適な場所だった。 それでもやはり念願の初一人暮らしに浮き足立つ私。 インテリアが大好きなので、何が嬉しいって、これで思い通りの部屋が作れるってことだ。 白と茅色(かやいろ)をベースにしたナチュラルカントリーにしたいと意気込む。 実家暮らしの頃も個室だったが、まだ親が買ったものが断然多かった。それでもしょっちゅう模様替えをしたりお年

「幸せだ」って思ったら、そこで終わっちゃう気がしてた。

いつだって、欠けているもののことばかりが気にかかる。 終わったあとのこと、失くしたあとのこと。 今ここにあるものを、うまく見ることができなかった。 たとえば友達と約束をして、どこかへ出かけて、一緒に食事をして。それがどれだけ楽しくても、私はいつも残り時間ばかりを気にしてしまう。あと1時間で終電だな。そうしたらこの人はまた、この人の日常へと戻っていってしまうんだな、と考える。 ものを買う時も同じだ。新しいスカートに胸を躍らせながら、心のどこかでいつも、そのときめきが色あせた

一階の部屋とチャルメラ

今から25年ほど前、私たち夫婦が、はじめて借りたのは3階建てのアパートの1階の部屋だった。 いわゆる2DK、Lがないやつだ。4.5畳と6畳に名ばかりのキッチンが付いている。4.5畳と6畳の部屋は、ほんとうに畳の部屋で、間に押し入れが挟まっていて、互いの部屋のふすまを開けると通り抜けできた。 この部屋には、正方形のものが多かった。ドアを開けると、まず、玄関だ。もともとは、長方形だが、そこに下駄箱を置くとちょうど正方形になった。 玄関を上がると、キッチン。キッチンというより

ヤシの木があるアパートで過ごした、うっすら憂鬱で幸福な日々のこと

「……何ばかなことを言ってるの」 「恋人ができたから一緒に暮らす」と告げた私に、電話の向こうの母は、怒りを押し殺した声で言った。平日の昼間、程よくにぎわったマクドナルドでのことだ。 我が家の家風を思えば、付き合ったばかりの、親にも紹介していない相手との同棲を許してもらえるはずはない。だけど、許してもらえなくてもいいと思っていた。自分の希望を言うことに意味がある。 23歳の冬。あれはダメ、こっちにしなさい、と縛りつける母への、これは遅い反抗だ。 東京がいいんじゃない。地

#はじめて借りたあの部屋 の思い出をつづってみませんか?いい部屋ネットがnoteで投稿コンテストを開催します!

【結果発表】 ・審査結果を発表しました。 【12月18日 更新】 ・お手本作品のかわいちひろさんのマンガ「私だけの頃合いで」を公開しました 【12月16日 更新】 ・お手本作品の夏生さえりさんの記事「東京で、生きてきた。」を公開しました 【12月3日 更新】 ・お手本作品の嘉島唯さんの記事「東京に馴染む」を公開しました 新作WEBムービー「ボクのいい部屋、いい暮らし。」の公開を記念して、「いい部屋ネット」と投稿コンテストを開催します。 ハッシュタグは「#はじめて借りたあの

彼と暮らした1080日

5010+280=5290 土曜日の午後2時。駅前通りに面したカフェチェーン店、3階の窓際にある小さなテーブル席で計算をしていた。 数十分前に買ったばかりのボールペンが、光沢感のあるレシートの裏でつるつると踊る。 5290×8=47,610 スマホ画面に並ぶ数字を慎重にタップし、レシートに書かれた数式の答えをなぞる。 「同棲のほうが安い、かも」 目の前でスマホを弄っていた彼は、不思議そうにこちらを見つめていた。 「ここで一人暮らしする

おじさんと僕

おじさんと僕。それまでまるで、と言ったら語弊があるけど、あまり関わりの無い関係だった。普通の「おじさん」と「甥」。どこにでもある関係性だ。おじさんは遠くに住んでいたし、会うとしたら正月くらい。それに、変わった人だった。会社に勤めてはいるけれど、長期の休みを取っては海外(一般的な観光地ではなく、〜スタンとかが多かった)を放浪していた。そして、独特な画風の絵を交えて手記を書いてみたり、現地の植物や動物に異様に興味を持ち、図鑑を作ってみたりするのが趣味だった。そのどれも、クオリティ

バリキャリと東京に憧れた私の、はじめての一人暮らし

バリキャリウーマンに憧れて、新卒で総合職の仕事に就いた。全国転勤のある会社で、当時神戸の実家に住んでいた私は東京で働くことを希望していたが、配属先は大阪。人事との面談でも「東京で営業をやりたいです」と伝えたのに、「大阪で内勤」という配属発表に悔しい思いをしたことを、私は今も覚えている。 (ただ、今となっては配属はこれで良かった、と思っている。やっぱり人事の人って見る目あるんだな・・・この話はまたいつか。) そんな私の父は営業職で、全国に営業所があったため転勤が度々発生した

