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上賀茂での4年間と木全マンション101号室。

僕は京都の中でも北の方に位置する、上賀茂という地域に4年間ほど住んでいた。上賀茂神社から西へ向かい、加茂川にかかる上賀茂味御園橋を渡り、王将に入ってカウンターに座り、餃子とチャーハンとビールをいただく。京都銀行のATMでお金を下ろし、御園橋サカイで冷麺を食べたいなぁと思いつつも、先ほど中華を食べたばかりだということを思い出し、全く車が来る気配がないのになかなか変わらぬ赤信号の前で待ち、畑や住宅、あるいはナベセン家具を右手に、一方で服部歯科や鈴木整形外科を左手に坂を登れば、やがてミニストップが見えてくる。そこで缶ビールを1本とつまみのスナック菓子を1袋。交差点を西の方向へ渡ると、木全マンションが見えてくる。駐輪場に自転車を止め、ポストの中の郵便物を確認し、101号室の青い扉に鍵をさしこめば、そこが僕の部屋なのであった。

僕が上賀茂に住み始めたのは京都へ引っ越してきたとき、つまり大学入学のタイミングであり、大学へ自転車で通える距離と周囲のお店などを参考に、部屋の間取り図を見てから決めた。家賃は両親が払ってくれるので、僕が考えることは少なく、親に言われるがまま契約書に必要事項を記入していれば、いつの間にか手続きは終わり、そうして僕は上賀茂で初めての一人暮らしをすることになった。

鍵の受け渡しの日、僕は夕方空っぽの新居へ入った。ベッドなどの家具や家電、実家からの荷物が届くのはその翌日からのことだったので、特に何をするでもなく、多分5分くらいでそこを後にした。そして、木全マンションから徒歩3分の場所にあった「食堂てら」でチキンカツ定食をいただき、「僕はここに通うことになるだろう」と確信。案の定、月に1回か2回ほど、食堂てらに昼食や夕食を食べにいくことになったが、昨年の夏、食堂てらは閉店した(その後、てらを営んでいた夫婦は滋賀へ引っ越し、この冬、新たなテイクアウトのお惣菜屋さん「つめるコメル」をオープンさせた)。都築響一さんから『2度といけないあの店で 第2弾』の原稿依頼がきた時は、僕は必ずや食堂てらについて書こうと決めている。

4年間住んでいる間、ギターを弾いていて2回ほど管理会社のおじさんに怒られた。1回目は窓全開でジャカジャカ演奏してたところを、2回目は隣人が引っ越すタイミングで管理会社のおじさんが隣の部屋へ訪れていたところを怒られ、怒鳴られ、「もう楽器の演奏はいたしません」という内容の書類にサインまでさせられた。そんな苦い思い出はあるけれど、僕はこの木全マンション101号室が大好きだった。

だから、退去日の4日前、木全マンションの101号室でワンマン弾き語りライブを開催した。パソコン、キーボード、プロジェクター、スピーカー、スマートフォンなど、持っている道具は全て使用し、可能な範囲で最大限演出にもこだわり、友人たちを呼び、15曲ほど演奏した。まぁそれだけ盛大にやると木全マンション101号室への未練なんてものはなくなり、翌日パッキングを終わらせ、翌々日に新居へ荷物を運び込み、木全マンション101号室にはリサイクル業社に引き取ってもらう不要物が残るだけで、まるでもぬけの殻になってしまう。4年間かけてつくり上げてきた木全マンション101号室の魅力は、たった2日にして崩れ去ってしまった。結局、僕が好きだったのは木全マンション101号室なのではなく、僕の持っているものだったり、僕が作る部屋だったのかもしれない。ということは、僕はどんな部屋に引っ越しても、その部屋を愛することができるということなのかもしれない。

ヘッダー写真 写真載男

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