社会人一年目。憧れの東京での一人暮らしのはじまりに

「コツコツコツコツ」 あぁまただ、と思った。築40年以上の木造アパートに暮らすこと3ヶ月。上の階の住人さんの生活音が、丸聞こえなことがずっとずっと気になっていた。人の暮らす音が聞こえているということは、自分がテレビをみたりお風呂に入ったりしている音も聞こえているのかなという不安もあった。最近は晴れ間も少なくて、ずっと曇りがちで気分も何となくどんよりとした梅雨の始まりの頃のことだった。 社会人になって3ヶ月。自分の思い描いていた生活とはほど遠く、社会の何の役に立っているのか

全ては息子の一人暮らしから始まった

2014年の春、一人息子が京都の大学に進学した。 京都で息子が暮らす部屋は、合格が決まった時に大学が送ってくれた不動産屋のパンフレットを見て選んだ。実際に現地に行き、いろいろ見学させてもらい、大学に近くて、生活もしやすそうな所で決めた。 契約したマンションは、最上階に大家さん家族が住んでいるので安心だし、大通りから少し入ったところで静かだし、家賃もこの間取りでこの値段は東京なら倍はするだろう・・・という金額で、とてもありがたかった。さすが大学の街だけあって、アパートやマン

夢のはじまりと終わり。高円寺で暮らした6年間

東京にさえ来れば、何とかなると思っていた。18歳だった。 地元の東北から逃げるように上京。誰も自分の事を知らない場所で全部をやり直すつもりだった。 僕の1人暮らしは高円寺からはじまる。 高円寺の風呂なし共同トイレ4畳半。2万7千円 最寄り駅は高円寺。 築40年を超える木造アパートで共同トイレ風呂なし4畳半。 家賃は2万7千円。 若干古いし、不便な部分はあれど、ここから全部が始まるのかと思うと胸が高鳴った。 家電量販店で冷蔵庫、テーブル、布団など生活必需品を揃え、何もなか

ドクター・高松と、ばあちゃんのかぼちゃと、皆勤賞と

高校を卒業するまでの私の自慢は、一度も学校を休まなかったこと。風邪をひかない強い身体が自慢だった。 だから、上京して2ヶ月経ったある日、頭皮がヒリヒリと痛み出した時も、太陽を浴びすぎたんだろうと気楽に構えていた。 そのヒリヒリが激痛に変わり、病院が大嫌いな私がようやく病院に赴くと、先生は「帯状疱疹ですね。昔は入院しないといけない病気だったんですよ。我慢せずに来てくれてよかったです」と優しく説明してくれた。 一人暮らしをしていたマンションの隣駅にある「ドクター高松」という

就活をやめて、note編集部に入った私が今年一年で感じた、noteの好きなところ

今年の春、ピースオブケイクのnote編集部で働きはじめてから、あっという間に9ヶ月が経とうとしています。 大学卒業後、私は就職をせずに社会人となりました。自分のやりたいことと人生の選択のタイミングがあわなかったこと、自分に合った選び方ができなかったこと、理由はさまざまですが、とにかく新卒1年目のきっぷを切ることが、私が選べるような選択肢のひとつではありませんでした。 今回は、就職をせずにnote編集部で働きはじめた私が、この一年内側に携わってみて感じた、noteの好きなと

Illustration_room

自室の絵。ヘッダーに使っている画像をまだ投稿していなかった。 基本的にnoteに乗っけてるイラストはこの部屋か杉並区のジョナサンの一角で生み出されています。 ポルシェとかランボルギーニに乗りたいとか、愛人が60人ぐらい欲しいとかいう欲は無いんですが、良い部屋に住みたいという欲は昔からかなり強い。仕事も全部オンラインだし、リアルイベントもしばらく無いだろうし、東京にいる必要って今後本当に無いんだよなぁ...。 その昔テレビで「廃校になった校舎に住みついて野菜とか作って生

部屋はくらしのパッケージ #はじめて借りたあの部屋

部屋はくらしのパッケージだから、部屋だけじゃ幸せにはなれない。そんな当たり前のことに気づかないくらい、19歳の自分はアホだった。 東京都の中心地を皇居と東京駅だとするならば、僕の実家はかなり中心にあると言っていい場所にある。 文京区小石川、地名で言ってもわからないだろうけど、東京ドームが徒歩10分...と言えば、その都心っぷりはイメージしてもらえるだろうか? 都心といっても戦後は焼け野原からのスタートで、満州から戻った祖父が一旗揚げて呉服屋として商売を始めたのが文京区だ

はじめて借りたあの部屋コンテストで優秀賞をいただきました!やった〜!

部屋とアシナガバチと私

大学生のとき、大学近くのアパートでひとり暮らしをしていた。そこは古いからなのか自然豊かな環境のせいなのかとにかく虫がよく出るアパートで、そこに住む四年の間、忘れられない彼らとの数々の熱い闘いがあった。どの虫もなかなかに手強かった。 これからも永く記憶に留め、そして虫たちの健闘をたたえるために、そのエピソードの一部をここに記しておこうと思う。 その日はよく晴れた天気の良い日だった。 午後からアルバイトの予定があったため授業後すぐに帰宅し、洗濯物を取り込もうとベランダに出ていた